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すぐに桜餅を渡され、料金を払ったが、涼子と沙織はそこに過去の忘れ物があるかのように立ち去りがたい気持ちに捉われた。
まず、沙織が屋台の男に話しかけた。
「お兄さん、菓子店の人?」
男は客に話しかけられることに慣れているのか、ためらいなく返事をした。
「いえ、普段は普通のサラリーマンです。お花見の間に1週間だけ、屋台をやっています」
「桜餅は自分で作るの、それともどこかの菓子店のものなの」
「以前、菓子屋でアルバイトをしたことがあるんで、そこであんこを安くゆずってもらって、皮は自分で作ります。道明寺粉は、京都に本店のある知り合いの和菓子屋のを使っていますが」
「へー、お菓子作りが好きなのね。桜餅に特化しているのは、お花見だから?」
「それもありますけど、東と西、種類の違う桜餅が人気を博している。それぞれの持ち味を生かしながら、蹴落とすような競い方じゃなくて、互いを認め合ういいライバル関係になっていると思うんです。
そして、両者のライバル関係の良好さを象徴するように、どちらも同じように包んでいるのが桜の葉です。桜の葉は、東と西の桜餅のどちらも良い桜餅だと認めているんです。
だから、僕は桜の葉にこだわりました。
日本最古、山梨県実相寺の神代桜の葉っぱです。なんとこの木は樹齢2千年、ヤマトタケルノミコトが植えたという言い伝えがあります」
「まあ、ヤマトタケルノミコトって、神話の人物でしょ、すごいわね」
涼子と沙織は、口をそろえて感嘆した。
2人は店主の男の話に釘付けになっていた。
そこへ客がやって来たので、慌てて「いい話が聞けて良かったわ、ありがとう」と言って、待ちくたびれた子供を連れて立ち去った。
50代くらいの女性の客の「桜餅、美味しかったからまた買いに来たわ、徹次さん」という声が聞こえ、2人は少し行ったところで振り返ってみた。
女性客は桜餅だけでなく店主も気に入ったようで、喜色満面で桜餅の感想をまくしたてていた。
すると、今度は若い女性の2人組がやってきて「桜餅、まだありますか」と問いかけた。
「もうあと残りわずかです」と店主が返答すると、「あら、私買い占めようかと思っていたけど、あなたたちの分、残してあげるわ」と、中年の女性が笑いながら言った。
若い女性たちは「ありがとうございます」と礼を言った後、店主にスマホを向けて「写真、撮ってもいいですか」と尋ねた。
涼子と沙織は、中年女性の買い占めたくなる気持ちも、若い女性の写真を撮りたくなる気持ちもわかると頷き合いながら、待っている家族の元へ急いだ。
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