2.ユリシーズ

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2.ユリシーズ

広い芝生と共に柵に囲まれた家がずらりと並んだ住宅街。そのうちのひとつ、青い扉が佇む豪邸のベルを押す。 犬小屋から顔を覗かせてるレトリバーを模したロボットは、訪問者へ向かってグルルルルと機械音声を鳴らした。 「……どちら様」 「はじめまして、私はアンドロイドのメモリ保存活動に従事しているキリエと言うものです。あなたが所持するアンドロイドのメモリを回収しに参りました」 キリエの頬の色が変化し、『IxMC-107』と無機質な文字が青白く光る。 製造されたアンドロイドの頬には機種名を刻むよう義務付けられている。つまりこの刻印はキリエがアンドロイドであることの証明であった。 「メモリ保存活動……?」 「はい。セカンドライフプロジェクト、という名称はご存知ないでしょうか。政府に追われたエラー品の第2の人生を提供する計画です」 「……セカンドライフ……噂には聞いたことがあったけれど、都市伝説じゃなかったのね。白昼堂々とアンドロイドを歩かせるなんて、随分と反社会的な組織じゃない」 くしゃくしゃに絡まったブラウンの髪。溜まった油分によって荒れた肌。落窪んだ双眼。湿気が充満している玄関。 女性は腕を組み、壁にもたれかかった。 「帰って。ここにアンドロイドなんかのメモリはないわ」 ギルダ・アシュトン。 ミシガン州の販売店にて、彼女の主人が子供型のアンドロイドを購入した履歴あり。 「懐疑心を抱く気持ちは分かります。しかし我々はエラーを起こしたアンドロイドの根絶を避け、彼らの意思を尊重し、彼らのあるべき居場所を提供したいのです。どうか話を聞いてください」 「聞くも何も、メモリがなきゃ意味がない話でしょ? 確かにアンドロイドはこの家にも居たけれどとっくに主人が破壊しているわ」 ギルダが青い玄関の扉を見やる。キリエも目を向けると、そこには爪で引っ掻いたような痕が何本もあった。わずかだが、爪痕にはアンドロイドの機体を構成しているプラスチック破片が残っている。 「ご主人が自ら、ですか? この場所でアンドロイドを?」 「そう。本当は部屋で壊そうと思ったんだけど、逃げたのよ」 「破壊したアンドロイドの機体はどこに?」 「解体して警察に引き取ってもらったわ。そうしないとあなたみたいに取り立てに来るんだもの」 致命的な欠陥を持ったアンドロイドはエラー品と呼ばれ、アメリカ全域で回収作業が行われている。隠す、逃がす、匿うことをすれば罰金がかかり、最悪の場合所有者の逮捕も有り得る。 「念の為回収証明書を見せて頂いても?」 「あら、観覧料を取るつもりはなかったのだけど」 ギルダが玄関の外にあるポストを指さす。スコープ機能を起動して確認すると、確かにポストには市が発行した回収証明書が乱雑にテープで貼られていた。 「驚きました。子供型アンドロイドは他シリーズと比べて回収率が低いんです。警察と揉め事を起こすケースも少なくない。でも、あっさりと手放せてしまえるものなんですね」 「薄情な人間と言いたいの?」 「とんでもない。あなたは国思いの良い人です」 一瞬、ギルダの瞼が震える。キリエはその動きを見逃さなかった。だが、その震えがなにを意味しているのかは分からない。 「もう帰ってくれる? お茶をねだるアンドロイドなんて聞いたことないわ」 「アンドロイドは食べ物を必要としません。動力源は液体燃料でまかなっています」 「私が言いたいことが分からないみたいね。あなたこそエラー品なんじゃない? 学習能力が足りないわ」 「私は世界が誇る技術を結集して造られたアンドロイドです。学習機能や情報収集機能、未来予測機能は他のアンドロイドとは一線を画すスペックです。現に私はあなたの健康状態や身体状況などが細かに分析でき_____」 「帰れって言ってるの。アンドロイド警察に通報するわよ」 ギルダの声音が低くなる。だがキリエの表情は変わらず、呑気にぐるりと周囲を見渡している。 正面を除く三方向は家に囲まれている。この家の玄関を覗き込むことが可能な窓はそのうち2枚だけ。 それを確認してから、キリエはギルダに視線合わせた。 「了解しました。失礼します」 見たことのない後ろ姿に、見たことのない歩き方。だがそれは個性的という意味ではない。 ギルダはその後ろ姿を一瞥してからすぐに青い扉を閉ざし、ガチャリと鍵を捻った。 「……二度と会えないだなんて、死んでるのと同じじゃない」 2階への階段を登り、天井から垂れている1本の紐を引っ張る。すると一部の天井が外れ、隙間からハシゴから滑り落ちていく。 ギルダはそのハシゴを登り、ホコリひとつない天井裏へと足を踏み入れた。 「ねぇ、ユリシーズ。あなたもそう思うわよね」 その天井裏には少年の首が置かれていた。切断された首からはちぎれたコードがぶら下がっている。 ギルダがその首を愛おしそうに抱えるも、燃料が枯渇しているアンドロイドが動き出すことは無い。 返事が帰ってこないのも当然のことだった。 ~~~~~~~~ topic1 リアルはバーチャル?? 無人自動運転。空中ディスプレイ。完全人型アンドロイド。科学技術の発展により不可能が可能となる昨今、とあるプロジェクトが話題になっている。それは我々の生きる現実世界をコンピュータ上のデジタル空間に完全再現するという、セカンドアースプロジェクトである。元は3人の少年らによって始められたプロジェクトだが、現在も世界各地の有志者によって開発が進められている。 話は変わるが、100年前に生きた哲学者はこんな仮説を立てている。『この世界は実際に存在するものではなく、コンピュータに繋げられた脳が見せられている幻覚ではないか』と。一見現実味のない仮説だが、厄介なことにこの仮説を完全否定する手段はない。むしろ驚くことに、この説を証明する手段が浮上してきているのだ。 世界がデジタル空間に再現されようとしている今、もし我々の意識をデジタル空間にリンクさせることができれば。水槽に浮かされている脳みそではなくコンピュータ側になることが出来れば。否定する人間全てを水槽にぶち込むことで証明することができよう。
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