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五年が経った。
豆が花圃を離れた、あの時の霞姉さんと同じ歳になったが、まだ花は咲かない。
フユは豆を嫁にしてくれると言っていたが、どこまでフユが本気なのかも分からない。
『可愛い俺の豆 』と、フユはいつも言ってくれる。だけど、初めの頃と同じで、ずっと子ども扱いは変わらないのだ。
フユ様の好きなブリ大根も、オオバさんがお墨付きをくれる程、上手に作れるようになったのに。
だけど、花が咲いたらきっと、大人として見てくれると、豆は信じていた。それだけに縋っていた。それなのに、花は咲かない。
「そろそろ、お花見の時の着物を誂えねばなりませんね 」
「え? 」
いきなり言われて、豆はお玉を取り落としそうになる。オオバは鍋の火加減を見ながら続けて言った。
「何を驚いているのです。今年のお花見はフユ様と一緒に花屋敷に戻られるのですよ? 」
花屋敷に戻る……、戻される? 豆は目の前が真っ暗になっていく気がした。
やっぱり、花を咲かせる事が出来ないから、フユ様の嫁に相応しくないのだ。
「嫌、です 」
「豆様? 」
「嫌です! 花屋敷になんか行きたくないっ!」
そう叫んで、厨を飛び出す。後ろからオオバの呼ぶ声が聞こえて来たが、豆は振り返らずに屋敷を飛び出した。
まだ春は遠い。吹雪の中を行く宛もなく歩きながら、身を切る寒さに凍えて、全身が強張る。
豆は、フユの力で、屋敷がある程度の寒さで抑えられていた事を身を持って知った。
そうだよね、フユ様は凄い土地神様なんだもの。私では釣り合わない。
でも、分かっていても、涙が止まらないのだ。
山の中に入っていくと、雪はどんどん深くなり次第に歩けなくなってきた。
その時、丁度見つけた樹洞で、豆は休ませて貰うことにする。膝を立てて、体を丸めると、豆はそこにすっぽりと入り込んだ。
木の中はほんのりと暖かく、雪も風も凌げて、音さえも聞こえない。
「フユ様のお嫁に、なりたかったなぁ 」
膝を抱き、顔を埋めて呟くと、また涙が零れた。
……めっ、まめっ!
誰かが私の名前を呼んでいる。そんな必死な声を出さなくてもいいのに。
思いながら、思い切り身体を揺さ振られている事に気付く。
「豆っ! 」
「えっ? あっ、フユ様? 」
少しの間、眠ってしまったみたいだ。でも、どうしてフユ様がここにいるのだろう。
「……『フユ様 』じゃないよ、もう 」
強く抱き締める腕に、フユがとても心配してくれた事が分かる。
けれど、「ここは寒い。兎に角、屋敷へ戻ろう 」と言われて、豆はフユの胸を押し返した。
「豆? 」
「お屋敷には戻りません。豆の事は放っておいてください 」
本当はこんな事、言いたくない。フユ様だってビックリしてる、だけど。
「どうして、今更そんな事を言うんだ? 」
フユに大きなため息を吐かれて、ぶわぁっと止まった筈の涙が溢れてくる。
そんな事って、フユ様が一番知ってるくせにっ!
そう思ったら、止まらなくなった。
「だってっ、豆を大神様の所に返すのでしょうっ? 」
フユが金色の瞳を、大きく見開く。
「花を咲かせられない花の精なんて、要らないことは分かってます! だけど、豆はフユ様と一緒に居たいのですっ、ずっとお側に居られるためなら、何でもしますっ! お嫁にして欲しいなんて、もう言いませんっ。だからっ、だから、返すなんて言わない…… 」
突然、顎を持ち上げられたかと思うと、柔らかなモノが口唇に当たる。初めは何かをされているのか分からなかったが、あまく噛まれて、口付けられている事に気付いた。驚きのあまり、逃げようとしても、後頭部に回された手に固定され、動けない。
フユは強引に口を割り、豆の舌を捕らえると、舌先を重ね、絡め、口腔を奥まで舐めあげる。
その時、豆は、ふぅっと身体の中に入ってきた温かい何かが全身を巡っていくのを感じた。
さぁっと浄らかな風が吹き、豆の瞳の端に白い小さな物が舞っているのが映る。
ゆっくりと離れる口唇。力の入らない豆を支えながら、フユが言った。
「綺麗だね。花姿が整っていて、豆だって直ぐに分かるよ 」
茫然とする豆の手のひらに渡された物は、小さいけれど、縁が濃いめで淡紅色の、白い桜の花だった。
つうっと、涙が豆の頬を伝う。その涙を豆の大好きな大きい手が拭ってくれる。
「悪かった。こうすれば、花が咲くのは分かっていたんだが 」
豆を怖がらせて、嫌われたくなかったと言われてしまえば、豆に許す以外の選択肢は無くなる。実際に全く怖くなかったと言えば嘘になるからだ。けれど、嬉しくないと言ったらまたそれも嘘だった。
返事の代わりにぎゅっと抱き付くと、理解したのかフユが抱き締め返してくれた。幸せ過ぎても泣きたくなるのだと、豆は初めて知る。
「フユ、さま……、好き、です 」
しゃくり上げながら伝えたら、「俺の豆は、本当に泣き虫だな 」とフユが微笑んだ。
「それにしても、俺の嫁になるのが嫌になったのかと思って心臓が止まるかと思ったぞ 」
ツンと押されるおでこ。そしてまた、土地神は自分の花嫁にあまい口付けを落とす。
もう、我慢することはないんだなと言って。
その年の花屋敷で行われた花見で、オオバの用意した着物を着た豆は、集まった土地神達や花の精達の前で、沢山の桜を咲かせながら舞った。
その姿は愛らしく、誰よりも美しかった。美しさだけではない、内から光り輝く姿は、土地神から愛を受けている証。
どの花の精よりも、嫁いだ土地神に深く愛されているのは、冬の国の土地神の嫁だと誰もが認めるところとなる。
以南の土地神が、地団駄を踏んで悔しがっていたと、後から聞いて屋敷の皆で笑った。
豆だけは恐縮して、縮こまってしまったけれど。
沢山の愛を注がれ、雪の中でも咲く豆桜。
そんな豆が、御神木と呼ばれる様になるのは、また別のお話。
《ヲワリ》
2024.4.7 公開
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