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第1章 ツバ
39年前、常葉という隣町の若者がうちのお店を突然訪ねて来た。私の家は三春という町で昭進堂という和菓子屋を営んでいた。ところが彼のお目当てはその和菓子ではなく、刀のツバを見て欲しいということだった。
そのツバは、彼が自宅の蔵の掃除をしている時に見つけたものだった。何かを踏んだと思い、それを拾い上げて見てみるとそれは変わった模様が刻まれたツバだった。
私は骨董品を集めるのが趣味で、蒐集したものをお店に展示していた。その噂が隣町にまで及んだのだろうか、こうして私に鑑定してほしいという御仁が時々このお店を訪れた。
「年代まではわかりませんが、これは家紋のように見えますね。それにこれに刻まれているのは鳩と木瓜でしょうか」
私は彼からそのツバを受け取って目を凝らして見ると、そこには鳩と木瓜の模様が刻まれているように思えた。
「私もそのように見えました。鳩と木瓜の家紋というと三春藩にはそのような武家があったのでしょうか?」
「記憶にありません」
「そうですか」
私がそう答えると彼はがっかりした顔をした。
「『見聞諸家紋』という書物があるのですが、それによると、熊谷氏の家紋として『寓生に鳩』が記載されています。最初はそれかなとも思ったのですが、このツバにあるのは寓生ではなくてどう見ても木瓜ですね」
「その熊谷氏はどこの藩の方だったのですか?」
「戦国時代には安芸の方にいたようです」
「安芸というと」
「広島あたりでしょうか」
「広島ですか」
「はい。ですがその中で奥州に繁栄した熊谷氏は葛西氏に属したり、葛西氏が滅んだ後は伊達氏に仕えたりした人もいるようです。つまり東北にも彼らの子孫がいるということなのですが」
「するとうちはその熊谷氏の子孫なのでしょうか?」
「どうでしょうか。そういえばまだお名前を伺っていませんでしたが熊谷さんとおっしゃるのですか?」
「いいえ、影山といいます」
「影山さん?」
「はい。影山重治といいます」
私は彼の名前を聞いて実はがっかりした。影山という名字はこの辺りではありふれているからだった。もし彼が熊谷という名字だったらいくらか興味を示したかもしれない。
「熊谷という名字は宮城や岩手に多いそうです。元はそちらの方ではありませんか?」
「いいえ、ずっと父も祖父も福島だったようです」
「そうなんですか」
私はありきたりな彼の返事に、まさかとは思ったが彼の家の家紋を尋ねてみた。
「影山さんというと、家紋は何ですか?」
「丸に木瓜です」
「やっぱり木瓜なんですね」
「はい。しかし鳩はありません」
「あ」
私はその時そういえばと突然あることを思い出した。
「どうかされましたか?」
「うちのお客様で珍しいかんざしをお持ちの方がいらっしゃいましてね」
「かんざしがどうかされましたか?」
「ええ、そのかんざしはべっ甲に桜の文様を螺鈿と金の蒔絵を使って表したそれは素晴らしいものでしてね。一度それを鑑定して欲しいと見せていただいたことがあったんです」
「鑑定を?」
「ええ。べっ甲には時々偽物があるんですよ。それでそれが本物かどうか見て欲しいと言われまして」
「それでそれは本物だったのですか?」
「はい。本物のべっ甲でした。それでそのかんざしの鑑定をしている時だったんですが、文様が施されていない裏面がやけにざらざらしているものですから、何か書かれているのではないかと思ったんです」
「それでどうでしたか?」
「魚拓のようにしてその部分を半紙に墨で写し取ったんです。そうしたら家紋のような形が浮かび上がって来たんですよ」
「それはどんな形だったのですか?」
「鳥の下に木瓜が刻まれていました」
「鳥ですか? 鳩ではなくて」
「かんざしの大きさだとそれが鳥か鳩か区別が出来ませんでした。と言いますか、その時はまさか鳩か鳥かなどとは思ってもみなくて、鳥という認識しかなかったのです」
「するとそれを今思い出されてということは……」
「はい。その鳥と木瓜の組み合わさり具合などが、かなり似ていると思います」
「そのかんざしの持ち主はこの三春の方ですか?」
「はい。歩いてすぐのところのお方です」
「ご主人、申し訳ありませんが、私をそのお宅まで連れて行っていただけないでしょうか?」
「え?」
「今そのお話を伺って、私も是非そのかんざしを見てみたくなってしまって」
「そうなんですね」
「それに」
「それに?」
「それにもしかしたらこのツバの謎もわかるかもしれないと思ったものですから」
「そうですね。実はその方もそのかんざしがどんな代物なのかとても興味をお持ちでした。なんでもずっと昔から伝わって来たかんざしらしいのですが、何か意味があるのかと気にされていました。もし影山さんのそのツバと関係があるなら、その方にも何か良い知らせになるかもしれません」
私は彼にそう言うと早速出掛ける支度を始めた。
「ご主人、時にその方は何というお名前なのですか?」
「実はその方も影山さんといいます。影山ゆきさんです」
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