16人が本棚に入れています
本棚に追加
* * *
フィオロウス国、『青の花弁』地方。
その田舎といっていい場所にある小さな村――ロッサ村。
普段は穏やかさに包まれた村だが、その日、空気は張りつめていた。立ち話をする女達は不安に眉を顰め、また馬鹿にするような笑みを浮かべ、じいと一軒の家を見つめる。子供達も、今日は駆け回らずに、母親の服を掴んでいた。
「――じゃあどうするんだ!」
と、見つめるその家から、外まで声が響いてきた。
声の主は、村の青年、アーゼ。短いものの、少しくせのある金髪。緑色の目は大きいものの、猫のような鋭さがある。
「何もしないって言うのか!」
アーゼは再び声を張り上げれば、ばんとテーブルを叩いた。この村議会に殴り込んできた時と同じように。村議会の人間達は、びくりと震えて息を呑む。そして気まずそうに黙る。何も言わない。
「……ココプ村から逃げてきた奴は言ったんだろ?」
だからアーゼは、溜息を吐いた。
「馬鹿でかい蠅が村を壊滅させたって! もし、そいつが隣のここまで来たら……!」
「でも!」
と、村議会の一人が声を上げる。村で教師をしている男だった。
「……私達には戦う術がないよ、アーゼ。魔法道具なんて高価なものはもちろん、まともな武器も腕もない。それに……そんな巨大な蠅、聞いたこともないよ……もしかすると、幻覚か何かかもしれないよ?」
「――ココプ村は壊滅した、蠅に奪われたとあの男は言ったが……実際どうだか見てないしなぁ」
そう言ったのは、猟師の男だった。
「俺も、長く猟師をしているが、人よりもでかい蠅なんて、見たことも聞いたこともないぞ。それに人を食うなんて……熊や狼じゃあるまいし……」
「もしかすると、魔法か何かのたぐいかもしれないですな」
と、言ったのは木こりの男。彼は穏やかに笑っていたが、自身でそう言って、視線を落とした。
「……もしそうなら、それこそかないやしないわな。わしらには。猟師でも、難しいだろう?」
「相手は蠅らしいが……見たことない相手を相手にするのは、何でも難しいな!」
そう、猟師の男の笑い声が響く。だからアーゼはより声を張り上げて。
「本当だったら笑い事じゃないぞ! 逃げてきた奴を見ただろ! あんなに憔悴して……!」
そこでゆっくりと、村長が顔を上げた。アーゼを見据える。
「……正気じゃなかったな」
「ああ、正気じゃなかった!」
そうなってしまうほどの何かが、ココプ村で起きたのかもしれないのだ。だが。
「……だから、あいつが言っていることも、狂言かもしれないぞ、アーゼ」
そう言われてしまうと、アーゼは言葉を詰まらせてしまった。
――早朝、山菜を採りに出かけた村の女が見つけたその男は、半ば発狂していた。身体は擦り傷だらけで、足を震えさせていた。ぎゃあぎゃあと叫ぶものの、助けを求めて駆け寄ってきたために、この村で保護したのだった。
そしてその男は言った。自分は隣村のココプ村の人間であること。故郷ココプは、巨大な蠅の襲撃を受け、壊滅したこと――。
「祈るしかないかねぇ」
誰かが言った。
「そんなのはあいつの嘘だって。本当だとしても……こっちに来ないようにって」
祈るしかない――。
見れば、村議会の誰もが、頷きあっていた。
「もしかすると、あいつ、狂ってるからココプを追い出されたのかもしれないぞ?」
そんな声も聞こえる。
「だとしたら……いい迷惑だな。何かやらかすかもしれないぞ。それなら、その前にここから出て行ってもらうしかない……」
皆、何もしたくないのだ。平和を信じて、しがみついていたいのだ。
はあ、とアーゼは溜息を吐いた。
……もし、蠅の話が本当だったのなら!
「……じゃあ、俺が確認しにいく」
果てに、アーゼは申し出た。和気藹々と世間話が始まった部屋は、ぴたりと静かになる。
「俺がココプまで行って、あいつの言ってることが本当か、見てくる。それでもし、本当だったなら……あいつは蠅が村を占拠したって言ってた、だから……俺が退治する」
最初のコメントを投稿しよう!