11人が本棚に入れています
本棚に追加
第9章 社
一方、ゆきと別れた高橋と重治は次にするべきことを話し合っていた。
「その『三春天正縁起』に書かれている社ってどんなものなんですか?」
「大町八番地にあると書かれていましたが、そこは影山傳助さんのお屋敷があるところです」
「その方も影山ですか」
「ええ、しかしあのお宅に今も社があるのかどうかですね」
「ないのですか?」
「あるのかないのか、それがわかりません」
「そうなんですね」
「あるかもしれない、ないかもしれない、そうなるとそこへ行って確かめるしかないですね」
「高橋さんはその影山さんとは懇意にされているのですか?」
「うちのお客さんですが、親しいというわけではありません。お屋敷は七千坪もあって、そこをぐるりと高い塀で囲われているんです」
「立派なお屋敷なんですね」
「ええ、町の名士でちょっと敷居が高いお宅です。ですから気軽に行って社を見せてくれとは言えません」
「そうですか」
「そうかと言って黙って忍び込むわけにはいきませんし、仮にそれが出来たとしても、あの広大な敷地の中で簡単に社が見つかるかどうかもわかりません」
「その社ってどれくらいの大きさなのでしょう?」
「わかりません。ですがまさか神社にあるようなあんな大きなものではないと思うんです」
「でももしその社が見つかれば、そこにツバやかんざしのことが書かれた書物とかが保管されているかもしれませんね」
「はい。私もそれを期待しています」
高橋と重治の思惑が一致すると、何とかその社を見ることが出来ないかという話になった。
「あそこに歳の頃は15くらいの息子さんがいるんです。彼が幼い頃はうちのお店によく遊びに来て、おまんじゅうを食べさせたりしていました。勿論厳格な彼のおうちの方には内緒でしたがね」
「名前はなんていうんですか?」
「影山傳重さんです」
「その子がどうしたんですか?」
「彼に言って、社に案内してもらえないかと思ったんです」
「なるほど」
「彼なら私の言うことを聞いてくれると思うんです」
「それはいい考えですね」
「試してみますか?」
「はい、是非」
それから2人は大町八番地の屋敷に向かった。大きな門には影山という表札があり、そこから敷地内に母屋が見えた。重治はそれ以上中を覗くのがはばかられたので、その場で手持ち無沙汰になった。
「影山さん、ちょっと中へ言って声を掛けて来ますから、ここで待っててください」
すると高橋が重治を1人残して、さっさと屋敷の中へ入ってしまった。重治は数日前までは全く気にも留めなかった知らない土地に、今1人で佇んでることが妙におかしかった。どうして自分はこんなことをしているのだろうと思うと自然に笑いが込み上げて来た。しかしその一方で、このことを始めたからこそ、あのゆきに巡り合うことが出来たのだと思った。
「影山さん、連れて来ました」
それからどれくらい経っただろうか。高橋が一人の少年を連れて重治の元へ戻って来た。
「こちらが影山傳重さんです」
高橋にそう紹介されると傳重は重治に頭を下げた。重治はその少年を見て15にしては少し幼い感じがすると思った。それは身長が歳に比べて低かったことも関係していたかもしれない。
「こちらは影山重治さんです」
続いて重治も高橋に紹介されたので、重治はその少年に頭を下げた。
「それでね、傳重さん。こちらのお屋敷に社がないかとお尋ねしたいんだけど、どうだろう、そんなものがあるのかい?」
高橋は連れて来た少年に早速社のことを問い掛けた。しかし彼はその質問に明らかに動揺していた。
「別に隠すようなことでもないと思うんだけどなあ」
それでなかなか返答をしないその少年に、高橋がそう促した。
「あるのかい?」
それで最後は詰め寄る形になった。すると彼は申し訳なさそうに首を縦に振った。
「実はその社を私たちに見せて欲しいんだけど、出来るかな?」
屋敷の中に社があることがわかったので、次に高橋がそう尋ねると少年は激しく首を横に振った。
「どうして?」
しかし高橋のその質問に少年は答えなかった。
「ただ見るだけなら、特に問題はないと思うんだけどなあ」
そこで更に高橋がそう言うと、少年はやっと重い口を開いた。
「父に禁じられているんです」
「お父様に?」
「はい。あの場所には父以外が入ることが出来ないのです」
「それは傳重さんもだめだということ?」
「はい。父だけです」
「そうなんだ」
2人は少年の言葉に困った。そしてそれほどまでに秘密にされている社に却って興味が湧いた。
「あら」
その時、下駄の音が遠くから聞こえたかと思うと、そこにゆきが現れた。
「どうしてここにお二人がいらっしゃるのですか?」
「ゆきさんこそ、お宅へ帰られたんじゃないのですか?」
「帰った早々、父にお使いを頼まれたんです」
「お使いですか?」
「ええ、昭進堂さんのお菓子を傳助さんのお宅へ届けるように言われて」
「あ、あのお菓子はそのためのものだったのですね」
「ところでお二人はどうしてこのお宅に来られたのですか?」
「私がお話しした『三春天正縁起』に出て来た大町八番地の社のことは覚えていますか?」
「はい。それに大町八番はこのお宅ですね」
「ええ、それでその社を是非見てみたいと影山さんをお誘いして来たというわけです」
「すると傳重さんがその社に案内してくれるのですね」
ゆきはその場にいた傳重を優しい目で見るとそう言った。するとその途端、傳重は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。高橋は目ざとくそのことを探知すると、ゆきを味方につければ傳重が首を縦に振るのではないかと思った。
「ゆきさんも是非その社を見てみたいですよね?」
「はい」
「傳重さん、そういうことなんです。私たち2人だけではなくて、ゆきさんも是非その社を見てみたいということなんです」
「でも……」
「ゆきさんのたってのお願いでも?」
「それは……」
結局傳重はゆきの存在に負けた。そして自分でさえ1度も行ったことがないあの社の場所に彼ら3人を案内してしまったのだった。
そこは母屋からずっと奥に行った林の中にあった。傳重は林の入口までは行ったことがあったが、その奥に足を踏み入れることは固く父親から禁じられていた。
林の入口からはうっそうとした木々が見えるだけで、その奥に何があるかは皆目わからなかった。しかし何となくそれがある方向は知っていた。それで3人を連れてそちらに向かって歩を進めたのだった。
「あ、あれ屋根じゃないかな」
暫くすると高橋が声を上げた。3人が高橋の見ている方を向くとそこに何か建物があることがわかった。
「きっとあれですね」
重治がそう言うと、ゆきが微笑んで重治を見た。4人がその建物の前に到着すると、それは民家くらいの高さではあったが、奥行きは小さな社だった。
「これがあの書物にあった社だろうか」
高橋がそう言ってその建物を繁々と見ていると、ゆきが何かを見つけたらしく、建物の脇に回って屋根の方を見上げた。
「重治さん、来てください」
ゆきは重治をその場に呼んだ。
「あそこに見えるのは鳩と木瓜ではないですか?」
重治がゆきの指差すところを見ると、そこには彼のツバとゆきのかんざしに刻まれている図と同じものが掲げられていた。
「本当だ」
重治が大きな声を出すとそこに高橋と傳重が集まって来た。
「傳重さん、あの鳩と木瓜はどんな意味があるんだい?」
高橋が傳重にそう質問をしたが、彼は首を横に振るだけだった。それから傳重以外の3人はその社の周りをぐるりと回ってみた。するとその社には引き戸になった入口が1つで、そこを開ければ中に入れそうな感じだった。
「中に入ったら父に何て怒られるか」
しかしそれには傳重は決して首を縦に振らなかった。それでも高橋がその引き戸を開けようとすると、そこには鍵が掛かっているらしく、それはぴくりともしなかった。
「鍵が掛かってますね」
「では中には入れませんか?」
「ええ」
その高橋と重治のやり取りを聞くと、傳重は胸をなでおろした。
「傳重さん、ここの鍵はお父様が持ってるの?」
「はい。父が大切に管理しています。ですからそれを持ち出すことは決して出来ません」
高橋はどうしても諦められなくて傳重にそう聞いたが、返って来た答えを聞いて、社の調査はここまでだと観念した。
最初のコメントを投稿しよう!