第一章 蝶を連れた魔術師

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 * * *  フィオロウス国、『青の花弁』地方。  その田舎といっていい場所にある小さな村――ロッサ村。  普段は穏やかさに包まれた村だが、その日、空気は張りつめていた。立ち話をする女達は不安に眉を顰め、また馬鹿にするような笑みを浮かべ、じいと一軒の家を見つめる。子供達も、今日は駆け回らずに、母親の服を掴んでいた。 「――じゃあどうするんだ!」  と、見つめるその家から、外まで声が響いてきた。  声の主は、村の青年、アーゼ。短いものの、少しくせのある金髪。緑色の目は大きいものの、猫のような鋭さがある。 「何もしないって言うのか!」  アーゼは再び声を張り上げれば、ばんとテーブルを叩いた。この村議会に殴り込んできた時と同じように。村議会の人間達は、びくりと震えて息を呑む。そして気まずそうに黙る。何も言わない。 「……ココプ村から逃げてきた奴は言ったんだろ?」  だからアーゼは、溜息を吐いた。 「馬鹿でかい蠅が村を壊滅させたって! もし、そいつが隣のここまで来たら……!」 「でも!」  と、村議会の一人が声を上げる。村で教師をしている男だった。 「……私達には戦う術がないよ、アーゼ。魔法道具なんて高価なものはもちろん、まともな武器も腕もない。それに……そんな巨大な蠅、聞いたこともないよ……もしかすると、幻覚か何かかもしれないよ?」 「――ココプ村は壊滅した、蠅に奪われたとあの男は言ったが……実際どうだか見てないしなぁ」  そう言ったのは、猟師の男だった。 「俺も、長く猟師をしているが、人よりもでかい蠅なんて、見たことも聞いたこともないぞ。それに人を食うなんて……熊や狼じゃあるまいし……」 「もしかすると、魔法か何かのたぐいかもしれないですな」  と、言ったのは木こりの男。彼は穏やかに笑っていたが、自身でそう言って、視線を落とした。 「……もしそうなら、それこそかないやしないわな。わしらには。猟師でも、難しいだろう?」 「相手は蠅らしいが……見たことない相手を相手にするのは、何でも難しいな!」  そう、猟師の男の笑い声が響く。だからアーゼはより声を張り上げて。 「本当だったら笑い事じゃないぞ! 逃げてきた奴を見ただろ! あんなに憔悴して……!」  そこでゆっくりと、村長が顔を上げた。アーゼを見据える。 「……正気じゃなかったな」 「ああ、正気じゃなかった!」  そうなってしまうほどの何かが、ココプ村で起きたのかもしれないのだ。だが。 「……だから、あいつが言っていることも、狂言かもしれないぞ、アーゼ」  そう言われてしまうと、アーゼは言葉を詰まらせてしまった。  ――早朝、山菜を採りに出かけた村の女が見つけたその男は、半ば発狂していた。身体は擦り傷だらけで、足を震えさせていた。ぎゃあぎゃあと叫ぶものの、助けを求めて駆け寄ってきたために、この村で保護したのだった。  そしてその男は言った。自分は隣村のココプ村の人間であること。故郷ココプは、巨大な蠅の襲撃を受け、壊滅したこと――。 「祈るしかないかねぇ」  誰かが言った。 「そんなのはあいつの嘘だって。本当だとしても……こっちに来ないようにって」  祈るしかない――。  見れば、村議会の誰もが、頷きあっていた。 「もしかすると、あいつ、狂ってるからココプを追い出されたのかもしれないぞ?」  そんな声も聞こえる。 「だとしたら……いい迷惑だな。何かやらかすかもしれないぞ。それなら、その前にここから出て行ってもらうしかない……」  皆、何もしたくないのだ。平和を信じて、しがみついていたいのだ。  はあ、とアーゼは溜息を吐いた。  ……もし、蠅の話が本当だったのなら! 「……じゃあ、俺が確認しにいく」  果てに、アーゼは申し出た。和気藹々と世間話が始まった部屋は、ぴたりと静かになる。 「俺がココプまで行って、あいつの言ってることが本当か、見てくる。それでもし、本当だったなら……あいつは蠅が村を占拠したって言ってた、だから……俺が退治する」
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