第五章 神亡き闇にて

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 ――ベラーに出会えて、嬉しかった。彼に憧れた。彼がいいと思った。彼に近付きたいと思った。  しかし、こんなことは、望んでいなかった。  ――自分は、誰かを助けるために魔術師になると、決めたのだから。  そして。 「さあ、青い蝶をどこへやったか、教えておくれ。見つからないんだ、あれはグレゴだろう? それも他のグレゴを喰わせ、蠅から進化させた個体だろう……? 教えておくれ、パウ」  そして――青い蝶の少女との、ミラーカとの約束があるから。  ――頭を大きく振る。ベラーの指を払う。髪が乱れたままでも気にせず、怒りと憎悪、そして信念を燃やしてベラーと対峙した。 「断る! あんたは全部、間違ってる! 俺はもう、従わない!」  喉の奥が切れてしまいそうなほどの拒絶。宣言。思わず瞳が潤むほどの勢い。  ベラーは。  ベラーは怯まなかった。ただいつもの笑みを浮かべたまま。しかしかすかに肩を竦め、瞳も細めたかと思えば溜息を吐いたのだった。 「……お前なら、そう言うと思ったよ」  やはりだめか、と小首を傾げる。だが一瞬間を置いた後に、 「でも蝶の詳細や居場所、それからこれまで何をしていたのかは、教えてもらおうか」  紺色の瞳が、冷たい鋭利を帯びる。あたかも刃物を突きつけられたかのような感覚を覚えるものの、パウは言葉を返す。 「答える気はない」 「手段は選ばないよ」  ベラーは懐から瓶を取り出した。からんと音がして、中を見れば黒く細長い針が何本も入っている。ベラーの黒水晶を思わせるそれだが、どうやら違うものらしい。 「これは魔法道具の一種なのだけどね、魔法そのもの、または魔法薬に近いものなんだ……人を痛めつけるのに、とても便利なものでね」  蓋を開け、一本を取り出す。薄暗い中できらりと輝いた切っ先は、磔にされたパウの右の掌、その中央に突きつけられる。  刺される――パウが息を呑み身体を強ばらせた瞬間、ベラーはその予想通り、まるで釘で留めるかのようにパウの右手に針を突き刺した。  弾けるような痛みに、拘束されたパウは大きく身体を震わせた。わずかに動く足が壁を蹴る。天井を仰ぎ、なんとか悲鳴を噛み殺す。  う、ぐ、と声を漏らして、止めてしまっていた呼吸を再開する。痛みはまるで火傷のようにじわりと残っていて、息を乱しながらも、自然とパウはその手を見たが、 「な、何……」 「この針はね、肉体に怪我を負わせず苦痛を与え、精神と魂を蝕むことのできるものなんだ」  痛みに蝕まれ震える右手。ベラーの言う通り、血は一滴も流れてはいなかった。刺さったはずの針もないが、その代わりに針が溶けたかのような黒色が右手を染めていた。  と、その黒色を、二本目の針がつつく。また刺されると思い、パウはびくりと震えてしまった。しかしベラーは刺さずに微笑む。針の先は掌を撫で、腕を引っかいていく鎖骨なぞってまできたところで軽く喉をつつかれる。  固唾を呑まずにはいられなかった。するとパウの喉が動き、針に怯えの震えが伝わる。 「それじゃあ、答えやすいだろう質問から聞いていこうね」  それを見届けて、満足そうにベラーは笑った。 「まず、あの蝶はグレゴ、それは間違いないね?」  からんと、瓶の中で何本もの針が音を立てる。
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