4.木曜日

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4.木曜日

 その日は朝から嫌な予感がした。  スーツを着て出勤しようとしたら、玄関に出しっぱなしにしている靴3足が3足とも裏返っていたのだ。  その光景を見た僕の両腕は、鳥肌がものすごい事になっていた。  玄関の鍵は内鍵も閉めてある。  この部屋に何か得体の知れないモノが居るというのか?  ――いや違う。  これは家から出ては行けないという虫の知らせだと僕は直感した。  すぐさま会社の上司に休み希望の電話を掛けた。  休みの理由は何でも良い。 「――――――!!!」  会社の上司にめちゃくちゃ怒鳴られて、結局僕は仕事に向かう事となった。  裏返しになっていた靴は、僕が寝惚けてやったのだろう。  きっとそうだ。  ――もう急がないと電車に乗り遅れる。  急いで会社に向かおう。  今日は朝から上司の小言を聞き、いつも以上に無茶な仕事を渡され、グッタリしていた。  危うくいつもの電車に遅れるところだった。  何とか間に合う。  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  今日も浅見無(あさみず)駅で左側のドアが開き、塩素臭がした――。  と思ったら。  夏服のセーラー服に身を包んだ女子高生が乗り込んできた。  何気なくスマホの時計を見ると、23時21分。  こんな時間に女子高生?  この路線では珍しい。  その女子高生は右側のドア近くに立つ僕の近くに立った。  黒髪がプール上がりなのか、水気を帯びており、塩素臭が車内に漂う。  僕に背を向けて窓際に立つ。  その後ろ姿は妙な色香を放っていた。  今日の仕事は朝の事もあり、特に苛酷(かこく)だった。  仕事で疲れきった体が、重くなった思考回路が、普段見ないご馳走を目の前にご褒美を欲していた。  僕はごく自然を装い彼女の真後ろに立ち、自然な感じで黒のビジネスバックで他の客から見えない様にする。  そして恐る恐る彼女の体に手を伸ばした。  ――僕は一体何をしているんだ?  いや、いけない。  僕は正気に戻り、どうにか手を引っ込めるが出来た。  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  ◇  突然、女子高生の彼女が僕の胸にドンとぶつかってきた。  女子高生にしては恐ろしく強い力で左手首をつり革から外され、絶対逃がさないという様に両手でギュッと捕まえられる。  僕は声も出せずに、目の前の俯いたままの女子高生の濡れた髪、頭の中心にある青白い旋毛(つむじ)を見つめていた。  女子高生が顔を上げる。  物凄い美少女だった。  僕はこんな美少女を危うく痴漢してしまうところだったのか。  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!   キー キー  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!   キー キー 「お前は――――私を痴漢したくはないのか?」  低く冷たい、強い圧を感じる声。  僕は「はい」と咄嗟に答えた。  すると彼女は老婆のようにグニャリと顔を歪めて嗤い、「残念だ」と言った。  あの音がし始める。  チチチ チチチ パチッ   バチッ! バチッ! バチッ!  いつもより音が大きい……。  ヒューヒューウゥゥウヴヴゥ――   バチッ! バチッ! バチッ! バチッ!  電車が停まる音がし、左のドアが開く。  なぜ、左が開く?  つい僕は僕の背後、電車の左側を見てしまった。  そこは『深蠢■駅』だった。  左のドアが開いて、そこは真っ暗な駅のホーム。 『深蠢■駅』とボロボロの駅名標が見える。  僕は本能的に、これ以上見てはいけないと思い、とっさに顔を背け目を(つむ)った。  トッ    トッ  トッ    ……  彼女はその駅に降りて行ったようだ。  ドアが閉まらない。  背中に冷たい汗が流れ落ちる。  目の前が暗くなる……。  ――早く閉まれ早く閉まれ早く閉まれ……  ――次は富師見(ふじみ)駅、富師見(ふじみ)駅に止まります。終点の――  我に返った時には自分が降りる駅だった。  先ほどの出来事は夢だったのだろうか。  その日は帰宅後、慌ててシャワーに入り、飼い猫の黒猫の黒次郎にご飯をやり、お茶漬けを掻き込む様に食し、布団を頭から被って震えながら眠りについたのだった。
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