忘れられない、知りたい、教えて

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忘れられない、知りたい、教えて

 待ちに待った夏休みが、ついに始まった!  …のに。  わたしは未だ、終業式の日に聴いた歌が忘れられずにいた。    夜、寝る前になっても考える。  電気を消して、目を閉じて。  あとは寝るだけなのに、ついつい考えてしまうのだ。  まだあの衝撃を身体が覚えていて、興奮が続いている。  知らない音楽、よくわかんない歌。  でも、なんでだろう。  正体のわからないドキドキが、心臓に住みついているみたい。  うー…知りたい。  このドキドキがなんなのか。  なんでこんなにときめいてるのかを知りたい。  足をバタバタさせる。  イルカの抱き枕をギュッとしてみた。  それでも、全然わからないから悔しい。  これは寝不足決定だ。  モヤモヤとドキドキ。  わたしはその両方を抱えながら、いつの間にか意識を手放した。 * * *  夏休み初日。  いても立ってもいられず、起きてすぐに外へ出た。  家を出て、大通りをずっとまっすぐに歩く。  大きな横断歩道を渡って、そこから右に。  小さな公園を横目に、そのまま更に歩く。  すると、アーケードの商店街が見えてくる。  商店街に入ると、ほとんどの店はシャッターが下りている。  もしかしたら、まだ営業時間じゃないのかも。  不安になりつつも、子どもの頃の記憶をたどれば見覚えのある景色があった。  看板に書かれた「フラワーショップIZUMI」。  木の造りでできた、小箱みたいなお店。  店内はほの明るい照明がついていて、もう中に人がいる。  わたしがお店の扉を開けると、ベルが涼し気に音を立てた。   「いらっしゃいませー…。って、え?」  わかりやすく驚いている、花に囲まれた店員さん。  和泉虎、わたしの隣の席の男子だ。  今日はお店の手伝いだからか、少し長い髪を束ねて前髪を流している。 「この間の、終業式の、あれ」 「あ、はい」 「和泉が歌ってた」 「うん」 「あの曲のタイトル、何?」 「うん?」 「だから、あの曲のタイトルは?」  あの日に聴いた歌がどうしても忘れられなかった。  それなのに、歌詞が英語だったからまったく聞き取れていない。  洋楽の知識もないから、どのアーティストの何の曲かもわからずに悶々としていた。  それもこれも、ぜんぶ和泉のせいだ。 「自分で調べようとしてもわからなかったから。教えて」  和泉は戸惑っているみたいだった。  けれど、数秒遅れて取り出したスマホの画面を見せてくれる。  画面に表示された音楽サブスクのアプリ。  彼のひらいたプレイリストは知らないアーティスト名だらけだった。 「あの日に歌ったのは、これ」 「スメルズ…」 「Smells Like Teen Spirit」 「ロックバンドの曲?」 「俺が生まれるまえの、かなり古い曲」  和泉は曲の説明をすらすらとしてみせた。  さっきまで強張(こわば)っていた彼の表情が柔らかくなる。  教室では大人しい…というかほとんど話さないのに。  好きなものの話だとこんな顔するんだ。  わたしは、なんだか珍しいものを見た気がした。 「バンド、好きなの?」 「…まあね」 「いつもあんなふうに歌ってるの?」 「あれは、流れというか。バンドのメンバーが悪ノリで決めただけ」 「バンドしてるの!?」  そこで、和泉は苦いものを噛んだような顔をする。  余計なことを言った、といわんばかりの表情だった。 「いいじゃん! バンド」 「たまにしかやってないし、ステージにも基本立ってない」 「なんで?」 「緊張するし、他に上手い人はたくさんいるから」  わからない。  わたしは、和泉の歌を十分上手いと思ったのに。 「ロックとかよく知らないけど、和泉の歌はかっこよかった」  思ったまんまが口から出てしまう。  和泉のリアクションは返ってこない。  音楽に詳しくもないのに、余計なこと言ったかな…。  和泉は顔をうつむけたまま、こちらを見ない。   「ちょっと。なんか言ってよ」  下を向きつづける和泉の顔をのぞき込む。  すると、ほんのりと赤く色づいた頬が見えた。   「照れてる?」 「そりゃ照れるでしょ」  ふーん、意外とかわいいとこあるじゃん。   「わたしあんまり音楽聴かないからさ。もっと教えてよ」 「…まあ、いいけど」  和泉のおうちの花屋さんはあまり忙しくないみたいだ。  結局お客さんの姿は見えないままで、そのまま話し込んでいると、もうお昼過ぎになっていて信じられなかった。
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