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「これまでのいきさつをまとめると、琴子は市外の高校に行きたい、そのためには秀優高校の受験も辞さない。
それに対して、お母さんは地理的・学力的な面で反対している。
ここまで合ってる?」
由希ちゃんの言葉に私とお母さんは揃ってうなずく。
そんな私たちの様子を確認して、由希ちゃんはさらに言葉を続ける。
「ここでひとつ、私から琴子側の意見として反論するけど、まず地理的な面に関して。
私が高校生の時は、クラスに5人くらいは1,2時間近くかけて登校してくる人はいたよ。
もちろんその人たちは大変だったと思う、けど実際にそういう人がいて、ちゃんと大学に進学してるっていう事実はある。
それに、うちから最寄りまでの徒歩40分だって電動自転車を買えば半分くらいの時間で行ける。」
由希ちゃんの話を聞いて、お母さんが反論する。
「でもね、電動自転車って10万近くするし安くないのよ」
「もし家から出せないのであれば、私が琴子にプレゼントするから」
「そんなの悪いよ」と私が言いかけたところ、由希ちゃんが片手で私を制す。
そして、まっすぐお母さんを向いて言葉をつづけた。
「次に、勉強面についてだけど。これは私が教える。」
「!?」
「え、由希ちゃんって勉強得意なの?」
いくら中学内容だとは言っても、受験校はあの秀優高校だ。偏差値75。エリート中のエリートしか入学は許されない。
大学生の由希ちゃんでも私の勉強をみきることはできないだろう、そう思っていた。
―――けれど、由希ちゃんの口からとんでもない言葉が飛び出す。
「何失礼なこと言ってんの~?私一応、琴子が通おうとしてる秀優高校出身だからね~!」
「えーーーーーーーーー」
由希ちゃんの見た目が結構ハデだから、勝手に勉強は得意ではなさそうだと思い込んでいた、失礼だが。
けれど思い返せば、確かに由希ちゃんの話にはたびたび歴史上の偉人が登場する。
さらに、彼女の部屋の本棚にはぎっしりと難しそうな本が並んでいる。
そして何より、さっきの「由希ちゃんの高校時代の話」をしている時点で、彼女が秀優高校に通っていた前提で話が進んでいる。
それに両親は何の反論もしていない。
お母さんも由希ちゃんが勉強エリートなこと知ってたんだ。
私が必死に事実を受け止めようとしていると、由希ちゃんが口を開いた。
「それに何より、私が今県外の大学に通いながら、一人暮らしもできる環境下にいるのに、琴子は市外の高校にすら行けないっていうのも不公平じゃないかな?姉妹なんだから。」
その言葉を聞いて目の前の両親二人は、うーんとうなってしまった。
先に口を開いたのはお父さん。
「琴子ちゃんが自分の力で合格を勝ち取って、自分の力で高校に通いきる覚悟があるのなら、お父さんは反対しないよ。
それに、電動自転車も、由希奈が買わなくとも、合格祝いとしてお父さんが買うから。
お母さんも、それでいいかな?琴子ちゃんの覚悟しだいってことで。」
「うーん。確かに姉妹で格差がでるのもねえ。
まあ、琴子の受験次第だね。合格しなければ通学時間云々の問題もないし。」
由希ちゃんと顔を見合わせて、にんまり顔をする。
山が動いた。
結局、会議は“私の勉強の成果次第”という結論に落ち着いて、私はとりあえずの言質を獲得した。
その後、私は自室へ戻って明日の学校の準備をしていた。すると、
コンコン
「今、ちょっといい?」
由希ちゃんが訪ねてきた。
私は「はーい」と返事をして彼女を中へ招き入れた。
「どうしたの?」
「ちょっとね、これまでの琴子の成績表を見せてもらおうと思って」
どきっとする。成績表はあまり人に見せたいと思うものではない。
それに、あまりにも私の成績が低いから、由希ちゃんが諦めたらどうしよう、なんてドギマギしながら、成績表を見せる。
「ありがとう」と由希ちゃんはその書類を受け取って、じっくりと眺めていた。
「けっこう優秀じゃん~」
そう軽く由希ちゃんが言う。
「いやいやいや!よくて、中の上ってかんじじゃない?最高順位30人中10位だし。」
「そんなことないよ!このへんなら、ぜんっぜん秀優高校は狙えるから!」
「うーん。そうなのかあ。」
由希ちゃんはきっと私のやる気を下げないように、前向きなことを言ってくれているのだろうと、私が曖昧な返事をしていると、
「じゃあさ、今月末の期末テストの目標決めようよ!順位で!」
そう言われて少し悩む。私の平均順位は13位ほど。ここは、これまでの最高順位である10位にしておくか、
しかし、私が口を開くより先に由希ちゃんが発言してしまった。
「思い切って5位とかどう?」
「いやいやいやいや!それはさすがに無理だよ!!」
「まあ聞いてよ。」
そう言って由希ちゃんは腕を組み、どや顔でこちらを見下ろす。
「琴子に、とっておきの期末テストへの秘策を教えて進ぜよう」
...秘策。秘策ってなんだろう。そんな思いで彼女を見上げる。
「ずばりね、副教科だよ!」
「???」
私の困惑顔をよそに由希ちゃんは質問を投げかけて来る。
「今回は何教科あるか分かる?」
「えっと、技術、家庭科、保健の三教科あるみたい」
「いいね!いけるよ琴子!!」
そう言って由希ちゃんは瞳を輝かせる。
...どういうこと?
私の困惑顔にやっと気づいた由希ちゃんは、説明を始めてくれた。
「副教科は、ほぼ暗記ゲーだからね。しかも、そこそこ勉強ができる人ほど、副教科を蔑ろにする傾向がある。
そういう人は五教科で点数が取れる自信があるからね。
よし!これから五教科の復習をしつつ、副教科の対策をバチバチにしていこう!」
そうやって意気込む由希ちゃんは、とても貫禄があった。
そんな彼女のきらきら顔を見上げながら思う。
これが、偏差値75を超える秀優高校出身の姿か...と。
―――翌日
昨日の家族会議からの、由希ちゃんとの作戦会議で頭の中が期末テストでいっぱいだったから忘れていた。
私は部活を辞めた。これはすぐに広まる。とても小さな世界だから。
つまり、この教室で私は“浮いた奴”扱いになろうとしているのだ。
そのことに、登校後、教室のドアに手をかけて気づく。一気に恐怖心が沸き上がり、ドアを開けるのを躊躇してしまっていた。
けれど、ここでドアを開けずにいたとて、教室に入ることは決まっているのだから。
怖いけれど進むのだ。私がこの小さな世界から抜け出すために。
ガラッ
ドアを開けると、そこには唯たちがたむろして話していた。
「お、おはよう」
なんとか声を出して挨拶する。
「あ!!!琴子!!!部活辞めたでしょ!!田中めっちゃ怒ってたよ!」
早々に日向が昨日の部活での様子を報告してくれる。彼女に悪意はない、きっと。
日向の話を要約すると、
・私が身勝手に退部した
・そのような無責任なことをお前たちはしてくれるな
・そう言って田中先生が、かんかんに怒っていた
まあ、そうだよな。そう思いながらも落ち込む自分がいる。
「やめるなら、あたしたちに一言いってくれればよかったのに」
そうそっけなく唯がつぶやいて、ホームルーム前のおしゃべりは終わった。
なぜ私が部活を辞めたかなんて、彼女たちは考えもしないのだろう。なんとなく負の感情が沸き上がってくる自分がいた。
1時間目の授業は社会。
社会の担当は、担任の鶴谷先生。
彼は20代後半の若手の先生で、今年赴任してきたにも関わらず、ノリのよさで生徒たちからすでに大人気だ。
特に、唯や日向、一条君たちと仲が良く、先生も彼らを気に入っているようだった。
けれど、私は鶴谷先生が怖い、というか苦手だ。
なぜかというと、、
「じゃあ、この土器。いつできたものかを、えっと、一条!」
「わかりませーん」
「えー、じゃー、玉来!」
「え、早期?」
「うわっ惜しいけど違う!」
やばい、この流れは席順的に私があたる!
そう焦って答えを教科書から探していると、ついに指名された。
「じゃあ、あなた!」
そう言って鶴谷先生は私に手を向ける。
あ、鶴谷先生、私の名前覚えてくれてないんだ。
指名された焦りの中、そんなことを考えてしまう。
ずーんと暗いものが心に押し寄せて気分が重くなった。
「...草創期です」
「え?聞こえない!もっかい大きい声で!」
「草創期です」
「おっけー正解!」
そう言って先生は、何事もなく授業を進めていった。
(はああああ)
私はノートを書くふりをして、心の中でため息をつく。
こうやって、発表時に声が小さくなる自分がとても情けなくて嫌になる。
『もごもご喋らない!』
そう叱責された記憶がフラッシュバックする。“もごもご”は私の嫌いな言葉ランキング上位だ。
授業後、先生に名前を覚えてもらっていなかったこと、声がうまく通らなかったことで気分が重くなっていた。
いつもなら、そんな情けない自分に価値を見出したくなり、真っ先に唯たちのもとに向かっていた。
クラスの中心的な彼女たちと一緒にいる、そんなグループに所属している自分には存在意義がある、そう思いたかった。
けれど、私は彼女たちといると不幸になる。彼女たちと距離を取らなければならない。
そう思い、次の授業までの10分休みを教科書を読んで過ごそうとした。
けれど、内容なんて頭に入ってこない。
休み時間にひとり座っている自分は、この教室で浮いた存在なのだろう。好機の目にさらされているのだろう。
そう思うと、頭が真っ白になった。
クラスメイトたちの顔を見たくなくて、食い入るように教科書に目を向ける。
たまたま開いた国語の教科書のページ、そこには二宮金次郎の像の写真が載っていた。
“彼もね、逃げたの”
由希ちゃんがしてくれた話を思い出す。
教科書に載るほどの偉人“二宮金次郎”も復興の仕事に失敗した村から逃げ出したのだ。そう考えると、想像してしまう。
彼は、逃げた時どんな気持ちだったのだろう。
「きっとあの村で俺はボロクソに言われているのだろう」とか「仕事を投げ出して逃げるなんて俺はなんてだめなんだ」とか考えていたのだろうか。
そんな想像をしていると、少し気分が楽になったような気がする。
あの偉人と同じような悩みを持っている自分も、何かすごい人になれるのではないか、そう自分に言い聞かせる。
そうこうしているうちにチャイムが鳴り、授業が始まった。
それからというもの、私は休み時間になるたびに教科書を読むふりをして、呪文を心の中で唱えていた。
“二宮金次郎ですら逃げたのだ”
と。
そう唱えることで、自分が部活から逃げたことも、その結果としてこの教室で浮いていたとしても、自分はダメな奴じゃない、そう思えるようになると信じて。
帰りの学活が終わり、下校の時刻となる。
今日からテスト週間となるため、部活は休止となり、全校生徒が一斉に帰る。
もちろん、唯たちも。
なんとか、彼女たちと一緒に帰ることは回避したい。
2-2-1で無駄に傷つくのは、もうこりごりだ。
そう思った私は
「勉強頑張りたいから、先に帰るね!」
そう言って、一目散に教室を出た。
言い逃げしていった私を、唯はぽかーんとした表情で見送った。この学校で“テスト勉強”なんてする人間は、ほとんどいないから。
私は今きっと相当変な奴だ。教室で、もう浮いているだろう。
でも、私は逃げるのだから。
息を切らして坂を駆け降りる。由希ちゃんのいる家に早く逃げ込むのだ。
6月下旬の蒸し暑さの中、私は青空の下、走り帰っていた。
荒い息遣いで玄関のドアを開ける。
「ただいま!」
すると由希ちゃんが、にこやかに迎えてくれた。
「おかえり!今日から副教科の猛特訓はじめるよ~」
「じゃあ、問題、食中毒予防の三原則を挙げてください!」
「えっと、細菌をつけない、増やさない、殺す!」
「せいかーい!すごいじゃん琴子!」
由希ちゃんは私と一緒にテスト勉強に励んでくれている。リビングのダイニングテーブルで隣に座って問題を出してくれていた。
「いいの?由希ちゃんは別に期末テスト受けるわけじゃないのに。」
「それがね、琴子。副教科って案外一人暮らしに役立つこと多いんだよ~。だから、私も学んでおいて損はないからね~。」
「でも私が五教科をやってるときも隣で勉強してくれてるよね?」
「いや、あれは琴子と同じ教科をしてるわけじゃないよ。私も資格の勉強始めてみようと思ってね。」
そうなのか...
そう言われると、私だけに恩恵があるわけではないという気になり、申し訳なさが減っていく。
「あ、でも分からないところあったら、いつでも聞いてくれて大丈夫だからね」
初めて感じた。勉強が楽しいと。いや、勉強が楽しいのではなく、“勉強をしている時間が楽しい”のだ。
由希ちゃんと同じようにシャーペンを持って、机に教科書とノートを広げて。
隣を見ると由希ちゃんが顎にペンをくっつけて、真剣な表情で悩んでいる。つやつやの金髪を時折鬱陶しそうに耳にかけながら。
この時間がとても幸せに感じた。
その後のテスト週間、私は極力、唯たちと関わらないように頑張った。休み時間もテスト勉強をして、帰りは「勉強頑張りたいから、先に帰るね!」と一目散に教室を去った。
最初こそ、自分はなんて変な奴なんだ、という意識がぬぐえなかった。
しかし、日が増すにつれてそのような意識は薄れていった。
テスト前日の今となっては、“早く帰って由希ちゃんと一緒に勉強したい!”という気持ちのほうが強くなっていた。
そして、その日が来た。期末テスト当日。
続く。
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