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 二人分の体温で温まったベッドの温度。ドライヤーまで丁寧にかけられた髪を丁寧に梳く指先の感触。私はこの時間が好きだ。時間という概念すらどろどろに溶け出してあやふやになっているようなこの時間が。まるでダリが描いた時計みたい。あの絵のタイトルはなんだったか。何だかの固執? 何に固執しているというのだろう。 「……かわいいね、きみ」  ぼんやりと私を眺めながら、彼はそんなことをかさついた声で呟いた。指先が耳の縁を掠める。賛辞の声を受け止めるたびに気恥ずかしくなってしまうが、こんなことを言うのもいつものことだ。ただ、ベッドの中では少し数が多くなるってだけ。 「おかげさまで。あなたも、かわいいよ」 「僕も? ……ふふ、おかげさまで、ね」  ぎしりと軋んだ音の後に、額へ柔らかいキスが降ってきた。愛に満ちたそれは少しくすぐったい。  それぞれの部屋にそれぞれのベッドはあるものの、いつの間にかタイミングさえ合えば二人で眠るようになっていた。元々彼のベッドは身長に合わせて大きめだったし、どうせならということで横幅もかなり広いベッドを買っていた過去の彼には感謝しかない。二人でベッドに入ると寝つけずに悶々とすることもなく、朝のアラームが鳴るまで起きることもないのだ。びっくりするほど安眠効果抜群でできれば毎日こうしたいのだが、元々夜型な彼と朝から授業のある私ではそうもいかない。 「朝ごはん、トーストでいい? ハムとかチーズもあるし、ジャムもあるよ。和食がいいなら今から仕込んでくるけど」 「普通のトーストで十分だから、今はここにいてほしいかな」 「そう。なら、かわいい僕はきみの隣でぐっすりだ」  つい笑ってしまい、髪がぐしゃぐしゃになるほど撫で回された。私の悲鳴を気にもとめず、顔までもみくちゃにしながら何度も唇で啄んでくる。防御を諦めて手を伸ばし、全く同じように彼の頭を愛でてやるとようやく彼も笑い転げるように隣へ崩れ落ちた。可愛い、可愛い人だ。 「かわいい、ねぇ」 「……かわいいでしょ、僕。…………いつまで笑うの、ヒバナちゃん」  あぁ愛おしい。また頭を撫でようとする手を捕まえて頬を擦り寄せる。少し硬い皮膚、丸っこい深爪、節の目立つ長い指。この手ばかりは可愛くないと言おうとして踏みとどまった。拗ねるから。  手のひらに唇で触れたり指を絡めてみたり、好きなだけ遊び尽くそうとする私を困ったように眉を下げた微笑で見守る彼。まだ寝ないの、とでも言いたげだ。いつも思うが、いつ寝ていつ起きてるのかわからないような生活を送っている彼に言われるようなことではない。現に彼は一切眠くなさそうだし。こちらからすれば『今日は日がどれくらい出てから寝る予定?』とでも聞きたい。 「かわいいあなたが一緒に寝てくれるなら、なんでも言うこと聞いちゃいそう」  あるいはこう言ってみれば、寝てくれるのだろうか。 「……どこでそんなの覚えたの?」 「ないしょ」  はぐらかすように笑ってみれば、指先が頬をなぞって耳を辿っていく。二本指で挟まれた薄い耳朶には、彼に頼んで開けてもらった十六ゲージの小さな穴がひとつ。 「もういっぱい好きなことさせてもらってるけどなぁ」  ぼんやり呟くとまた眉を下げた。 「ピアッサーで穴開けたとか、お義父さんに知られたら殴り飛ばされそうだよ……」 「そんなことしないよ。私もう成人してるし、頼んだの私だし」 「いやあ……娘がいる父親ってそういうもんじゃないかな、たぶん」  じゃあ、言うこと聞かなくてもいい?  笑いながら聞いてみると、少しだけ目を逸らして唇を引き結んだ。欲しいって顔。堪えきれずに小さく笑いながら彼が口を開くのを待っていると、意を決したように揺れる瞳が私の元に戻ってきた。 「……欲張ってもいい?」 「いいよ。なんでも」 「じゃあ」
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