39年前(影山一族前日談2)

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第15章 過去帳 この大火が起きる前、三春で唯一の教会で神父をしていた三浦は強い南風によって滝桜のつぼみが急に膨らみ始めたことを聞きつけ、それに合わせて開花の遅れていた梅と桃の状態を気にしていた。 神父は以前よりある親戚筋の祝言の司式を頼まれていた。それは大内惣吉の祝言だった。それでどうしても梅、桃、そして滝桜の開花の時期が気になって、そのことで惣吉に話をしようと思い、祝言の打合せの帰りに惣吉を滝桜に連れて行ったのだった。 ところが神父と惣吉はそこで男女が親しげに話している光景を目撃した。それは影山ゆきと、もう1人、三春の者ではない男だった。 「あれはまさか惣吉さんの許嫁のゆきさんではないか?」 「そのようですね」 「その隣にいるのは?」 「さて」 「惣吉さんのお知り合いではないのかな?」 「いいえ」  滝桜は噂通り、その開花の準備を始めていた。そしてその滝桜を取り巻く桃の花はつぼみを大きく膨らませていた。そしてその桃の花を取り囲む梅はその花を開き始めていた。 「今年は過ぎ越しの年だったな」  その景色を目の当たりにした三浦神父はそうつぶやいた。 「神父さん、過ぎ越しの年とは何ですか?」 「いや、独り言だ。気にせんでくれ」  それから三浦神父と惣吉は2人の後をつけた。すると2人は途中で別れたので、神父は男の方を、惣吉はゆきの後を追った。やがて神父はその男が常葉の影山重治という者だということを突き止めると、その足で大町八番地の影山傳吉の家に向かったのであった。 「ごめんください」  三浦神父は一応声を掛けたものの、家人が玄関に出て来る前に、その母屋に上がり込み、傳助の部屋へと突き進んだ。そして傳助の部屋の障子を荒々しく開けると、そこに居た傳助を鋭い眼差しで見た。 「あ、神父さん」 「いきなり来てしまって申し訳ない」 「いいえ。しかしそんなに慌ててどうされましたか?」 「北町の影山ゆきはご存知かな?」 「ええ、うちの遠い親戚にあたります。あの子が何か?」 「昨日、滝桜の下で常葉の男と逢引をしているのを目撃した」 「ほう。常葉の男と」 「常葉の影山重治という男だ」 「その男も影山という名字なのですか?」 「うん」 「それが何か?」 「滝桜が直に開花しそうなのはご存じか?」 「そう言われるとそろそろその時期ですね」 「ところが花を咲かせるのは滝桜だけではなかったのです」 「と言うと?」 「滝桜の周りに植えられた梅と桃も開花し始めていた」 「今年は梅や桃は例年より遅いようですね」 「私はそういう話をしに、ここへ来たわけではない」 「ではどんな用件でしょう?」 「梅と桃と桜が同時に咲きそうだということです!」 「うむ」 「傳助さん、過ぎ越しの年ですよ」 「あ!」 「お忘れですか?」 「そういうわけではありませんが、それはずっと語られなかったことではありませんか?」 「そうですが、私は今まさに梅と桃と桜が咲こうとしている光景の中に、寄り添う男女の姿を見てしまったのです」 「それが影山ゆきと、その影山重治ということなのですね?」 「いかにも」 「すると?」 「お宅の社にある過去帳を拝借したい」 「それをどうする気ですか?」 「その2人の男女の名前をそこに書くのです」 「何故?」 「お忘れですか? 掟だからでしょう?」 「しかしそれはずっと昔に忘れ去られた掟では?」 「忘れ去られたのではない。過ぎ越しの年に男女が恋に落ちることがなかったからでしょう」 「その辺りは定かではないが」 「定かではなかったかもしれない。しかし、今回の過ぎ越しの年には私が彼らを確かに目撃しているのです」 「しかしあそこに書いてどうなるものでもないでしょう?」 「どうにかなるものではなくとも、そこに書くことが掟であり、その決まりを守ることが義であろう」 「うむ」 「そしてあなたの家はその過去帳の管理をする役目を全うする家柄だったのではないのか?」 「うむ」 「そうであれば、是非社に案内して欲しい」 「そうか。わかった」  それで三浦神父は影山傳助に連れられてその家の敷地内にある林の奥に建てられた社に向かった。
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