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* * *
昼過ぎの空は、悲しみを知らないといわんばかりに、青く透き通っていた。飾る白い雲も、苦しみを知らないといわんばかりに、呑気に風に吹かれている。鮮やかな緑色の丘も、いつかは枯れてしまうということを知らない様子で輝いている。
けれども、その丘を登る人影一つだけは、息を上げ、憎々しげに先を睨んでいた。
「くそ……くっそ……」
ひいひいと息を漏らし、それでも彼は補助の杖を地面につく。
「こんな……こんな怪我さえなければ……昨日の夜には村に着いてたんだ……! なのに……!」
顔の右半分が黒髪で隠れた青年。かけた眼鏡の向こうでは、左目だけがぎらついていた。
また杖をついて、一歩、先に進む。その足取りは、どこか不自由さが感じられるもので、纏った紫色のマントが揺れる。
「……ったく! 最悪! くそったれ!」
しかし苛立ちだけは勢いがある。
また一歩、登る。左耳の黄の宝石の耳飾りが輝く。
そしてやっと丘の頂上に辿り着いて、青年は立ち止まって空を仰いだ。空はやはりすっきりと晴れていて、むしろ彼を嘲笑うかのようだった。
と、一匹の蝶が、青年を追い越す。
その羽は、空よりも青く、海よりも深く。
縁取る黒色は、影よりも黒く、夜の闇よりも底知れなくて。
「――パウ」
蝶は言う。青年の目の前で羽ばたきながら。
「村が、見えてきたよ……」
その囁き声の通り、丘を下った先には、小さな村が見えた。まだ距離はあるものの、家々の煙突から煙が上っているのが見える。広場を歩く人々の姿も見える。
息を整えて、青年は少しの間、村を見下ろしていた。
――あの村は、まだ大丈夫だったらしい。
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