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第13章 大火
重治とゆきが蔵の外に出ると、周りの様子は思った以上に酷かった。強い熱風が顔を初め、露出している肌に針のように襲いかかった。着物に覆われた部分でさえ痛みに近い熱さを感じた。茅葺の屋根は竜巻のように舞い上がり、それに燃え移った炎が更に火の手を拡大していた。
(行く先がまっ白い煙でまるで見えない)
重治はそう思ってそのことをゆきに伝えようとしたが、最初の一言を発しただけで喉に煙を吸い込んでしまい、その後が続かなくなった。それで仕方なくゆきの手を握り直し、火の手が弱い方へと走った。
いつしか2人は常葉から三春の方へ逃げて来ていた。三春から常葉に逃げたはずが、常葉から再び三春への道を突き進んでいたのだった。やがて2人はその炎に追いやられ、滝桜の前に連れ戻されていた。
「滝桜を囲むようにして、こんなところまで火が回って来ている」
滝桜の幹の近くに佇んだ重治は隣のゆきにそう言った。
「さっきまで一緒に逃げ回っていた人たちは大丈夫でしょうか?」
「どうだろう。みんな別れ別れになってしまいましたね」
「私たちも、知らない間にこんなところまで逃げて来てしまったのですから、他の人たちもずっと遠くまで行ってしまったのかもしれませんね」
滝桜の周りには桃の木がたくさん植えられていた。そしてその桃の木の周りにはそれらを取り囲むように梅の木が植えられていた。
「重治さん、見てください。梅と桃とこの滝桜が1度に咲いています」
それらは昨夜からの気温の上昇で、その日、いっぺんに咲き始めていた。そして炎によって照らされて月明かりの下に見事な春の色を映し出していた。
「そうですね。生まれて初めてこんな光景を目にしました」
梅の周りには紅蓮の炎が迫っていた。そして滝桜を中心とする円を次第に狭めていた。すると遂にそれは梅の木に燃え移り始めた。そしてあっという間に桃の木までも包み込んでしまった。そしていよいよ滝桜にその勢いが届こうとした時だった。それは突然魂が抜けたようにその活動を停止したのだった。
「どうにか助かりましたね、ゆきさん」
重治は胸をなで下ろしながらそう言った。しかしゆきは特に驚いた様子でもなくそこに佇んでいた。
「ゆきさん、助かったんですよ?」
「ええ」
「どうかされましたか?」
「いいえ」
「ゆきさん、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですが、私、おかしいですか?」
「だって、何か当然だというような様子に見えます」
「ええ、だってそうですから」
「それはどういう意味ですか?」
「だってここにいれば、滝桜の神様が守ってくれますから」
それで重治がその滝桜の神様はどこだろうと振り返るとそこには膝くらいの高さの祠があった。
「ああ、これですね。それでゆきさんはここまでは火が回らないと思ったのですね」
重治はそう言って、ゆきはよっぽど信心深い人なのだと思った。
「いいえ、滝桜の神様はあの幹の根元にある小さな祠の方です」
重治はゆきにそう言われて再び振り返ると、今度は滝桜の幹の根元を見た。するとそこには手のひらほどの祠があった。
「あれですか?」
「ええ」
「あんな小っちゃいんだ」
「ええ」
ゆきはそれが小っちゃいと言われて微笑んだ。
「ですから、わたしはきっと大丈夫、ここにいればきっと助かると思ったんです」
重治はどうしてゆきが「ですから」という言葉で話を始めたのか理解出来なかった。しかし、とにかく自分たちはあの小さな祠のおかげで助かったのだと思うことにした。
「ゆきさん、これからどうしますか?」
「重治さんのお宅の方はまだ炎が見えますね」
「ええ、まだ燃え盛ってるようです。今夜はとても戻れるような状態ではないと思います」
「でも、三春の方もきっと同じような状態でしょうね」
「半鐘の音は三春の方からも聞こえましたし、ここにやって来る間、やはりゆきさんのお宅の方にも火の手が上がっているのが見えました」
「高橋さんのお店はどうでしょうか?」
「どうでしょう。でも仮に大丈夫だったとしても、きっと消防組として駆り出されていると思います。高橋さんが不在の状態で、私たちが身を寄せることは難しいと思います」
「そうですね」
「ゆきさんのご家族は大丈夫かな」
「重治さんのご家族の方が心配です」
「うちは大丈夫ですよ。私たちが蔵を飛び出した時にはもう母屋には誰もいない様子でしたから」
「どこか火を避けられるところに逃れていれば良いですね」
「ええ、それよりゆきさんのご家族はゆきさんがいつ帰って来るのかと家から出られなかったんじゃないですか? それが気になっています」
「そうですね。重治さんのおっしゃる通りだと思います。きっと父は私の帰りをずっと待っていると思います。でも、私はあそこへ帰ることは出来ません」
重治はゆきの父親がゆきの家と一緒に最期を迎えてしまったのではないかと、その瞬間心臓が止まりそうになった。
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