僕に足りないもの

1/1
前へ
/12ページ
次へ

僕に足りないもの

 誰もが、僕に不足しているものはないかのように言う。  幸せでしょう、と。  誰もが見えているものだけに価値を置く。僕の心の中を知っていたらそうは言わないはずなのに。  ずっと憧れてきた、僕に写真を教えてくれた八つ年上のその人は、冬の山で音信が途絶えた。彼女の遺体のない葬式に出た。  僕の両親や祖父母も他界している。  相手はどう思っているか知らないけど、僕から友達だと呼べる人はいない。  そして、僕のそばには誰もいなくなった。  写真を撮る人間になりたかったのに、撮られる側になってしまった。僕は今、そうやって生計を立てている。  写真を教えてくれたチユが知り合いの写真家に僕を紹介して、流されるように撮られる側の仕事に就いた。  十代で両親と祖父母を亡くし、高校もロクに出ていない僕が持っているものと言えば、この見た目だけだった。  生きていく為には、持てるものを最大限に生かしなさい、と教えてくれたのもチユだった。持っていないものは努力で身につけるしかないけれど、と。  チユのおかげで、路頭に迷うこともなく、こうやって食べていけている。  この人と一緒に生きていきたいと思っていた。 「テヒョンア、紹介するね。私の旦那さんになる人」  体の大きな山男。明るくどっしりとしたその男性は、君を弟のようにかわいがっていると聞いているよ、と手を差し出した。 「新婚旅行は、冬の登山なの!」  危ないからそれは止めた方がいいと何度も言った。 「大丈夫よ」  大丈夫ではなかったのは、彼女の死が証明した。  それ以来、自分以外の誰かが言う大丈夫という言葉が信用できない。  新しいブランドとの契約が始まるまで、空き時間ができた。国内にいるのも辛く、だからといって遠い国に行く気持ちにもなれない。  日本なら紛れて過ごせるだろう。  僕は冬なのに寒い土地を選んで旅に出た。  こういう時に、ツルんで遊ぶ仲間がいると楽しいのだろうか。仕事が無い時は狂ったように夜繰り出して、遊びまわる同業者達の様子を見聞きすることがある。  誘われて何度か行ったことがあったが、僕には到底理解ができなかった。女の子をとっかえひっかえ、酒で足りなければドラッグ。  何も楽しいと思えなかった。  楽しいと思えない僕がダメなのだろうか。  どちらにしても、全てがどうでもよかった。生きていても、死んでいても。   大して変わりはない。  そういう気持ちを抱えて生きるようになっていた。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加