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⑷ たまたまかもしれんが、豊沢川の向こう岸に牛乳屋さんがある!(八重樫牛乳)
創業は戦後のようだが明治から会社があったらしい。店舗がどこにあったかはわからないが、ここだったらいいなあという願望。川を挟んで北側にのぼると身照寺がある。もしかしたらこの辺の河川敷で酪農をしていたかもしれない。
現在の八重樫牛乳さん(赤いポイント)
身照寺の近くのぎんどろ公園は、かつて賢治が教えた花巻農学校があった場所である。
なお、三次稿には牛乳屋さんからの帰りに橋を渡って丘に向かう描写がある。
⑸ かつて豊沢川で子どもの死亡事故があった。
Wikipedia宮沢賢治 より
ビンゴすぎやしませんかね?
もうこれ絶対、豊沢川でしょう!
⑹ 本文中に大ヒントが
カムパネルラが見つからないというシーンにおいて、「河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところ」という表現をしているのだ。
支流である豊沢川が北上川へ注ぎ込むからこそ、「一番下流」が存在するのだ。豊沢川がそこで終わるからだ。北上川であれば、一番下流の方、などとは使わないと思うのだ。
そこで、今昔マップをもう一度よく見た。すると、豊沢川には中洲がたくさんあり、橋から見える位置にもしっかり存在した。
豊沢橋付近を拡大したもの
ジョバンニが走ったと思われるルートを青線で示した
「橋の櫓が見える」という表現から北上川にかかる朝日橋ではないか、州とは瀬川との合流地点だ、だから北上川であると結論付けた説もあるようですが、色々な要素を混ぜただけなのだろうという気がします。街中の十字路から朝日橋まで500m程あり、橋上に人だかりが見えて駆けつけるには遠いのではないかと思うからです。
橋までの距離を比較できる部分を拡大
モチーフとして当時新しく完成した立派な朝日橋を用いただけで、十字路から橋までダッシュで駆けつける距離が200m程度であるなど位置的に無理がないのは豊沢川なのだろうと私は結論付けました。
とりあえず、思いつきだけで書き綴りましたが、いずれ、出典をきちんとしらべて加筆修正するかもです。
駄文失礼しました。
了
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