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―三春天正縁起―
殿が世継ぎを残されずに死去されて、その奥方が城主になられたことで、最早、三春がそのどちらかに二分されるのは必至の状態であった。ある者は時勢の流れから伊達に加担すると心を決めていたし、ある者は今の主人を立てて相馬につくと決めていた。しかし、それによって一致団結しようと誓ったあの血判状は単なる紙切れになってしまうのは明白だった。
しかし、そうは言っても、三春がそのような状態に陥ったことを喜ぶものは一人もいなかった。それで例えそれが二つに分かれても、きっといつの日か、再び一つになれると信じる気持ちが、誰の胸中にもあった。
その時、ある男が名乗り出た。それは影山彦右衛門という人だった。影山は、重鎮たちに自分が三春のかすがいになろうと言い出した。
「しかし、一度二つに分かれてしまったものを、再び一つにすることはたやすいことではありません。それは形だけでも、一度敵と味方に分かれてしまえば、自然と憎み合ってしまうからです」
重鎮たちは黙って影山の話に耳を傾けていた。
「ですから、それを元に戻すことは並大抵のことではないのです。そこで私と私の妻がその二つの派に敢えて分かれるのです。そして私たちが再び三春が一つになれるように、それぞれの立場で尽力するのです」
「貴殿らはうちの藩でも、おしどり夫婦として名高いからな」
重鎮の一人がそう言うと、他の重鎮たちも同意する声を上げた。
「仮に私たち夫婦がそれを成し遂げられなくとも、わたしたちの子孫が、三春が一つに戻れる時まで代々、この宿願が達成されるまで使命をつないで行きます」
「影山家が三春の犠牲になってくれるというのか?」
「はい」
「影として、この希望が叶うまでずっと耐え忍んでくれるというのか?」
「はい」
こうして、この話し合いは結論が出た。やがて元の影山家は二つに分裂した。一つは影山彦右衛門。その者は相馬派についた。そしてもう一つはその妻、つるが影山という名字を秘めて、伊達派に流れた。
つるはその後、女子を生んだ。そして、その女子は伊達派の中のある侍と夫婦になり、男女数人の子どもを作った。
彦右衛門はつると別れる時に、見事なかんざしを作らせ、それを影山の証だと説明した。
「私はツバを男子に受け継がせる。お前は女子にそのかんざしを受け継がせるのだ」
「はい」
「いつか三春が一つになる時が来たら、それは影山家が再び一つになる時でもあるのだ」
「あなた、このかんざしには何か細工が施されていますが」
「それに気が付いたか」
「はい」
「それは鳩と木瓜が刻まれている」
「それはどういう意味なのでしょうか」
「その文様はかんざしだけではなくて、このツバにもそれと同じものが彫られている」
「そうなんですね」
「木瓜の家紋は元々鳥の巣からかたどられている。そこでかんざしとツバに刻まれたものは鳩と巣を図にしたものなのだ。
時に、情念と訳される外国の言葉がある。そしてその言葉は、同時に受けること、被ること、更には受苦、受難という意味を持っている。それは、人の理性たるロゴスに対立するものとして、その地位を確立したのである。それはパトスという言葉である。そしてロゴスには言葉の本質があり、パトスという言葉はロゴスの働きによってはじめて生じるものだと言えよう。このパトスという言葉の意味は大和ことばの『かげ』でもある。この『かげ』は光があって初めて存在することが出来る。つまり『かげ』は一見すると相反する光と影の両義性を持っているのだ。と言うのも影は光のうつせみなのだから」
私は、そこまで読み終えると、鳩と巣という図は「パトス」の判じ絵ではないかと直感した。
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