にほひたつ

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にほひたつ

「アユ、お前の足の匂いに耐えられない」  また付き合って三ヶ月も絶たずに男性に捨てられてしまった。足の悪臭が原因で付き合った男性がことごとく離れていく。  子供の頃から美人だと言われ続け、大学ではミスキャンパスに選ばれた。デートのお誘いはひっきりなしなのだが、いつも足の臭いが原因で破局してしまう。  父方の家系には体臭が強いものが多い。その中でも私の足の匂いの強さは抜きん出ている。愛犬が私の脱ぎたてのブーツを嗅いで気絶したこともある。父の匂いでは、顔を顰める程度なのに。友人宅の犬には、私の爪先に向かって執拗に吠え立てられた。  もちろん、匂い防止の対策は考えうることは全て試してきた。  毎日お風呂に欠かさず入って、足はスクラブ入り洗浄剤で念入りに洗っている。指の股には、丁寧に焼きミョウバンが主成分の消臭クリームをすりこんでいる。  お昼休みにはトイレの個室で体拭きシートで足をぬぐい、男性用の強力な消臭スプレーなど職場でも数々の対策を実行している。飲むだけで悪臭がレモンの香りに変わるというシロップも飲んだが、匂いの酸味が増しただけだった。    足の匂いに一生呪われ続けるのなら、飲み過ぎで早死にでも構わないとビールとチューハイの缶を次々に空けた。  一人暮らしなので、晩酌の相手はテレビだ。深夜通販番組が始まった。画面にピンク色の蝶ネクタイとスーツを着て、髪をピンクに染めたチョビ髭の老人が現れた。 「一粒飲むだけで全身から良い香りが漂う、抗菌成分が豊富な特別栽培の桜から抽出したエキスをたっぷり配合したサプリメント、ミラクルチェリーブラッサム。今から三十分以内にお申し込みの方にだけ特別に一箱おまけ。さらに、ダブルチャンスで弊社の桜農場へのお花見ツアーが当たります」  愛用者インタビューが流れ出した。 「電車で周りの席の人が全員立って逃げるほどの体臭が消えた」 「毛穴という毛穴から桜の香りが溢れて、モテ期到来」  もっともらしい成功事例を老若男女が語っている。この手の通販商品に何度も裏切られているので話半分で聞き流した。再びピンクづくし男が現れ、両手に桜の枝を握りしめて叫んだ。 「私が品種改良を重ねた桜の抗菌パワーを信じてください。ミラクルチェリーブラッサムを飲んで、あなたの人生にミラクルを」  酔いが回っていたのか、怪しいピンクの男の叫びに真実味を感じてしまい、 テレビ画面に表示されている通販番組のQRコードをスマホで読み取った。深夜なのにサイトは重く、中々表示されない。かなりの人気商品の様子だ。    オーダーから三日後に商品が到着した。開封するとサプリ二箱と桜農場への招待旅行の当選のお知らせが入っていた。  サプリを朝夕飲み出して、一週間が経った。足の匂いが改善されているのか、靴を匂ってみたが、正直よく分からない。入浴後に足の指の股を嗅いでみたところ、ほのかに桜の香りがしたが、気のせいかもしれない。  サプリの説明書によると、まず二ヶ月は続ける必要があるそうだ。二箱を飲み切る頃が、桜農場ツアーの出発日だった。    当日、集合場所の新宿へ向かうと、ピンク色の旗がたなびく観光バスが待っていた。  団体行動は苦手だが、部屋で腐っているよりマシなのでツアー参加を決めた。パンフレットに、この季節にしか楽しめない桜の生花をふんだんに使った温泉で爽やかになれるとうたわれているのも魅力的だった。  バスの前でスーツ姿の男性が受付をしていた。同年代の三十台半ばのように見える。バスの座席は一番前の窓際に座ったところ、隣に受付の男がやってきた。「満席のためご一緒させていただくことをお許しください」と頭を下げてきた。無料の旅行なので相席を断る権利はなかった。マイクを持って、男が立ち上がった。 「皆様、ミラクルチェリーブラッサム、桜農場ツアーへのご参加をありがとうございます。添乗員の松下(まつした)でございます。これより高速道路を二時間ほど走ります」  マイクが後ろの席から回され、参加者の自己紹介コーナーが始まった。ざっと見たところ半数以上は年齢層が高めの男性だ。  定年後に出会い系で女遊びをはじめたが、加齢臭がひどいと若い子に敬遠されたのがきっかけでサプリを飲みだしたと語るものにあきれ、孫に口臭で嫌われたエピソードには胸が苦しくなった。  介護を受ける際に臭いで迷惑をかけたくないからとサプリ飲んでいる人もいた。体臭がきついと一生苦労をするのだ。自分の老後を想像して泣きたくなった。 「小泉(こいずみ)様、自己紹介をお願いします」  松下さんに呼びかけられ、我に返った。足の匂いには触れずにサラッと自己紹介をこなさねばならない。 「小泉アユです。桜の香りが好きでサプリを飲みはじめました」 「お姉ちゃん、美人なのに。体が臭いんかい。勿体無いねえ、ダハハ」  品のないヤジが飛んできた。松下さんが声の主に注意してくれた。質問には答えず、持参した缶ビールを一気に開けて、そのまま眠ってしまった。    目覚めたら、山の中の細い道を走っていた。湖畔にバスは停まった。全身ピンク色の男が手をふっている。ミラクルチェリーブラッサムの社長だ。 「ようこそ、ミラクルチェリーブラッサムホテルに。今回は我が社のサプリを初めてご利用いただいた皆様をご招待させていただきました」  このホテルと桜農場やレストランを同社が運営しているという。ホテルは会員制となっており、 サプリの定期購買者は会員として利用することができるそうだ。  ホテルに入るとスリッパに履き替えるように促された。足の臭いをさらすピンチに戦慄したが、靴箱に桜の臭い消しが置かれているのに気づき、消臭効果を信じて靴を脱いだ。  なんと言ってもツアーの参加者全員が体のどこかしらが匂う悩みを持っているのだ。同志が大勢いることに心強く感じる。  部屋はピンク色のインテリアで統一されていた。随所に桜のモチーフがあしらわれているのが印象的だ。  昼食の後、桜農場へのお花見ツアーに出発した。松下さんが歩きながら、メガホンで桜農場の歴史を解説してくれた。抗菌作用が強く、匂いが爽やかな桜を作り出すために社長は二十年以上の歳月を費やしたのだという。  桜農場はなだらかな山の斜面にあった。低めの桜が規則ただしく並んでいる。桜の花が採取しやすいように高さを抑えて育てているのだという。  山の空気が美味しく、桜からはサプリと同じ香りがして、大きく伸びながら深呼吸を繰り返した。 「小泉様、文字通り伸び伸びされていて良かった」  松下さんがホテルへ帰る道のりで話しかけてきた。バスの中でのヤジ騒ぎや、酔って眠り込んだ私の様子を心配していたのだという。  松下さんは私と話をしつつ、お年寄りの女性の荷物を運び、斜面を降りる際は手をとって支えていた。 「松下さんは、本当に気が利きますね」 「ありがとうございます。実は僕は気より、鼻が利くタイプです」  思いがけない返答に二の句が継げなくなった。どういうことか尋ねようとした時に、松下さんは社長に呼ばれて、去ってしまった。ホテルに戻って、大浴場へ行く支度をした。  温泉には花びらが散らされ、お湯はピンク色に染まっている。爽やかで甘い桜の香りの蒸気が空間を満たしている。露天風呂につかって夜桜を見上げたら、ここ数年で一番幸せだと言えるぐらいの気持ちになってきた。  夕食は立食パーティーだ。桜の花びらが浮かべられた食前酒がふるまわれ、料理も直営農場で栽培された有機野菜を使ったクオリティの高い物だった。  美味しいお酒と料理のおかげで気持ちがほぐれて、他の参加者とも徐々に打ち解けてきた。  バスで失礼な言葉をぶつけてきた男性がお酒を持って謝りに来た。彼はひどいワキガで子供たちに嫌われているのだと話してくれた。私も足が臭うことを打ち明けると、足の臭いも含めて自分の全てを受け入れてくれる男が見つかると慰めてくれた。  会場の明かりが消え、ステージにピンクの着流しで決めた社長が現れた。司会者が歌謡ショーの始まりを告げた。桜の奇跡やらピンク色にフォーリンラブといったとにかく桜づくしの歌詞だった。メロディーはどこかで聴いたようなものだが、こぶしを回して社長はご満悦の様子だ。  数曲歌い終えた社長はスピーチ用のスタンドマイクの前に立った。 「ご清聴ありがとうございます。桜のサプリを作り、ピンクの服を着て、歌まで作る私をいかれた男だと皆さんお思いでしょう」  社長はこの地域の貧しい農家に生まれ、貧乏を理由に同級生にいじめられたという。肥だめに突き落とされて、ついたあだ名が臭いマン。それ以来、匂いに人一倍敏感になり体臭を気にする習慣がついた。  夢に出てきた女神のお告げで桜の品種改良を始め、 鋭い嗅覚を活かしてアロマオイルやサプリを作って大富豪となったそうだ。  ピンクづくめで怪しさ抜群の見た目だが、悪い人ではなさそうだ。サプリの値段も良心的だし、飲み続けてもいいような気がしてきたところでパーティーはお開きとなった。      夜が明けぬうちに目が覚めた。気分がよかったので湖畔を散歩することにした。就寝中の人々を起こさぬよう極力音を立てずに階段をおりると、話声が聞こえてきた。時折、自転車がパンクし て、空気が抜けるような音もする。下駄箱の前にピンク色のパジャマ姿の社長とスタッフたちが集まっている。 「上から三段目のやつが特にひどいから念入りに。臭くて眠れない」  社長の指示を受けたスタッフがスプレーを勢いよく噴射した先は、私のスニーカーだった。ブランド物の限定品なので、見間違えるはずがない。  消臭作業を終えたスタッフと社長は一斉に咳き込んだ。 「この靴は確かにひどいですね」  スタッフの一人が訴えると、社長はサプリの効きめにも限度があると鼻をつまんだ。 「その靴、履きたいんですけど」  やっとの思いで声を出し、靴を履いて、玄関を飛び出した。詫びる声が聞こえてきたが、無視してひたすら湖畔を走った。  月明かりを頼りに進むと薄ピンクに光る農場の桜並木が浮かび上がるように見えてきた。 幻想的な美しさだが、効果のないサプリの材料だと思うと忌々しくてたまらない。衝動的に桜の枝をたおり、携えて湖に入った。 「お戻りください。体が冷えてしまいます」  松下さんがパジャマ姿で叫んでいた。社長からツアー客が出て行ったと聞いて、探しにきたのだという。社長からお詫びとして、サプリを無料で一生提供するとの言付けを預かっていた。 「ふざけないで。インチキサプリで足の臭いが消えるわけないし。もう死ぬから」  何もかもがどうでもよくなり、自分の存在を匂いとともに消したいと心底思った。既に水は膝上を超えており、冷蔵庫の飲み物よりも冷たい。冷たさに感覚がなくなりつつも、湖の中心へ歩みをすすめた。松下さんが追ってきた。 「早まらないでください」 「足の臭いで私の人生めちゃくちゃなのよ。足が臭い女なんて、一生誰にも愛されないわ」 「小泉様はとても魅力的です」 「知り合ったばかりでしょ。馬鹿にしないで」  松下さんが腕を湖に勢いよく突っ込み、水飛沫が上がった。私の右足が湖底から持ち上げられて、体がふらついた。右足は松下さんの肩に乗せられていた。松下さんは右足を両手で包んでほおずりを繰り返している。 「ああ、たまらない。バスで隣の席になった時から足の香りにひかれていました」 「変態! 」 「そう呼ばれてもかまわないです」  鼻をひくつかせ、松下さんは私の足に口づけをした。絵に描いたような変態チックな姿を見ていたら、笑いがこみあげてきて、死ぬ気が失せてしまった。  帰りのバスで松下さんとお互いの身の上を話した。彼は伊豆大島出身で好きな食べ物が「くさや」であることが判明した。魚の干物の発酵食品であるくさやはその名に違わず臭いが強烈だ。あの香りが素晴らしいのだと彼はいう。ヨーロッパのツアーに行くと、 山羊のチーズの中でも日本には中々入ってこないような個性の強い香りのものを買ってくるそうだ。  やはり、松下さんはかなりの変わり者だ。こんな男性にしか好かれない、自分自身を呪いたくなった。 「小泉様、腐敗と発酵の違いをご存知ですか」 「うーん、腐ったものを食べるとお腹を壊すので、腐敗は毒だと思います。発酵させたものはお酒とかヨーグルトとか美味しいものが多いです」 「ほぼ正解です。腐敗と発酵は実は同じ状態です。人間が勝手に腐敗か発酵かと決めているだけです」  松下さんによると、腐敗も発酵も微生物が食品などの材料を分解する過程は同じなのだという。その結果出来上がったものが人間にとって有益であるなら発酵、有益でなければ腐敗とラベリングがされているそうだ。 「だから納豆は発酵食品でも、苦手な人は腐った豆の匂いだなんて表現をするのですね」 「そうです。価値観は人それぞれです。小泉さんの香りは僕にとっては最高級の香水です。フェロモンってやつです。離れられません」   松下さんは私自身を気に入ったのではなく、足の臭いだけが好みなのかもしれない。それでも、ルックスだけで近づいてきた今までの男たちより本当の私を見てくれている気がする。  もう変態でも変人でもいい。私から離れないでいてくれれば、それで上等だ。車窓に目を向けると、桜の花びらが舞い散っていた。                                   了
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