咲く乱、花魁花見道中

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 ときは維新後の明治、ところは江戸改め東京の吉原。吉原の大店加賀屋。この加賀屋に火花を散らす二人の花魁がいた。  一人はお鶴。維新で刀と録を取り上げられ、すっかり落ちぶれた武家の娘。食うや食わずの親のため、ザンギリ頭にすることもなくちょんまげ姿の時代遅れの二人の兄のため、見栄だけは一丁前な家の男達を食わせるためにここ吉原に身売りしてきた、なんとまあ憐れな娘よ。  もう一人はお雪。繁盛していた薬問屋の娘は、江戸城の姫様のように大切に大切に育てられた。主のおっ父さんが病で早死に、おっ母さんはおっ父さんの看病で昼も夜もなく甲斐甲斐しく世話をして、薬問屋の女主として店を切り盛りしていた。働き過ぎたおっ母さんも後を追うように死に、四つ上のぼんくら兄貴が家業を継いだはいいが、薬問屋の仕事もさぼり、遊郭の女に入れあげ家の金を使い果たし、店は潰れ借金だけが残された。借金のカタに売られてきた、この子も憐れな娘よ。  お鶴とお雪、二人とも気の強さだけは人一倍。この世の地獄ここ吉原に幽閉されても、美貌と知性を武器にして、禿から新造に、そして遊郭の華、花魁へと出世街道をひた走った。加賀屋の花魁といえばお鶴とお雪。  明るくさっぱりとしてハキハキ喋るお鶴は、姐御肌が売りだ。吉原の花魁の中では一番背が高い。大女というものは可愛げが無く、男に嫌われやすいはずだが、お鶴は客を息子のように甘やかす。切れ長の目に凛とした太めの眉、薄い唇。お鶴の微笑みは男にとって瞼の母のように映るらしい。  物憂げで妖しい色気があるお雪。謎掛けのような絶妙な駆け引きで客を翻弄する。小柄でりすのような風情で、目はくりくりと胡桃のように大きい。口数が少なく、口を開けば艶めいた言葉を男の耳元で囁く。お雪の微笑みは男にとって狂おしいほど愛らしいものらしい。  寒さも和らぎ、ここ吉原にも春がやってきた。吉原にも花見はある。外界で切り落としてきた桜の木を通りに並べ、桜並木を作るのだ。その桜並木を花魁達が練り歩く。花魁道中のために客は大金を惜しげも無く使う。 「金の花咲く 花魁道中 行きは極楽帰りは地獄 桜咲く咲く 金子(きんす)も落ちる 客の懐スッテンテン」  客のいない昼間、花魁、新造、禿達が楽しげに唄う。誰が作ったのか詠み人知れずのこの狂歌は、吉原のこの花街でずっと唄い継がれていた。花魁道中の順番を巡り、お鶴とお雪は懲りずにお互いを牽制し合っていた。 「加賀屋の顔といえばこのあちき。辛気臭い顔のあんたに譲る道理なんてないさ。花見は明るくなきゃねぇ」 お鶴がお雪に喧嘩を吹っ掛けるとお雪は澄ました顔で静かに言い返す。 「加賀屋の顔を決めるのはお客でありんす。花代が多い方が先を歩く、それが吉原の道理」 お雪は勝てるものなら勝ってみろと、余裕綽々の意地の悪い笑みを浮かべていた。花代、つまり売上の勝負ではお雪が七勝、お鶴は三勝、引き分けが二回。ここ一年の月毎の勝負ではお雪に分があった。お鶴は痛い所を突かれたものの、花見の月はお雪に花代で負けたことがない。 「へん、花見の月はいつもあちきの勝ちさ。花見の花魁道中は楽しくなきゃ。あんたみたいな暗い幽霊みたいな女にゃ負けないよ」 お鶴が自信満々に言い返すと、お雪は何か策があるのか睨み返しながら告げる。 「おごれる平家は久しからずというでしょう?」 ククっと口元を扇子で隠して不気味に笑うお雪。お鶴はお雪の何かしら企みがありそうな顔を見て吐き捨てるように言った。 「ああ、やだやだ、気味が悪い女。花見の月は負けてたまるか!」 威勢良く啖呵を切ったお鶴に、お鶴付きの新造と禿がそうだそうだと合いの手を入れる。 「おいらんとこの姐さんが一番だい」 「そうさそうさ、お鶴さんが加賀屋の顔」 お雪付きの新造と禿も言い返す。 「なにぃ?お雪さんが一番に決まってる」 「そうよそうよ、お雪さんが加賀屋の顔」 うるさいほどかしましい女達の言い合いを遣り手の婆さんが止める。 「うるさいねぇ、さっさと飯を食いな」 気だるそうに花魁と子分達の喧嘩を嗜める。遣り手の婆さんは皺だらけの手の甲を見つめて、昔を懐かしむ。おいらの姐さんが訛って花魁という言葉が生まれたという。 (私にもこういう頃があったのさ…。お鶴やお雪なんか目じゃない、加賀屋一の花魁と云われたあの頃が…) 遣り手の婆さんのしんみりとした表情にも気づかず、女達は餓えた捨て猫のようにガツガツと賄いを食べ始めた。食えるうちにしっかり食っておかないと身体がもたない。どれほど艶やかで華やかでも、ここ吉原は女にとって閉ざされた地獄そのもの。  
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