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8
ピンポーン
俺は、伊吹の家のチャイムを押していた。
伊吹好みのモデルに扮した俺を見て、伊吹はどんな反応をするのだろうか。
早く驚かせたいと、勇んで出てきたものの、少し不安になってきた。
何やってんだって大笑いしてくれれば本望だけど。
伊吹が玄関のドアを開けるのを待つ時間が、いつも以上に長く感じた……。
チャイムを押してから、どれだけ時間が経ったのか。
多分まだ一、二分しか経っていないのだと思う。
しかし、俺には十分くらい経っている気がして、もうエイプリルフールの悪戯なんてバカな事はやめてとっとと家に帰ろう、という気持ちになってしまっていた。
俺が自分の家に引き返そうとしたその時、伊吹の家の玄関のドアが開いた。
「はい?」
黒のスウェットの上下で休日モードの伊吹が、ドアを開けながらそう言った。
俺は、慌てて計画していた通りの行動に出た。
「こ、こんにちは〜!」
姉ちゃんから可愛い言い方を教わり、実践してみるがどうなんだ? これ……。
絶対不審がられてるだろ。
俺は、伊吹の反応を恐々眺めた。
すると、伊吹は急に怒ったような顔で俺の手首を掴んだ。
(えっ? ちょ、どうした? 伊吹?)
伊吹は、掴んだ俺の手首を自分のほうに引っ張り、俺を家の中に無理矢理押し込んだ。
押し込まれた俺は、何が起きているのかさっぱりわからなかった。
すると、伊吹は後ろ手に家の鍵を閉めた。
(もしかして、バレてる? うわ、怒らせた?)
俺は、全て白状して伊吹に謝ろうとした。
「あ、あの、ごめ……」
ギュッ
最後まで謝る前に、伊吹に抱きしめられる。
そして、有無を言わせず伊吹が俺の唇を奪った。
「んっ……」
いつもの優しい伊吹とは違い、そこには俺が見たことがない伊吹がいた。
頭がクラクラしてどうかなりそうだ。
俺は、されるがままに伊吹にキスされていたがようやく我に返った。
そして、両手で伊吹の身体を押すと伊吹はやっと俺を解放して言った。
「エイプリルフールの悪戯にしては度が過ぎてないか?『翔』?」
(こいつ、やっぱり俺のことわかってて!)
「お前! フェイントだろ!」
「騙そうとした翔が悪い」
「そ、それはそうだけど……」
言い淀む俺を見て、伊吹が意地悪そうに笑った。
「サッカーでもよくお前、フェイント食らってるだろ? 翔の欠点なんだよ」
「うっ……」
伊吹に痛いところをつかれて、俺は何も言えなくなってしまった。
そんな俺を見て、伊吹がなぜか嬉しそうに微笑んで言った。
「でも……エイプリルフールのおかげでもう遠慮しなくて済むな」
「は?」
「俺は、昔から翔のことしか見てない。これからもずっと」
伊吹は、真剣な目をして俺を見つめた。
「伊吹、お前も俺を騙す気かよ」
「残念だったな、翔。もう昼はとっくに過ぎてる。エイプリルフールの嘘は午前中まで、だろ?」
そう言って綺麗な顔で笑う伊吹から、俺はまた目が離せなくなる。
そして、再び近づいてきた伊吹に奪われる前に、俺はそっと目を閉じた……。 完
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