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第6章 末裔
ゆきの母親が他界したのはゆきが10歳の時だった。その母がゆきを枕元に呼んでかんざしを手渡した日のことを、ゆきは今でもしっかりと覚えていた。ゆきは一人っ子だった。それで母がいつも大事にしていたそのかんざしはきっと自分が受け継ぐのだろうと思っていた。
そのかんざしはゆきの母がその母親から受け継いだものだった。母も一人っ子だった。それで母が幼い頃からそのかんざしを自分が受け継ぐことを予期していたという話を生前聞いたことがあったからだ。
「でもね、お母さんのお母さんには妹が1人いたのよ」
「おばあちゃんに妹がいたの?」
「ええ。そのおばあちゃんの妹はおばあちゃんと歳が離れていて、ゆきより3つ下の女の子がいるの」
「その子は何ていう名前なの?」
「舞っていうの」
「舞ちゃんか」
「でも舞ちゃんはお母さんの従妹だから、ゆきが舞ちゃんというのはおかしいのよ」
「そうなんだ。私よりちっちゃいのに、舞ちゃんて呼んだらおかしいんだ」
「ええ。そうよ」
それから随分時が経った。ゆきは21になっていた。するとゆきの母の従妹だった舞は18ということになる。ゆきの母が他界してからそのお宅とはあまり付き合いがなくなってしまったので、舞のことは風の噂程度でしか知らなかった。
「ゆきさん」
その時ゆきは後ろから声を掛けられた。ゆきは自宅から大町を通り、新町の昭進堂に向かっている途中だった。ゆきが振り返るとそこには高橋と重治が並んでこちらに向かって歩いて来るところだった。
「今、ゆきさんのお宅に伺ったところなんです。そうしたら、うちのお店にお使いに出られたと聞いたので」
「はい。父の用事で昭進堂さんに行くところでした」
「ならちょうど良いと思って急いで追い掛けて来ました」
「急いで?」
ゆきは2人の息が普通だったので本当に急いで追い掛けて来たのだろうかと思った。
「いえ、あの向こうの角を曲がったところで、ゆきさんの後ろ姿が見えたのですが、そのまま急がずに後をつけて来ました」
すると重治が高橋のことを見ながらそう答えた。
「ではお急ぎにはならなかったのですね」
「はい」
「それはお店で追いつくと思ったからですか?」
「それもありますが、ね、高橋さん」
重治に話を振られて、高橋は頭を掻いて照れ笑いをした。
「実は私たち、ゆきさんの後ろ姿に見とれていたんです」
「え?」
「それで歩みを速めずにそのままゆきさんの後をつけていたんです」
高橋が正直にそう答えるとゆきは顔を赤らめた。
「でも2人とも内緒でそんなことをしているのに気が咎めてしまって、それでやっぱりお声を掛けたんです」
「そうだったんですね。でもどれくらい声を掛けていただけなかったのですか?」
「高橋さん、どれくらいでしたか?」
「1、2分くらいでしょうか」
「あそこの角からここまでそれくらいで来られましたか?」
「では4、5分です」
「まあ、そんなに長く」
それから3人はそのまま昭進堂に向かった。昭進堂の店内には腰掛けとテーブルが用意されていて、そこでお茶と和菓子を食することが出来た。3人はそこに腰をおろすと早速昨日の続きをしゃべりだした。
「高橋さんが重治さんをお連れして私を訪ねていらしたのは、昨日のことで何かわかったからなのですね?」
「ゆきさん、その通りです。それで今朝一番に影山さんのお宅に伺ってそのことをご説明したところ、ゆきさんにも是非お知らせしたいということになったんです」
「それはかんざしとツバのお話ですね?」
「はい」
「是非お願いします」
高橋はゆきに促されて、重治に語ったことをもう一度ゆきに話した。ゆきは一通り高橋から話を聞くと暫く言葉を失っていた。
「ゆきさんと私はやっぱり親戚だったのですね。しかも元は夫婦という関係だったのです」
「はい」
「その影山彦右衛門は、いつか別れ別れになった自分たち夫婦が再び一緒になることを望んで、そして男子には刀のツバを、女子にはかんざしを受け継がせたのです」
「はい」
「すると、今こうしてゆきさんと私が出逢ったということには何か意味があるのでしょうか?」
高橋の話に重複する形で重治が語ったことは、ゆきの思考を釘付けにしていたことと同じものだった。ゆきも重治との邂逅がどのような意味があるのか自問自答していた。
「ゆきさんのあのかんざしについては、どなたからかお話を聞くことは出来ませんか?」
「母も、そして母にあれを託した祖母も既に故人です」
「そうでしたね」
「重治さんのツバはどうでしょうか。どなたかに問い合わせてみましたか?」
「父に聞いてみたのですがツバの存在自体知らないようでした」
「ご親戚の方には?」
「いいえ。うちの蔵から出て来たものだったので、父が知らないことを他の人が知るはずないだろうと思いまして」
「私の祖母に妹がいるんです。祖母とは歳が離れているのでまだ健在ですが、その大叔母に聞いたら何かわかるかもしれません」
「おばあさんの妹さんですか」
「はい」
「では今から行ってみますか?」
「どちらにお住まいですか?」
「根本です」
「少し遠いですね」
「はい」
ゆきの大叔母は昭進堂の前の道を南に進み、滝桜を越えた先に住んでいた。
「でも行ってみましょうか?」
「はい」
思い立ったが吉日。3人はそう決心すると出されたお茶にほとんど口をつけることもなくそこを後にした。
「お父様のお使いは大丈夫ですか?」
重治は心配してゆきに尋ねた。
「それならうちの家内に届けさせますから大丈夫ですよ」
すると高橋がそう答えた。季節は春を迎えようとしていた。周りの木々の景色はいよいよ本命の桜を迎える準備を始めていた。それで3人が岩ノ入に差し掛かり、そろそろ滝桜の見事な咲きっぷりを拝めるのだという話を始めた頃だった。
「そういえばゆきさん、今年は梅と桃の開花が少し遅れているようですね」
「そうなんですか?」
「ええ、いつもだったらもうとっくにそれらの花が咲き乱れている頃なのに、今年はまだお目にかかっていませんから」
「ではきっと桜と一緒に開くのではないですか?」
「そうかもしれませんね」
高橋とゆきが三春の風物を語っているので重治が少し輪の外に押しやられたような気持ちになった。
「三春の滝桜は素晴らしい咲きっぷりだと有名ですが、梅や桃と一緒に咲くこともあるんですか?」
それで重治はそんな質問を2人にしてみた。
「高橋さん、梅と桃と桜が1度に咲くことなんかあるんですか?」
すると重治の質問に沿って、ゆきもそう高橋に尋ねた。
「ゆきさんはご覧になったことはありませんか?」
「はい。もしそんな光景に出くわしたら一生忘れることがないと思います」
「だと思います。それはこの世のものとは思えないほど豪華な景色ですから」
「そんなおっしゃり方をするなんて、高橋さんはご覧になったのですね」
「はい」
「それはいつですか?」
「忘れもしない、ちょうど13年前です。でもゆきさんももうお生まれになっていたでしょう?」
「13年前というと私は8歳でした」
「でもご覧になっていない?」
「はい。母の加減が悪くなった頃でそんな心の余裕がなかったのかもしれません」
「するとお母様は長くご病気を患っていらしたのですね?」
「はい。丸2年病に伏していました」
「そうだったのですか」
「はい」
話がゆきの母の話になり、気分が沈んでしまったので、重治は再び桜の話に戻した。
「では高橋さん、13年ぶりにその豪華な景色を見られるかもしれないということなのですね」
「そうなったらいいなという希望です」
そこで高橋が笑った。そして笑ったと思った束の間、急に驚いたように前方を指差して大きな声をあげたのだった。
「滝桜ですよ」
ゆきと重治は高橋の声を合図に前方を見るとそこには大きな桜の木がそびえ立っていた。
「やっぱりすごい」
重治はゆきのその言葉に具体的には何がすごいのだろうと思ったが、それでもその表現をそのまま繰り返すしか仕方がなかった。
「うん。確かにすごい」
それから3人はいま来た道をはずれて滝桜に近寄って行った。
「もうつぼみになってますね。開花も近いなあ」
高橋が枝の先に大きく膨らんだつぼみを見てそう言った。
「高橋さん、いつ頃開花ですか?」
「そうですね、もう数日の内だと思います」
重治は高橋の数日だという言葉を聞いて嬉しくなった。それはそうなったらゆきを誘って再びここに来られると思ったからだ。そしてその時梅と桃も咲いていたらどれほど素晴らしいことかと思った。
「滝桜が開花したら3人でここに来ませんか?」
「賛成」
重治の提案にゆきは即答した。
「3人で?」
しかし高橋はゆきの許婚のことが頭を過った。それでそんな言葉が口からもれた。
「はい。3人で」
重治は出来たらゆきと2人で来たいと思った。しかし女性と2人きりで来ることをためらったので、つい三人で来ようと提案したのだった。しかしそう言った瞬間、後悔した。
「そうですね。3人でまた来ましょうか」
ただ高橋は3人で来るのであれば、例えゆきに許婚がいても問題ないだろうと判断してそう答えた。3人は名残惜しそうにその場を離れるとゆきの大叔母の家に向かった。
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