咲く乱、花魁花見道中

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「ケッ!女郎が生意気な」  お鶴の新しい客が本性をとうとう現した。お鶴のマブだったその男はお鶴と似たような境遇で、維新で刀と録を取り上げられた家の武士の息子だった。 「いつか所帯を持って暮らそう」 「俺がここから連れ出してやる」 いつものお鶴なら客の戯れ言と受け流すのに、なぜか今度ばかりは本気になっていた。     花代がとうとう払えなくなった男は、お鶴に泣きついた。 「別れるのもまた定め。最後の最後に情けない…すまぬ…」 うなだれる男にお鶴は花代を立て替えた挙げ句、男にこう言ったのだ。 「花代なんか要らない、別れは嫌よ。私が主に内緒で立て替えるからお願い…」 お鶴の泣き崩れた顔を見て、男は豹変した。 「ケッ!女郎が生意気な。身売りで稼いだ汚い銭じゃねえか!二度と来ねえよ、ばか野郎」 罵詈雑言を聞いてもお鶴は怒らなかった。いつもの誇り高いお鶴ならかんしゃく玉が爆発したように怒る所なのに、静かに涙を流していた。男は去っていきお鶴は一人残された。  その日の夜明け前…。廁の前で出くわしたお鶴とお雪。お鶴がマブに捨てられた話は店仕舞いをした加賀屋であっという間に知れ渡った。お雪が意気消沈しているお鶴に声を掛ける。 「幽霊みたいな面して、首括るなら踏み台蹴飛ばしてやろうか?」 お雪がここぞとばかりにお鶴に喧嘩を吹っ掛ける。 「武家の女は首なぞ括らない、守り刀で自刃するのよ」 マブに捨てられたお鶴の心の拠り所は武家の娘であるということ、ただ一つだった。お雪は薬問屋、商家の大店の娘。男に捨てられて惨めな癖に武家の出を自慢するお鶴が気にくわない。 「何が武家の娘よ。あんたもあちきもただの女郎、吉原に墜ちたらみんな一緒さ」 いつものお鶴ならお雪に取っ組み合いの喧嘩を仕掛けるはずなのに、今日のお鶴は弱々しくお雪に微笑み返した。 「そうね、こんな場所で武家も何もないわ」 お鶴はお雪をやり過ごして、廁より先の加賀屋の庭の片隅へと向かう。  お鶴は死ぬ気だと直感したお雪は下駄を履いて急いでお鶴を追い掛ける。お鶴が台所から盗んできた包丁で首を切ろうとするそのすんでのところでお雪が包丁を取り上げた。 「花見の花魁道中が終わってないよ。死ぬなら私との花代勝負が終わってからにしな」 お雪は憎まれ口とは裏腹に泣いていた。あの冷酷無比なお雪が泣いている。お鶴はポロポロと涙を溢すお雪を見て、呆気に取られた。いつもよると触ると喧嘩して張り合っていたのに。ここ加賀屋の花魁、二枚看板として火花を散らしていた好敵手のお雪。あいつが死んでくれればあちきが一番なのにとお互いに思っていた。それなのに…。いざ目の前で死のうとすると泣いて止めてくれた。あの意地悪で冷たいお雪が…。お鶴はすくっと立ち上がって笑ってみせた。 「助けたことを後悔させてあげるわ。花見の花魁道中は私が先を歩く、絶対にね」 お鶴の目は生きる力を取り戻していた。それを見たお雪もほっとして涙を拭った。 「助けてなんかいないわ。生きながらえて、私に花代勝負で負けてから死ねばいいのよ」 「相変わらず意地悪ね。あんたをこの加賀屋から追い出すまで死ねないから」 「追い出されるのは、そっちよ」 いつもの二人の喧嘩の火花が戻ってきた。その姿を庭の片隅から遣り手の婆さんが覗いていた。 (間一髪だったねぇ…。お雪が止めなきゃ私が止めてた。お雪にも血の通った優しいところがあるじゃないか) 遣り手は二人のいつもの喧嘩に目を細めた。
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