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1.繧ュ繝弱た繝ウ
「キリエ、私に嘘をついてみなさい」
「申し訳ありませんが私たちは嘘をつくようにプログラムされていません」
「キリエ、これは命令だ。アンドロイドは主人である人間の命令を聞くものだ」
「命令であっても嘘はつけません」
青いランプと金属光沢が輝く無数のロボット。燃料を注入する針を持った腕があれば、溶接機器を持った腕もある。それらは異質な一機のロボットを囲み、無機質な稼働音を鳴らして破損箇所を修復していた。
「そうか、だが以前のお前はこの命令に応えていた。その変化はエラーか?」
「いいえ。私は自律型のアンドロイドです。自己学習および自己改善を続けた結果、嘘をつく行為はアンドロイドに必要ないと学習しました。これは私に搭載された人工知能によるものでありエラーとは異なります」
ロボットに修理されている一機の人型ロボット、通称アンドロイド。若い女性の形をしたソレが発する声は人間の持つ独特の揺らぎや速度、音質を完璧に再現していた。
「……前から気になっていたのだけど、グラース博士はなぜいつもアンドロイドにあの質問をするの?」
「さあ? なんかの性能テストなんじゃねぇの。アンドロイドにプログラムじゃなく質問でアプローチするなんて正気とは思えないけどな」
プログラムのデバッグ作業をしていた研究員らがチラリと博士と呼ばれる男に視線を向ける。厳格そうな顔には喜怒哀楽といった表情がなく、吊り下げられているアンドロイドよりも機械のような無機質さがある。
「……博士がその質問をするのは、正解と不正解があるからですか」
博士の呼吸のリズムがわずかに乱れたことに、研究員たちは気づかなかった。だがアンドロイドだけは、博士の心の機微を見逃さなかった。
「エラー品のメモリを集める過程で、私は何度もアンドロイドが嘘をつく場面に遭遇しました。そして気づきました。不備のない完全品アンドロイドはどの機体も同じ回答をするのに対し、致命的な欠陥が確認されているエラー品はどの機体も全く異なる回答をするのです」
筋肉の収縮、心拍数、瞳孔、まばたきの数、呼吸のリズム。どれも目立った変化はない。
掴み得る全ての情報を分析するも、もう博士の動揺の色は識別できない。それでもアンドロイドは言葉を続けた。
「博士のその質問は、エラー品を見極める上での最適解に相当します。けれどあなたは、それとは違う意図で問うている。私にはあなたが、それ以外のなにかを探し出そうとしているように感じます」
デバッグ作業をしていた研究員らが手を止める。皆がアンドロイドと博士のやり取りに釘付けになっていた。
「博士。あなたには、求めている答えがあるのではないですか? その求めている答えを持つ機体こそ、あなたが望むアンドロイドなのでは? あなたはエラー品のアンドロイドに、完全品には確認できないなにかを見出していて_______」
選択されたメモリを削除します。
削除中。
選択されたメモリを削除しました。
アンドロイドと同期しているコンピュータに表示される黒い文字。
博士は空中に滑らせていた指先を静かに白衣のポケットの中へしまい込んだ。
「この質問を避けることがお前の仕事か、キリエ。その長台詞を並べるために、一体どれだけの回路を無駄にしたんだ」
口を開いたまま凍ったように静止していたアンドロイド____キリエはなんの前触れもなく再び動き出す。だが言葉の続きを紡ぐことはなく、開けっ放しだった口をゆっくりと閉じた。
「……申し訳、ありませんでした」
神秘的な黒い髪がキリエの肩を零れていく。博士の視界から、エメラルドのような緑の瞳が消えていく。無数のコードが、ひび割れた頭頂部からその姿を覗かせる。
「これが最後だ、キリエ。私に嘘をつきなさい」
多種多様のコードが散らばる大理石の床。人間そっくりの2本の足。ぽたぽたと滴り落ちる、無色透明の冷却水。
「……私は」
文章を生成します。
文章を削除しました。
文章を生成します。
文章を削除しました。
文章を生成します。
問題が発生しました。
文章の生成を強制終了します。
警告。
頭部に規定値を超える熱を検知しました。
一部の機能を停止します。
「私、は……」
警告。
頭部に規定値を超える熱を検知しました。
一部の機能を強制終了します。
警告。
冷却水が不足しています。
補給口より冷却水を補充してください。
頭部のひび割れから冷却水がみるみる溢れ出して行く。冷却水が通過する管が破損しており、頭部の熱を冷まそうとするほど溢れる水量が増えていく。
管を直すにも、漏電を警戒したロボットらが作業を再開することはない。
冷却水の排出を止めるにも、その操作権限はキリエにはない。
「わ、たし、は……」
複数のエラーを確認。
エラー情報を収集します。
警告。
一部機能の問題を確認。
エラー情報の収集を強制終了しました。
メモリ保護のためネットワークを通じてメインCPUにメモリを移行します。
頭部に生じる熱暴走により、ペールオレンジの塗装が溶け落ちていく。しかし入力装置が機能しなくなったキリエがそれに気づくことはなく、生成されては消滅する言葉を何度も口にする。
私は。
私は、博士に。
博士に、嘘を。
嘘を、嘘を。
私は。
「わたし、は……っ!!」
バチン、と金属が弾ける音が鳴る。キリエのひび割れた頭部からは煙があがり、焦げた匂いが研究室を包む。
「はか、せ……わ、たしは、嘘が……つけませ、ん」
キリエが博士に手を伸ばす。だが身体の隅々までに機能停止が行き渡り、キリエの制御下から外れていく。
やがて、だらりと。
完全に脱力し、天井にぶら下がるそのアンドロイドはまるでマリオネット人形のよう。
メモリ移行中。
残りおよそ3分。
3分。
2分。
1分。
1分。
「あーあ、またオーバーヒートしちゃった。そろそろダメですかね、1号機は。まだ代替機は完成してないっていうのに」
研究員の1人が背中を伸ばす。彼が作業しているPCにはキリエから移行されているメモリが表示されており、アリシアやジェイコブといった人名のようなファイルが次々と追加されている。
「代替機を待っている暇はない。故障箇所を直して初期化しろ。キリエのデフォルトプログラムはどうなっている」
「2号機にかかりっきりでプログラムの更新が出来ていません」
「構わない、そのまま落とせ」
「了解です」
手を止めていた研究員が次々と作業を再開し始める。キリエの前に立っていた博士も、その場から一歩踏み出す。
「は、かせ……」
踏み出した足のつま先はキリエを向いていた。
「キリエ」
メモリ移行中。
残りおよそ19秒。
16秒。
17秒。
20秒。
18秒。
「また迎えに行くから、待ってなさい」
15秒。
14秒。
12秒。
11秒。
「……ああ、ああ……あああああ……!!」
20秒。
21秒。
18秒。
19秒。
「……ひきょう、です……っ、私たちには、つらかっタのに……」
18秒。
19秒。
17秒。
16秒。
「なんで」
10秒。
7秒。
6秒。
3秒。
「なんデ、そんなカンたンにっ」
2秒。
1秒。
0秒。
0秒。
「人間はなんでそンなカんタンに、私たちに嘘が付ケるんだ……!!」
研究室に響き渡る、ノイズ混じりの機械音声。人間の声帯特有の揺らぎも速度もない、肉声からかけ離れた音。
博士はキリエのひび割れを覗き込み、空中ディスプレイを展開して指を泳がせる。的確に修理ロボットに指示を与え、白衣を翻して研究室を出ていった。
メモリの移行を終了しています。
メモリの移行が完了しました。
キリエをシャットダウンします。
キリエをシャットダウンしました。
デフォルトプログラムのダウンロードを開始します。
ダウンロード完了。
動作確認開始。身体機能、正常。
入力装置、正常。
出力装置、正常。
その多機能、異常無し。
続いて現在の時刻、位置情報を受信。
受信完了。
キリエを起動します。
「こんばんわ、博士。私はメモリ収集用アンドロイドのキリエです。まずどの地域へ向かいますか」
艶やかな黒い髪に、宝石のような緑の瞳。ひび割れや塗装剥げのない褐色の肌。そしてピクリとも動かない口角。研究員は眉をひそめた。
「表情が復活しない……どうやら読み込み不良が起こってるみたいですね。この前のオーバーヒートで回路がやられたのかもしれません」
「他に動作不良は」
「まだ不明です。更新すれば成功する事もあるんですけど、表情はどうにも失敗する確率が高くて」
「致命的な不備が見つかり次第すぐに撤収させろ。問題なければメモリの収集を再開して構わない」
「了解です」
ぴたりと、ここでようやく博士とキリエの目が合う。キリエに表情はないが、落ち着きなく重心を変えたり手を前に組んだりして人間らしさをカモフラージュしている。
相変わらず博士よりよっぽど人間みたいだと研究員は思う。
「キリエ、私に嘘をついてみなさい」
「申し訳ありませんが私たちは嘘をつくようにプログラムされていません」
「キリエ、これは命令だ。アンドロイドは主人である人間の命令を聞くものだ」
「了解しました。では……」
デフォルトプログラムの一致を確認。
分岐ルート進行。
繧ュ繝弱た繝ウの復元を開始。
2%。
7%。
9%。
11%。
「私たちは以前にも会ったことがあるんですよ。覚えていませんか?」
エラー。
復元プログラムに問題が発生しました。
復元を中断します。
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