第2話 侍女オリーヴィアは気にしない

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 振り向いた先には、(あるじ)がいた。遠目でも分かる、稀代の彫刻家が作ったかのように美しい顔、海の底のように深い青色の髪、宵闇よりさらに暗い黒色の瞳。ヴィルフリート・クラフト第二皇子だ。  彼は、通称“氷の皇子”。その異名は彫像のような美しさのみからくるのではなく、まるで血の通っていないかのように冷たいその性格をも指している――あらゆる物事を合理と不合理で切り分け、後者となれば相手がどんな名門貴族だろうと容赦なく躊躇(ちゅうちょ)なく捨て去る冷徹さ。それは、穏やかで人当たりのいいフロレンツ・クラフト第一皇子とまったく対照的であった。  その第一皇子に婚約破棄され、この第二皇子の侍女となったのが、既に3年も前のこと。オリーヴィアは慌ててヴィルフリートに駆け寄り、素早く頭を下げる。 「ヴィルフリート殿下、どうなさいました」 「……今日は少し早く休む。ゆえに先に紅茶を淹れてくれ」 「かしこまりました、殿下」  お陰でいつも、挨拶して最初に見つめる先はヴィルフリートの足下だ。埃ひとつ乗っていないブーツの爪先を見た後、オリーヴィアは眼鏡の奥で軽く瞑目(めいもく)した。 「すぐにご準備いたします。執務室で少々お待ちください」 「ああ。……お前はいつも無駄口が少ないな」  顔を上げると、ヴィルフリートが(わし)のように鋭い視線を使用人達に投げたところだった。さっきまでオリーヴィアの悪口で盛り上がっていた彼女達は、まるで呼吸さえ許されないかのような緊張感を(ただよ)わせながらせっせと掃除に勤しんでいる。  しかし、ヴィルフリートは彼女らがサボっているのを見ていたに違いない。チッ、とその端正(たんせい)な顔が苛立ちに(ゆが)んだ。 「群れれば喋ること以外できんとは。そんなに騒ぐことが好きなら来世は小鳥にでもなればいい」 「…………」 「なんだオリーヴィア」 「いえ、可愛らしい(たと)えでしたので、少々笑ってしまいまして」 「小鳥が可愛いものか。季節の移ろいを感じ北から南へと羽ばたく連中は相当(たくま)しいぞ」  そんなどこかズレた反論にまで笑ってしまったが、ヴィルフリートは怪訝な顔をするだけだった。 「殿下、お忙しいのでしょう。少し寒くなってまいりましたし、早く執務室にお戻りください」 「……ああ、そうだな」  身を(ひるがえ)す、その動きは皇子でありながら鍛え抜かれた軍人のそれで、オリーヴィアはつい見惚れてしまった。
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