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第3章 ゆき
「ゆきさん、そのかんざしって大切なものなのですか?」
重治は高橋がそこを去った後も、ずっとゆきの自宅の前で立ち話をしていた。
「これ、母の形見なんです」
「お母様の?」
「はい。母が他界する時に私にこれをと言って」
「そうだったんですか。それでしたら大切なものですね」
「影山さんは」
「はい」
するとゆきはそう言ったきり言葉を詰まらせた。
「ゆきさん、どうかされましたか?」
「なんか影山の私が影山さんなんて言うのも変ですね」
「そんなことはありませんが、どちらがどちらだかわからなくなりますね」
「でしたら、重治さんとお呼びしても宜しいですか?」
「ええ、勿論です。僕は元より図々しい性質ですから、ゆきさんとお呼びしてますし、ゆきさんがしやすいように何とでも呼んでください」
「はい」
ゆきはそう言って笑った。
「それでは重治さん」
「はい」
「重治さんのそのツバはどなたかの形見なのですか?」
「いいえ。これは形見ではありません」
「それでしたらそれはどのような?」
「今朝のことなんです。母に言われてうちの蔵の掃除をしていたんです。たまには中のものを外に出して新鮮な空気に触れさせないとだめになってしまいますからね。その時なんです。これを見つけたのは」
「それが蔵の中にあったのですか?」
「はい。何かを踏んづけてしまったと思ったら、これでした」
「それでしたらずっとその蔵の中にあったのですね」
「そうなりますね」
「いつからあったのでしょうか?」
「うーん。いつでしょうか」
「あ、それで重治さんはそれを調べに昭進堂さんへいらしたのですね」
「ええ、まあそんなところです」
そこでゆきはまた笑った。それで重治はこの娘はよく笑うお人なのだと思った。昔から男は度胸、女は愛嬌と言う。それでこの娘はきっと良い娘なのだと重治は思った。
「この辺りの歴史とか、骨董品は昭進堂の高橋さんに聞けば何でもわかると聞いたものですから」
「それで高橋さんを訪ねていらしたのですね?」
「はい」
「私も以前、このかんざしを持って高橋さんを訪ねたことがあったんです。母の大切な形見だったので、これがどういうものなのか是非知りたいと思ったんです」
「そうだったんですね」
「でもわかりませんでした。高橋さんが半紙に写し取った彫り物は鳥と木瓜の図柄だったのですが、それが何を意味するのかはわかりませんでした。でもそれが今日、鳥ではなくて鳩だとわかったんです。それだけでも嬉しいです」
「ゆきさんのお宅の家紋は何ですか?」
「実は鳩なんです」
「え!」
「重治さんのお宅は?」
「丸に木瓜です」
「すると2人の家紋を合わせると、この鳩と木瓜になるんですね」
「そうですね」
そこで2人は言葉を詰まらせて考えた。これは両家が何か深い因縁を持った家系ではないのかと。しかし、そう考えてはみたものの、それに答えが出るはずがなかった。
「高橋さん、手掛かりをつかめたかなあ」
「そうですね」
「結構張り切って行かれたから、何か当てはあるのだとは思ったのですが」
「私のかんざしの時はあれほど期待に満ちた表情はされませんでした。きっと何か思い当たるものがあるんだと思います」
「かんざしの時は鳥と木瓜の文様しかわからなかったのですか?」
「はい。それとこれが本物のべっ甲を使ったかんざしだということだけです」
「本物ということは偽物もあるんですか?」
「うちには本物しかありませんが、よく似せた偽物もあるという話を聞きました」
「偽物を作ってどうするんでしょう?」
「さあ」
「本物だと偽って売りつけるのでしょうか」
「そうかもしれませんが、このかんざしは代々母親からその娘に伝わって来たものなんです。ですから売り買いの対象ではないと思うんですが」
「と言うことは、偽物というのは偽のべっ甲を使ったかんざしではなくて、そのかんざしの偽物ということですか?」
「はい。母からはそう聞きました」
「どうしてそのかんざしの偽物を作るのでしょう?」
「どうしてかしら。でも偽物があるという話は本当のようです」
「そうなんですね」
「重治さん、そのツバにも本物と偽物があるのでしょうか」
「それはどうでしょうか。べっ甲なら価値がありますから、本物に似せて偽物を作る意味があると思いますが、ツバにはそんなことをする意味がないように思います」
「そうですね。べっ甲にこそ価値があるのですしね」
その時、母屋の方からゆきの名を呼ぶ声が聞こえた。
「ごめんなさい。うちは女手がなくって遠い親戚の人が手伝いに来てくれてるんです。ですから私も手伝わなくちゃいけないし」
「あ、そうなんですね。長居しました」
「重治さん、また何かわかりましたらご連絡頂けますか?」
「鳩と木瓜のことですね?」
「はい」
「わかりました。またご連絡を差し上げます」
重治がそう答えるとゆきは再びにこりとして母屋の方へ走って行った。
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