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たしかな風と光
夏休みが始まって、すでに七日。
わたしがフラワーショップIZUMIへ足を運ぶのは、これで二回目だ。
「おはよー」
「八木さんだ。おはよう」
扉を開けるとベルが鳴る。
そして、こちらを見た和泉が控えめに挨拶を返してくれた。
どうやら、カウンターの中で作業をしていたみたいだ。
お花と雑貨で彩られた店内。
今この小さな空間には、わたしと和泉だけである。
「お客さんは?」
「さっき常連さんがお花買いに来たよ」
「今はひとり?」
「ひとり」
「…じゃあ、ちょっとだけここにいてもいい?」
わたしが聞くと、和泉は目を細めて「いいよ」と柔らかく笑った。
和泉って、笑うときはふにゃふにゃしてる。
同じクラス、しかも隣の席なのに初めて知った。
「音楽の話、もっと聞かせてよ」
「いいけど。具体的には?」
「うーんと…好きなアーティストとか?」
「八木さんは普段なに聴くの?」
質問に質問で返されるとは。
思ってもいなかった返しについ唸る。
和泉は、考えているわたしを急かさずに待ってくれた。
「音楽はあんまり聴かないかも。パッと出てこない」
曲は友達とカラオケに行って覚えるくらいだし。
流行りの歌はなんとなく知ってるレベルだ。
でも、これは音楽に限ったことじゃない。
わたしには、これといって特別好きなものがなかった。
「友達が好きな曲聴いて、いいかもって思うくらいだよ」
「へえ、なんか意外かも」
「なんで?」
「この間来たときは音楽の話に食いついてたから」
むしろ、今が例外なんだけど。
というか、和泉がきっかけなんだけどな。
何も知らない目の前の男は、穏やかな顔でこちらを見てくる。
「和泉はどんな音楽が好きなの? やっぱりロック?」
「ロックも好きだし、R&Bもポップスも聴くよ」
「へー。いろいろ聴くんだ」
「うん。音楽が好きになったきっかけはロックだけど」
「この間歌ってたのみたいな?」
「ニルヴァーナも好きだけど、優しいのも好きだよ」
ロックなのに優しい?
激しいイメージと優しい音楽が結びつかなくて、なんだか難しい。
頭を悩ませていると、やんわり微笑まれた。
それから、「ちょっと待ってて」と和泉がカウンターの奥に引っ込む。
少し時間を置いてから戻ってきた和泉。
彼が奥から持ってきた物体はアコースティックギターだった。
「あんまり上手く弾けないけど」
困り顔で言うと、和泉は弦を撫でるように鳴らした。
それだけで興奮してしまったわたしは「おー!」と声に出てしまう。
「これだけで喜んでくれるなら弾き甲斐あるなあ」
「なんか曲弾けるの?」
「そうだなあ、簡単なのだったら」
和泉はギターを抱え直して、また弾きはじめる。
なんとなく聴いたことのあるフレーズでピンときた。
いつだったか、チェーン店のカフェで流れていた気がする。
わたしでも聴いたことのある有名な曲だ。
それなのに、目の前で和泉が弾くと全然ちがって聴こえる。
「俺、小さい頃は転校多くて」
「学校変わるたびに友達作りなおさないといけなくて」
「でも上手く話せないし」
「そういうの嫌になっちゃったとき、おじさんとライブ行ったの」
「そしたらさ、音楽が光って見えた」
和泉の指は遊ぶようにギターを鳴らしている。
わたしの耳には、彼の口からこぼれる話すら音楽みたいに聞こえた。
ちょっとだけ物悲しくて、でも優しい音楽。
「今でも音楽聴くと光るんだ。キラキラって」
最後に「まあ口下手は直ってないんだけどね」と彼は冗談めかした。
わたしには、和泉の言った「キラキラ」が自然とわかる。
あのゲリラライブでわたしが感じた風。
きっと、あの風は和泉の見たキラキラと同じなんだ。
自分が知りたかったものに一歩近づけたような気がする。
思わずにやにやして、和泉に変な目で見られてしまった。
「今日はもう帰らなくていいの」
言われて、スマホの画面を確認する。
まただ。つい話し込んでしまっていた。
さっきまで朝だったのに、気づけばお昼の一時を過ぎている。
「ごめん! ずっといたら迷惑かけちゃうよね」
「いや、夏休みだし八木さんは予定あるかと思って」
気にして心配してくれてたんだ。
和泉ってそういうところあるんだな。
「予定は夕方から。でも、そろそろ帰るね」
「間に合いそうならよかった。気をつけて帰って」
もっと話したい。
咄嗟にそう思った。
気持ちが顔に出ていたのか、和泉に「待って」と引き留められる。
「これ、渡しとく」
「ID?」
「そ。俺、毎日店番してる訳じゃないから」
八木さんが話したくなったら連絡して。
そう言った和泉が、ふにゃりとした笑顔といっしょに渡してきた紙。
わたしはそれだけのことで心臓が跳ねてしまった。
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