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運転席に人が座っていない車から、白衣を着た一人の男が降りてくる。
待機していたキリエが荷物を受け取ろうとすると、男はいいよいいよとジェスチャーして車から降りた。
「久しぶりだねキリエ、随分とお疲れの様子だ」
「アンドロイドは疲れを感じません」
「ああ、そういえばそうだっけ」
「そうです。あと、お久しぶりです。テルザさん」
特徴的なタレ目をしている男、テルザがやさしい笑みを浮かべる。「ここらで美味しいカフェってある?」という彼の言葉はもう聞き慣れていた。
「この音楽ファイルを、このメモ通りにネットにあげていけばいいんだね。任せて、僕は博士の三番弟子だからね。プログラミングなんてお手の物だよ」
「ありがとうございます。ただ、あと同じような作業を1885回お願いしたくて」
「せんッ……!?」
無線でストーリーから受け取ったファイルの中には、ストーリーが書いたとされるメモと1886もの音楽ファイルが入っていた。メモは機械語で記された指示文で埋め尽くされており、人間じみたストーリーもやはりアンドロイドには違いないのだと突きつけられるほどに、その文面は無機質なものだった。
「あれ、これ曲名が同じのがいくつもあるね」
「私もそれが気になっていました。保険として同じファイルを送ったのかと思ったのですが、微妙にどのファイルも違うところがあるんです。私にはこの意味が分からなくて」
「あー……たしかに、これはアンドロイドが理解するには難しいかもね」
「テルザさんには、分かるんですか?」
添付されていた1886の音楽ファイルはほとんど曲名が被っていて、楽曲自体の種類はそう多くなかった。だが名前が同じとあれど中身には僅かな違いがあり、メモにはそれらを全く別のものとして扱うようにと記されていた。
「人間は全く同じ演奏をできないからね、きっとストーリーはそれを再現しようとしたんだよ。いわゆる"クセ"ってやつ」
「クセ?」
「そう。人間にはあって、機械にはないもの。それがクセ」
メモを翻訳し、テルザはそれに書かれている指示文をプログラミングコードに落とし込んだ。
公開場所、公開日時、公開するアカウントに公開するウェブサイト。楽曲ひとつひとつにあること細い指示。
テルザは頭をかきながら、浮遊する見えないキーボードを叩いた。
「それにしても、君からこんなお願いをしてくるなんて思わなかったよ。君はあくまでメモリ収集用アンドロイドなのに」
「命令とは無関係な活動をしてしまい申し訳ありません」
「ああごめんごめん、責めてない責めてない。ちょっと気になっただけだよ、君はどこまで人間らしくなるのかなって」
「私はアンドロイドです」
____それにしてもあなた、まるで機械みたいね。無愛想過ぎて少し怖いわ。
____久々のアンドロイドのお客様だってのに、全然アンドロイドらしくねぇ。
____人よりアンドロイドと接する機会の方が多いからだろうけど、そのままじゃ『人らしさ』が消えてロボットっぽくなるよ。
機械のようだと言われたり、アンドロイドらしくないと言われたり、『人らしさ』が消えると言われたり。
どうして私は、いつも何者かに分類されようとしているのだろう。
「確かに、君の体はアンドロイドだよ。でも君は他のアンドロイドよりも人間寄りに作られてる。それがエラー品の影響を受けてどう変化するのか僕は興味があるんだ」
「興味……? 私はなにか特異な変化をするんですか?」
「さあ、それは誰にも分からない。でも君は前代未聞のアンドロイド。限りなく人間に近づくようにプログラムされている。言っちゃえば、君はエラー品なのがデフォルトなんだよ。それが辿る末路が『人間』なのか『ロボット』なのか、僕は知りたい」
研究所から出る時も、キリエはグラース博士に同じ説明されていた。エラー品に同調できるように、お前にはエラー品と同じようなプログラムを組んでいる、と。
そのためキリエはどれだけアンドロイドとかけ離れたことをしても、自分がエラー品だと疑うようなことはしなかった。自分の素性を知る人には必ず、これが正常だと言われ続けたからである。
けれど、テルザの言葉を受けて考えてしまう。日々エラー品の学習を繰り返しているアンドロイドは、何に近づくのだろうかと。
***
「テルザさん。今日はありがとうございました」
「いやいや、こっちこそごめんね。本当は君のメンテナンスとかストレスチェックとかもする予定だったのに」
「セルフメンテナンスは欠かさず行っていますので問題ありません。機体にもあまり負荷をかけないようにしていますので」
「うーん、さすが僕が書いたコミュニケーションプログラム。アンドロイドジョークが上手いなぁ」
膨大な作業を3日がかりで取り掛かっていたため、テルザの目の下には真っ黒なクマができていた。
握手していた手を離し、遠ざかっていく車をじっと見つめて送る。表情は今日も不調だった。
車が見えなくなるほど小さくなった頃に、キリエはようやくその場を動き出した。アンドロイドの目撃情報を追って、次の町へのルートを検索する。
「ストーリーのあれ、聴いた?」
「聴いた聴いた。俺てっきりストーリーはとっくの昔に壊されたもんだと思ってたよ」
「私も私も。でもあれ、本当にストーリーが作ったのかな。誰かがAI使って名前騙ってたりして」
「でもストーリーのマネージャーが本物って名言してんだろ? 疑うだけ野暮じゃないか?」
通りすがった人が『ストーリー』という名前を発する度に、キリエの頭に彼女の言葉が蘇る。
無線越しに聞いた音のない声が。
楽しいを教えてくれた声が。
どれだけ年月が経とうとも忘れようのない声が。
____ありがとう。
私が生きていると、嘘をつかせてくれて。
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