5.金曜日

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5.金曜日

 次の日は花の金曜日。  靴3足がまた裏返しになっていた。  ――おいっ、誰かいるのか!?  玄関の内鍵はもちろん閉まっている。  僕は気味が悪いと思いながらも、三足の靴をきちんと表に戻し、何事も無かったかのように出勤する事にしたのだった。  そして帰宅時間。  いつもの電車のいつもの女性専用車両に乗り込む。  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  ガタッ ダン    ガタッ ダン   キー キー  ――昨日のアレは一体なんだったのだろう。  いや、アレは夢だ。  もう忘れた方が良い……。  しかし、浅見無(あさみず)駅で左側のドアが開き、塩素臭と共に女子高生が乗り込んでくる。  もちろん昨日の彼女だった。  スマホの時計を見ると、23時21分。  とっさに僕は全身を彼女と逆方向に向けた。  全身の毛が逆立った。  ――僕は何も見えていない見えていない。  おそらく、彼女はこの世のものでは無い。  目を瞑って、来るな来るな、と念じる……。  トッ    トッ  トッ  彼女の女子高生らしい軽やかな足音。  今の僕には、その足音がとても恐ろしい音に聞こえる。    トッ  トッ    ……    トッ!  僕の背後で足音が止まった。  恐々と後ろを振り返ると、彼女は僕ではなく『小太りオタク氏』の前に立っていた。  僕は出来るだけそちらを見ないように、しかし注意を傾けていると、果して『小太りオタク氏』は彼女を痴漢し始めた気配が――。  ――おいおい、女性専用車両だぞ、ここは。  周りに知られたら、鉄道警察隊につきだされる前に集団リンチされるかも知れないぞ。  セーラー服姿の美少女な女子高生が女性専用車両で痴漢されている。  僕はしかしその行為を止めるではなく、当初の恐怖心を忘れ、そちらを盗み見ていた。  その時僕はあるものに気付いた。  ――何だアレは?  女子高生のスカートの間から覗いている黒い塊は。  ―何だ、アレは。人の頭?  それに気づいた時、僕の両腕が、背中が、ゾワゾワっと毛が逆立った。  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!   キー キー  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!  彼女のスカートの中から顔を覗かせていたモノとは――。  ◇  ソレは彼女のスカートの中から逆さまに顔を覗かせていた。  ソレはとても恐ろしい面相の老婆の顔だった。  いや、とてもこの世の生ある者ではないだろう。  黒に近い肌色、黒目の中にもう二つ黒目があり白眼の部分は赤く染まっている目、髪の毛は別の生き物かの様にスカートから垂れ下がり、獲物を狙うかの様に(うごめ)いている……。  あの、彼女のぐにょりと嗤った顔をそのまま老婆にしたような恐ろしい顔が逆さまにスカートからこちらを見ていた。 『小太りオタク氏』はそれに気付いていないのか、周りに人目があるのにも関わらず、そのまま行為を続けた。  ――なんだ? 周囲の人たちの無関心さは?  僕はその異常さにようやく気付いた。  皆そこにいるのに、まるで違う空間にいるかのような……。  ガタッ ダン    ガタッ ダン   ギーッ ギーッ ハーッ ハーッ  ガタッ ダン    ガタッ ダン   ギーッ ギーッ ブーッ ブーッ  最後は、老婆の様に見える顔に向かって、行為に及んでいた。  それを見て、僕は自分の持っている鞄の中に、胃の中に残っていた物を吐いた。  ――昨日、僕ももう少しでアレを痴漢するところだったのか……。  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!   キー キー  ガタッ ダン!    ガタッ ダン!   キー キー  事が終わったのか、『小太りオタク氏』は彼女から体を離す。  そんな彼に、彼女は質問した。   「「痴漢したのは――――お前か?」」  上の顔と下の顔が同時に質問したので、僕には声が二重に響いて聞こえた。 『小太りオタク氏』は、「違う」と答えた。  すると彼女はグニョリと顔を歪めて嗤った。  そして、あの駅が近づいた音がし始める――。  チチチ チチチ パチッ   バチッ! バチッ! バチッ! バチッ!  ヒューヒューウゥゥウヴヴゥ――    バチッ! バチッ! バチッ! バチッ!      バチィッ!!  電車が止まり、左のドアが開いた。 「や、やめろ、離せ、やめろ、――誰か助けて!」 『小太りオタク氏』が引き摺られていく。  もちろん誰も助けようとしない。  誰もソレ(丶丶)を認知していない――。  もちろん僕も、彼女が『小太りオタク氏』を引き摺って電車を降りてゆくのを止めようしなかった。  彼女を邪魔したら、僕も一緒に連れていかれると直感した。 『深蠢■駅』とボロボロの駅名標が見える真っ暗なホームに完全に二人は降りてしまった。 『小太りオタク氏』は可哀そうにズボンを濡らしている様だった。 「や、やめ――」  パシュン  ドアが閉じ、しばらくして電車は走り始める。  バンッ   バンッ     バンッ 『小太りオタク氏』が電車を追いかけながら窓を叩く。  その顔はひどく歪み、顔から出るあらゆる液体を垂れ流していた。  バンッ   バンッバンッ  最後まで必死に窓を叩いていた『小太りオタク氏』だったが、電車は加速し、そのままホームの暗闇に消えていった。  ――『小太りオタク氏』と最後に目が合ってしまった……  チチチ チチチ パチッ   バチッ! 「次は富師見(ふじみ)駅、富師見(ふじみ)駅に止まります。終点の――」  またしても、我に返った時には自分が降りる駅だった。  車内から彼の姿が消えている。  ということは『小太りオタク氏』があの駅で降ろされたのは現実である――。  その日は食欲がまったく無く、シャワーだけ済ませ、飼い猫の黒猫の黒次郎にご飯を用意し、僕は布団の中で小さく丸くなって眠った。
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