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第93回 佐倉編③
「穴場も穴場・佐倉・お城の街・佐倉市(さくら)③」
私は、論拠のないことを書くつもりは、さらさらない。科学的思考に基づいて、DNAの最新科学とかも使って、科学的に、
「将門神社」の「秘密」
にも、迫って行きたいと思っている。また、嘘八百を書いているのではなく、千葉大学の先生や、東北大学の、ちゃんとした「先生方」が、科学的根拠を基に、従来の「学説」と、異なることを言いだしたのである。
ましてや、国の公共放送が、サングラスの似合う重鎮のタレントさんを使って、現実に番組作って、地上波で流しちゃっているのだから、私はそれをピックアップしているだけで、まゆつば、論拠のないことを言っているのではない。(沢山の日本国民が観ている)
さらに、この佐倉の地には、
「国立歴史民俗博物館」
があり、諸先生方が、平気で自分の講座で、従来の学説と違う、
「本当のこと」
を、堂々と言っているらしい。これは、ちば県人として「看過できない」ことであり、そのドラマが、
「麻賀多神社」(まがた)
から始まってしまった。麻賀多神社の神様が、「良寛さん好き」な旦那さんに、出逢わしてくれたことで、自分の
「ストーリー」
が、始まってしまったのである。
私は、根拠のないことを言っているのではなく、どうも2~3年前から、重鎮の先生でも亡くなったのであろうか?従来の学説と、かなり「違う」説が出始めた。これは、
「特筆」
に「値する」ことである。
最終的結論を、「トップ・ヘビー」のやり方で、最初に結論から申し上げると、私はあくまでも、
「融和」と「和合」
を目指しており、その理由として、21世紀になっても、今更、
「争っている場合でない」
というのが「一貫」した「主張」であり、もう、「日本人」「独特」の感性、
「水に流そう」
ではないですか。それが、自分の「最終的結論」である。
解説する。何故か知らないが、ちば県の中央、成田市、栄町、印西市、佐倉市などに囲まれた地域に、
「印旛沼(いんばぬま)」
という、ちば市の「水源」にもなっている「大きな」「沼」があり、横からみると、丁度、
「龍」
のような、形をしている「湖」がある。何故か?その、印旛沼周辺には、
「龍の伝説」
が沢山残っており、印旛沼北部・栄町(さかえまち)編で紹介した通り、日本最大の方墳「龍角寺(りゅうかくじ)岩屋古墳」や、関東最古の寺「龍角寺」のお寺の跡があるのは、ちばよい、「栄町編」で指摘した。
栄町のマスコットキャラクターは、
「龍夢(ドラム)くん」
である。成田駅前には、龍の形をした、「イルミネーション」が飾られているのも、成田夜景編で、指摘した。
何故か?知らないが、ちば市稲毛区在住の、千葉大学の超有名な先生の本によると、(普通に書店で売られている)この印旛沼の東側・成田市、南側・佐倉市には、
「麻賀多神社」(まがたじんじゃ)
と言われる神社が、18か所も、同じ名前をして「分布」している。
さらにこの神社でも、成田市台方にある麻賀多神社には、1500年も経つ、
「関東最古の大杉(おおすぎ)」
がる。さらに、何故か知らないが、事実として、六芒星の形をした印が神社の拝殿上部に飾られている。
ひるがえり、印旛沼西部・印西市(いんざい)を中心に、丁度、印旛沼を境に、対峙するように、
「宗像(むなかた)神社」
が、13か所も「一極集中」している。宗像神社は、あの九州北部、福岡県宗像市の「宗像大社」の流れを組んでいる。
(宗像大社は、日本の神道の最も古い形式を残していると言われる)
(さらに、その宗像大社の神郡(しんぐん)に指定されている地域が、ちばの安房神社、香取神宮、そして、茨城県の鹿島神宮と、ちば周辺地域のなんと3か所も関連してくる)
さらに、この印旛沼西部・印西市中心に、
「鳥見神社(とりみ・とみ)」
という神社も、18社あり、何故か知らないが、麻賀多神社と「同数」である。
印旛沼の西部、印西市を中心に、
「物部氏(もののべし)」
の、落人でも「住んでいた」?
謎なのである。そして、
「将門神社」
である。将門神社は、かの有名な「平将門(たいらのまさかど)」さんを、祭った神社で、ちば県柏市、我孫子市周辺に分布し、何か所もある。(ちば氏の祖先・親戚)
どうも、これらのことが、「印旛沼」を中心に、
「ちばの古代史の謎」として、「残っている」のである。
(ちなみに、成田山新勝寺は将門さん征伐のために、建てられたお寺である)
もう、昔のことは、昔のことにしようではないですか。
「融和」と「和合」
それをするべき時が、「今」でないですか? 一旦、Fin
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