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あの事件から六年の時が過ぎていきました。
私は今、結婚を前提にお付き合いをして欲しいと言われています。その方は同じ会社の人で誠実な方です。
私は幸せになっていいのでしょうか。いえ、それが幸せになる道なのでしょうか。答えを出す前に、あの桜並木に行かなければならないと思うようになりました。
大阪から東京に戻るとその足で今、貴方と見た桜並木に来ています。
二度と踏み入れることのないと思っていたこの場所に。
あの事件の日のことを、忘れたことなどありません。忘れられたらどんなに幸せだろうと思っていました。
この場所に来ることが恐ろしくて、心が震えていました。
けれども、この桜並木は静かに穏やかに私を迎えてくれました。
それは、まるで、私を待ってくれていたかのようで……。
ずっと苦しんでいたことを考えています。
私の罪は許されるものなのでしょうか。
身勝手な貴方の罪は重いのでしょうか。
貴方の命を奪い自ら死を選んだ奥さまは罪が深いのでしょうか。
貴方を憎んだこともありました。なぜ私に近づいたのだと……。
けれども、私さえいなければ、こんな事は起きなかった。
二人の命を奪ったのは私なのではないか。
私はいっそう罪が深いのかもしれない……。
貴方の奥さまに申し訳ないという思いが、心をぎゅっと締めつけます。
奥さまは亡くなられ、その魂はもう、嫉妬の炎に灼かれることはなくなったのでしょうか。それとも未だに持ち続けているのでしょうか。
もしかすると嫉妬など、そんなものではないのかもしれません。もっと深い絶望だったのかもしれません……。
すべて愚かな私の犯したこと。
今でも貴方を想うことは罪なのです。
けれども私には、貴方のことを忘れることができません、一生。
それを今日、この満開の桜が教えてくれました。
こんな心では、お付き合いも結婚も、することはできません。お断りしようと思います。
やっと自分の心が分かったのです。
たとえ死してなお、地獄の業火に焼かれたとしても、私は貴方を想っていたい、と。
貴方の生命は私のなかで永遠に生きているのです。
風が首筋を撫で、髪がなびいていきます。
それは貴方の手に触れられているような心地よさです。
桜の花びらが舞い、辺り一面に降り落ち、地面もすべてが淡紅色に染まりました。
午後の陽射しのなかを舞う花びらを見ていると、貴方を見ているようで、優しく、そして哀しいくらい愛おしい気持ちになってきます。
まるで貴方が私の近くにいるような気がします。
──しほり、ここにいるよ。
貴方の声が聴こえてきます。
私は花びらを受け止めようと手のひらをひろげました。
あの日のように、手のひらにひとひらの花びらが舞い落ちました。
私は両手でそれを包み、そっと胸に添えて小さな声で囁きました。
「もう、どこにも行きません。貴方のところに帰ってきました」
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