第五章 神亡き闇にて

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「ところで、例の騎士団はどうするか? まだうまくやれば使う余地はあるが……」  と、フォンギオはそう口を開いたところで、つと床に落ちていた小さな紙切れに気がついた。ごみのように思えるそれだが、薄い色で幾何学模様が描かれている。 「おお、あの騎士団には、魔法道具師がいたな……」  フォンギオが拾い上げれば、その紙切れは燃えて消えてしまった。吹き荒れる風に、灰すらも消え失せる。 「潮時か。『掃除屋』を送ろうか……お前の弟子も生け捕りにしたくてはいけないからな。ついでに始末させよう……」  壁の穴は、すっかり塞がってしまっていた。それでもベラーは彼方を見続ける。だからフォンギオはベラーの顔を覗き込み、ふむ、と声を漏らした。 「……弟子が素直でなくて悲しいのか」 「いいえ、まさか。私に簡単に従わないのは、想定内のことですよ。ただ……」  ――答えたベラーの頬には、一筋、涙の跡があった。 「嬉しいのです」  無表情だったその顔に、笑みが戻ってくる。しかしそれは普段彼がよく張りつけたものとは、少し違って見えた。 「私は……後悔していたのです。彼を研究所に置き去りにしたことを――何故あの時、自らの手で殺さなかったのかと」  そうするべきだったと気付いたのは、パウが死んだと信じて、少しした後だった。  自分は間違えてしまったのだ。 「だから嬉しいのです。彼が本当に生きていて」  『風切りの春雷』騎士団の一人から、とある魔術師について話を聞いた。かつての姿と少し違ってはいるようだが、名前は間違いなく彼のものであり、グレゴに関する知識と性格から、間違いなく彼であると確信した。  生きている。死んではいない。  胸中でつっかえていたものは決して晴れなかった。むしろより膨れ上がって――するべきことをするのだと、燃え上がった。 「今度は間違えない……この手で殺すことができる……」  くるりとベラーは振り返る。  言葉に対して、ひどく優しく、人のよさそうな笑みを浮かべて。 「ああ、もちろん、全てが終わったら、ですよ。彼には、まだ我々の役に立ってもらわなくてはいけません。彼と……それから青い蝶に。『掃除屋』の件、ぜひお願いします」  それでは、と、軽くフォンギオに挨拶をして、ベラーは部屋を出る。かつかつと足音が響く。  青い蝶。  ばらばらになった青い蝶を見つめるパウの瞳が、脳裏に蘇る。  ミラーカ。彼は間違いなく、そう呼んでいた。  ……処分予定だったグレゴ。密かに進めた研究。その名前。  なるほど、パウが何かを必死に隠しているように思えたが、恐らくそのことだったのだろう。  そして黙っていたということは、パウは「ミラーカ」が何者であるか、知っているに違いない。あの蝶について、アーゼが「人の言葉を話す」と言っていた。 「……気に入らないな」  足音が鋭さを増していた。自分の内の変化に気付いて、ベラーは鼻で笑う。  ――魔法の使えない、価値のない妹。選ばれた人間でないにもかかわらず、それでも魔法について学ぼうとしていた。そのこと自体は以前から知っていたが、まさか自分の部屋に忍び込み本を漁っていたとは思わなかった。  久しくデューの実家の屋敷に帰った際、妹はテーブルに資料数枚を叩きつけてきた。  生きた人間を使った研究資料――グレゴに関するもの。  まさかそれを発見されるとは思っていなかった上に、そもそも一部であれ自室に保管していたことに関して、油断していたな、と自分自身で笑ってしまった。  次の瞬間には、研究の材料として「十代半ば頃の少女」が必要であったことを思い出していた。  結局、無能な妹は一つも役に立たなかった。  それがまさか、蝶化グレゴになっているとは。  そしてパウがそれに向けていた、赤い瞳。  苛立ちに、口の端をつり上げる。
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