お花見 桜餅は道明寺それとも長命寺?

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4月の日曜日、S川の土手には多くの花見客が繰り出していた。 桜は八分咲きで天気は花曇りだったが、休日だけあって桜の開花を待ちかねた人々が柵が一斉に開けられたように、花見の場所へと雪崩れ込んだ。 S川の堤は屈指の花見の場所で、江戸時代に植えられた桜の木が川に寄り添うように立ち並んでいるさまは壮観だった。 立錐の余地なくシートや御座(ござ)が敷き詰められ、その祭りのような賑わいを様々な屋台が彩っていた。 そんな中、今どき珍しい緋毛氈を敷いている花見のグループがいた。 小学3年生の女の子2人とそれぞれの両親、計6名のグループだった。 女の子2人は幼稚園からの友達で、同じマンションの別棟に住んでいた。幼稚園の時は通園バスが同じ、小学校に入ってからは登校班が同じで、一番の仲良しになった。 母親同士も自然に親しくなり、父親も巻き込んでの合同お花見も恒例となった。 安西家 父、敏哉 母、沙織 娘、沙耶 島村家 父、英吾 母、涼子 娘、真由 彼らの住むマンションは、そこから歩いて15分くらいの所にあった。 S川といえば江戸時代からの花見の名所であり、また江戸情緒あふれる地であり、そこでお花見できることは栄誉だと、特に女性2人は考えていた。 少しでも過ぎし時代のお花見の気分に浸りたいと思った安西沙織が、緋毛氈を敷くことを思いついた 。 とはいえ、お花見弁当は手作りではなく近くのスーパーで買ったもので、必ずしもお花見に全力を注いだとは言えなかった。 普段パートタイムで仕事していて忙しいので、その程度の手抜きは仕方なかったが。 その代わり、お花見の雰囲気を盛り上げる話のネタにと、桜に関する蘊蓄を仕入れて披露し合った。 「ここの土手の桜、吉宗が植えたって」 「そう。その目的が、お花見に沢山の人が来て堤を踏み固めるためだっていうから、粋ね」 「吉宗って、享保の改革の将軍でしょ」 そんな歴史の話題から、気付けば花より団子、菓子のことへと話は移って行った。 「島村さん、桜餅は関西派、関東派?」 「私は絶対、関西の道明寺。私、京都の出身なの。道明寺って、大阪にある秀吉ゆかりのお寺でね。そのお寺で作った道明寺粉っていうもち米を使っているの」 「へえ、私は生まれも育ちも関東だけど、桜餅は道明寺じゃないと。あの粒々のお餅とあんこと桜の葉っぱの取り合わせが、絶妙ね」 女性陣2人が意気投合したところで、男性陣に桜餅の好みを訊いてみた。 男たちは家族サービス半分で付き合っていたが、こうして一家水入らずで春の風物詩を味わえることは貴重な体験だと感じていた。 妻たちがお喋りに興じる横で男同士、軽く言葉を交わしたり子供たちと会話するほかには、この特別な時間を桜の花を堪能することに充てていた。 2人とも桜餅へのこだわりはなかったが、質問されたため、改めて考えてみた。 「俺は甘い物ダメなんで、和菓子もあんまり食べたことないけど、どっちかというともち米の粒々のほうが好きかな」 と安西敏哉。それに対し島村英吾は、 「僕は安西さんとは逆に、甘党なんです。クレープなんか好物でよく食べるんで、クレープみたいな関東版の桜餅の方が好みかなあ」 「その関東風の桜餅だけどね、長命寺(ちょうめいじ)が発祥なの。お寺の人が桜の葉っぱをあんこ餅に巻くことを思いついて、お寺の門前で売ったんですって」 安西沙織が、最近仕入れた情報を開陳した。 「長命寺って、この近くだろ、向島にあるお寺」 安西夫が口をはさんだ。 「つまり、長命寺の桜餅の方が先に誕生したということね」 「それにしては、道明寺の方が桜餅として有名ね。長命寺なんてあんまり聞かないもの」 「道明寺は、道明寺粉を作ったことで有名なのよ。たまたま関東で人気の葉っぱで包んだ桜餅を真似たんでしょ」
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