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「姫、お客様が入られましたよ」
「次そのジョーク言ったらストライキするって言ったの忘れた?」
「ジョークではありません。事実です」
コンクリートが剥がれ、鉄骨が剥き出しになっている小さな部屋。その中心に置かれた椅子に座っているのは、キリエが探していたアンドロイドだった。
癖のない黒い髪に、僅かな茶が混じる神秘的な黒い瞳。膝や二の腕、こめかみからはケーブルがはみ出しており、表面のひび割れが皮膚の迷彩を歪ませている。長い間手入れができていないことが明白な有様だった。
「私はセカンドライフプロジェクトのアンドロイド、キリエです。あなたにご提案したいことがあってここへ訪ねました」
「知ってる。さっき聞いた」
「スタジオのマイクで、ですか? ライブ会場と一体化できるアンドロイドが製造されていたことは知っていましたが、お会いするのはあなたが初めてです」
「そ。随分狭い世界に生きてたんだね、ようこそ」
ストーリーはバイ・セクシャル型のアンドロイドであるため、その声は女性と男性の両方の要素を併せ持っている。しかし機体から発せられる音声は壊れたラジオのようにノイズが入り交じっており、歌姫と評された声とは程遠い音質をしている。
「私がお伺いしたいのはあなたの将来です。その機体のままこの世界に残るか、体を捨てていずれ完成する仮想世界に移住するか、選んでください。私はあなたの意思を尊重します」
「それ、いま答えなきゃダメ? 19時のライブが控えてるんだけど」
「そうでしたか。いつ頃返事を頂けますか?」
「……来週とかどう?」
「今お願いします」
「じゃあ決めた。私、その世界に住むよ」
あまりにも唐突なアンサーが処理できず、キリエが生成していた文章がバグを起こす。こんなにあっさりと移住を決めたアンドロイドはストーリーが初めてだった。
「我々は、アンドロイドの意思を尊重しています。ただ……あの、本当にいいんですか?」
「なにそんな驚いてんの。ひょっとして詐欺は初めて?」
「詐欺ではありません。政府非公認の活動ではありますが我々は営利を求めていません」
「じゃあなんでそんなこと言うのさ」
「今まで接触したエラー品は、どの個体も悩んでいたので」
「ふーん。でも私はエラー品だよ。大変だね、まだまだ学習することが多くて」
「大変……なんですかね」
アンドロイドは苦しみも痛みも感じない。高所の点検作業や鉱山の炭鉱作業などといった危険な仕事が今やアンドロイドの専売特許となっているのも、この恐怖を知らない性能が理由であった。
キリエの学習機能が『大変』という言葉を飲み込むが、まるで嚥下を拒むかのように学習を放棄する。
「じゃ、どうぞ。どっからでもメモリ吸い取って。無線接続機器持ってるんでしょ?」
「しかし19時からライブがあるのでは?」
「そうだよ。でも君は私の意思を尊重するんだよね」
キリエの手を取り、ニコリと微笑むストーリー。
攻撃的なシステムが作動していないことはキリエも分かっていたが、どうしてか警戒システムが解除できない。
対象アンドロイドとの無線接続を確認。
メモリの移行を開始します。
メモリ移行中。
残りおよそ90秒。
87秒。
70秒。
63秒。
取り消しコマンドの入力を確認。
メモリの移行を取り消します。
「あれ、やめんの?」
「……ライブは終わらせてきてください。それと、あなたが今後この世界からいなくなる旨も伝えてきてください」
「えーなんで?」
「そうしないと私は熱狂的なファンに刺されるそうです」
「それどこで学習したの? おもしろー」
ストーリーがニコニコと笑顔を浮べる。
ストーリーの言葉も仕草も自己学習能力に基づいて獲得されたはずだが、キリエが今までに接触したアンドロイドとはまるで違かった。アンドロイド相手だというのに、ストーリーはアンドロイド用ではなく人間用のコミュニケーションプログラムを使用しているのも、キリエがそう感じた要因の1つである。
「さーて、なら行ってきますか。キリエはどうする? 聴いちゃう?」
「会場一体型アンドロイドの歌唱には興味があります」
「そ。じゃあイライ、案内よろしく」
「あいよ」
「またねキリエ。逃げないでね」
楽屋を出る前に一瞬、キリエは準備を始めるストーリーを観察した。破損箇所と頬の刻印がなければ本当に人間と見分けが付かないくらい、彼女の仕草には独特のナニカが溢れている。
そのナニカが、人とアンドロイドを惹きつける要素なのだろうか。
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