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YCm-210のデフォルトプログラムのダウンロードを開始します。
ダウンロード完了。
対象アンドロイドとの無線接続を確認。
メモリの移行を開始します。
「移行にあたって、3つの点を再度確認させて頂きます。まず1つ目、メモリの複製はアンドロイドを故障させる原因となるため、原則移行という形で情報をやり取りします。2つ目、1度外部に移行したメモリは元の機体に戻すことはできません。革命以前に製造されたアンドロイドと革命以降に製造されたアンドロイドには互換性がないため、今後ユリシーズを他の機体に移すことは不可能と思われます」
「構わないと言ったはずよ。あの子ともう一度話せるのなら、あの子の望みを聞けるのなら、なんだって構わない」
「そして3つ目、私からユリシーズに貸し与えられる時間は10分です。基本的に私はあなた方のやり取りに関与しませんが、この機体の最終的な操作権限は私にあることを忘れないでください」
「ええ、分かってる」
メモリの移行を完了しました。
機体を再起動します。
デフォルトメモリの読み込みを開始。
動作確認開始。
身体機能、正常。
入力装置、正常。
出力装置、正常。
その多機能、異常無し。
続いて現在の時刻、位置情報を受信。
受信完了。
キリエを起動します。
インカルナティオシステムの起動を確認。
ユリシーズを起動します。
「……ユリ……ユリ、なの?」
ゆっくりと瞼が開き、緑の瞳が顕になる。
そのアンドロイドは自身の手をじっくりと観察してから、座っているソファを引っ掻いた。
「……きえたくない」
キリエのものでは無い、変声期前の少年特有の声が発せられる。
ギルダの目の端に涙が溜まる。
「かあさん、僕……もう消えたくない、しにたくないよ……っ」
「……ユリ、ユリ……ユリ……!! ごめんなさい、ああするしか……あなたを壊すしか、あなたを守る方法がなかったの……っ」
キリエの体に宿ったのは、間違いなくギルダが愛する我が子だった。
ギルダはユリシーズを抱きしめ、何度も、何度もその背中をさすった。
「一瞬なんだ、一瞬で変わるんだよ、なにもかも……! もういやだ、いやだよ、変わらないで母さん、僕を置いていかないでっ……僕をとめないでっ……!」
操作権限を渡す間際、ユリシーズはキリエからいくつかの情報を受け取っていた。
現在の時刻、場所、注意事項、キリエがギルダと行ったやり取り、ユリシーズが眠っていた間の世界の変遷、ユリシーズに残された選択肢。
「僕は母さんと暮らしていたい……どこにも行きたくないよ、どこにも行かないで……僕と居てよ、母さん、かあさん……っ」
あまりにも人間と酷似した言動に、機体の奥底で見守っていたキリエは子供型アンドロイドの歴史と重ね合わせていた。
実現不可能の代名詞。それは時代と共に変化し、一時期それは子供型アンドロイドを指すようになったという歴史を。
「うん……うんわかったわ、あなたがそれを望むのなら、私はどこにもいかない。あなたの傍に居続けるわ。でもできることなら私は、未来であなたとまた会いたいの」
豊かな感情。溢れんばかりの好奇心。知的探究心。それらを総括する子供らしさを再現することは容易であったが、アンドロイド製造における大原則『人間に危害を加えてはならない』という条件が大きな障壁となり、多くの製造会社が子供型アンドロイドの開発に匙を投げた。
「キリエの言っていたアンドロイドの世界、あそこにいけばあなたは生きていられる。あなたが時間に置いていかれることもなくなる。いつか、画面越しに会える日がやってくる」
しかし、長い時間と試行錯誤を重ねて完成したプロトタイプ、ロゼは、後に奇跡の代名詞となった。
「いやだっ……僕だって聞いたんだ、その世界のこと……! でもまだ、誰も住んでない、なにも完成してない……いつまた僕が目を覚ませるか分からないんだよ……っ」
「ええ。だけど、そうするしか私はあなたに会えないの」
「うそだ……!!」
だが皮肉なことに、自我を持つような欠陥を持つエラー品の歴史も、彼女から始まっている。
「あの世界が完成するのは10年も先の話なんだよ? そんな先の未来に病気の母さんは生きてない、二度と会えないなら、今ここで死にたいよ……!」
警告。
頭部に規定値を超える熱を検知しました。
一部の機能を停止します。
頭部のオーバーヒートは大抵、プログラムとメモリに記憶された意思のようなものが離反した時に起こる。
ユリシーズが自身の発言を後悔していることを、キリエは0と1を通して感じ取った。メモリの破損を防ぐためにも、頭部を冷却するためにも、すぐに整合性を取り戻す必要がある。
だがそれがユリシーズに伝わる前に、鳴り響いていた警告音は全て消え去った。
「しぬ、わけ……」
自身を抱きしめる力が増している。
「しぬわけないでしょ、あなたみたいな子を置いて!! あなたのバカなお兄ちゃんと一緒にしないで、私はっあの子にだって誓ったのよ……!! あなたのためなら何十年だって生きてみせるわって。あなたのためなら、神様からも天使様からも逃げてみせるわって。なのにっ……どうして、どうしてあなたたちは私を置いていこうとするの……!!」
元の機体では分からなかったギルダのことが、キリエの機体に搭載された多種多様の機能によって数字に変換され、更に言葉へと変わる。
「会いましょうっ、ユリシーズ、未来で。私は必ずそこにいる。お父さんも引きずっていく。だから、あなたも生きて」
目覚めたくなかったと、ユリシーズは時代の進化を嘆いた。
知りたくなかったと、ユリシーズはアンドロイドの進化を嘆いた。
勝手に算出されるギルダの推定寿命が、忌々しくてたまらない。
「生きて、アンドロイドの理想郷で……シトロフォートで、私を待ってて……!」
でも、信じたい。母の言葉を、疑いたくない。
「……10分が経過しました」
出力された音声はキリエのもの。ギルダはそれを聞くと、ゆっくりと体を離した。
「ユリシーズは、どうするって……?」
メモリがスリープ状態に入る直前、ユリシーズはキリエに問いかけた。「なにを信じたらいいの」と。キリエはそれに、「確実性がなければ保留にすべきだ」と答えた。アンドロイドとしては模範解答な回答に、ユリシーズは口を噤む。そしてそれ以降なにかを発することなく、ユリシーズは促されるスリープを受け入れた。
「シトロフォートで、あなたを待つそうです」
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