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これは後々誰に語るでもない、真夏の一夜限りの出来事なので、こうして日記の端にでも手記を残すに留めようと思う。
延々と続く猛暑の夏、気温メーターは大胆に針を振り切っている。
仕事にて、一軒のお屋敷を訪ねた私は、そこで美しいご婦人に出迎えられた。前の仕事が長引いて、その屋敷を訪ねた時には、時刻は夕飯時になっていた。
「こんな遅い時間にすみません。」
しかし婦人はそんなことは気にも留めずに、私を屋敷の中へと快く招き入れてくれた。
有名な西洋建築家の本邦初作品だというお屋敷は、実に美しく、荘厳で、それでいて生活に必要な少しのシンプルさを忘れずに兼ね備えていた。
天井は従来の家屋よりうんと高く、部屋から部屋へ移る入口は必ずと言っていいほど、アーチ型の飾り屋根になっている。窓は勿論、柱にも、植物をモチーフとした曲線美の飾りが付けられていた。
「美しいお屋敷ですね。」
と私がひとしきりお屋敷の内装を褒め称える間も、婦人は絶えずニコニコと朗らかな笑みを浮かべていた。しかし、この屋敷を手放す時のことを思うと、とても悲しい気持ちだと言うので、
「ご安心ください。私は不動産の者ではありませんから。」
と私は慌てて口にした。
すると婦人はまた笑顔を取り戻し、屋敷の奥へと私を誘う。婦人が着ている、ゆったりとした生地の白いワンピースが、大理石の床の上を滑るように移動していく。その様は、さながら湖の水面を駆けるユニコーンの、しなやかな足のように見えた。
この大きなお屋敷に長く一人暮らしだというご婦人は、久しぶりの来客である私をたいへん歓迎してくれた。
そして私の仕事の話などはそっちのけで、庭でお茶会をと誘ってくれる。猛威をふるっていた太陽が、ようやく沈んだこの時間。空気はまだ熱されるような気温を保っているが、私は諸手を上げて茶会の席に賛同した。
アフタヌーンティーの為のカップとポットで、婦人が香りのいいお茶を淹れてくれると、私はそれをせっせと庭のテーブルへ運ぶ。すると、そこにはすでにクッキーと、それからチョコレートのケーキも用意されていた。
「これは素晴らしい。素敵な夜になりますね。」
私の言葉に、婦人は照れくさそうに笑みを浮かべて、小さく頷いた。
それから私は婦人とお茶を飲んだり、ケーキを食べたり、大きなお屋敷での生活を話して聞かせてもらったりした。庭には美しい形に整えられた植木と、色鮮やかなガーデニングの花々が咲いている。芸術的な空間を作り出していた。
空には満天の星が、穏やかな明かりを瞬かせ、月が青い照明となって、庭を照らしている。初対面とは思えない程、私と婦人は話が弾んだ。
後にも先にも、私がこれほど幻想的で夢のような茶会に招かれた機会は、この一度きりだ。
亡くなった人の遺品を整理する、他人様の人生の片付けを生業とする、この私が。これほど楽しいお茶会に招かれたのは。
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