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男が音を立ててテーブルに手を付きカップが揺れる。そのまま空を睨む男、騒がしくしていた周りも何やらピリついた空気に静まり返っていた。
至近距離に怒鳴る人間がいる状態に蛍は怯えて気持ち縮こまっている。
「はぁ……」
態とらしいため息を吐く。
「蛍、砂糖取って」
「へ、あ、うん……どうぞ」
「ありがと」
険悪な空気の中繰り出されたあまりもいつも通りな会話に蛍も拍子抜けした。
カップの中でくるくる回されるティースプーンのカチャカチャと鳴る高い音が鮮明に聞こえる。
「俺、今日の営業もう終わったんだけど?」
ゆっくりとした所作で自身のカップにお茶のおかわりを注ぎながら言う。いつの間にか蛍のカップにもまた湯気がたっていた。
男は今までの威勢はどうしたのか、急に空気の抜けた風船のようにその場にしゃがみ込んでしまった。空の演技がかったものとは違い、心からのため息をこぼしながら。
「……お前が、連絡取らないと、走り回る羽目になるのは自分なの、わかる?頼むから仕事用のスマホはちゃんと携帯してくれ……マジで……」
「普段は携帯してるよ、ちゃんと。今日はちょっと邪魔……もとい忘れて来ちゃっただけで」
「誤魔化すならもっとちゃんとやれ、もうわざわざ仕事用と分けないで端末統一してくれよ」
「友人でもない人達にプライベートの番号教えるのはちょっと……」
「自分、一年の付き合いなのにお前の番号仕事用しか知らんけど?!」
「そういえば、何しに来たの?」
漫才を始めたかと思えば、空の発言に男は自らテーブルの縁に頭を打ち付けた。再度カップが揺れる。
鈍い音がさすがに痛そうで蛍は思わず声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
額をテーブルの縁に当てたまま動かなくなっていた男がゆっくりと顔を上げ声の方を見た。
薄ら赤くなった額と疲れと諦めの見える顔、互いにしばらく黙って顔を合わせていたが蛍のほうが耐えきれなくなり、とりあえずなにか言おうと再度口を開く。
「あ、頭大丈夫ですか?」
「……さすがに天然ちゃんまでは手に負えんよ?え、ワザとじゃないよな?いくら自分でもこれ以上の追撃は心折れるからね?……ところで、どちらさん?」
今更二人の存在に気づいたといった反応を見せる男。二人からすれば奇行ばかりのそっちこそ何者だと言いたい。
その時始めて空が男に笑って見せた。
「仕方ないから紹介しようか。こっちの面倒事には我関せずのスタンスなのが優、ヤバそうな人間も心配できる優しい心を持っているのが蛍。可愛い俺の弟たちだよ」
空の笑顔を気味悪がりつつ、男は不躾に二人を交互に見やる。
別に睨まれている訳ではないのだが、男の橙の瞳は圧が強く蛍は少し萎縮してしまう。優の方は頬杖をついて興味無さげに男を見返していた。
「……優の方はお前の血を感じる、自分をみる目の温度が同じ、怖いわ。んで、蛍?この色白の天然ちゃんには心からの良心が感じられる……お前と違って目が澄んでる」
「こんな可愛い双子見たことないよねぇ」
「双子?あんま似てないのな」
「系統の違う可愛いなんだよ、と言うか初対面から名前呼びとか……」
「お前ら三人同じ苗字でややこしいだろうが……そんなブラコンキャラだったの?普段と違いすぎない?」
「キャラも何も、これが素だし。兄になった瞬間から二人のこと大好きだけど何か?」
演説でもしてるかのようにキッパリと言い切る。蛍は照れくさそうにしていたが、優は特に反応を見せず頬杖をつく手を入れ替えて男に言った。
「先輩、誰なんですか?」
「お、やっぱ先輩ってわかる?」
「声も態度もデカいんで」
「そうだ、空の弟だった……もういいや……二年の斎木 烙、空と同じく風紀委員ね。よろしく双子ちゃん」
改めて、二人も軽く自己紹介を済ませる。烙はそれを聞きながらしれっと空の隣に腰を据えていた。
ようやく本題に入れると話す烙に「聞くだけね」と素っ気ない返事をする空。構わず話し出した内容を簡単にまとめると、「見たことない二人に花ノ宮様が纏わりつかれている!可哀想!どうにかしなさいよ!」との申し出が数件風紀に、烙が任された委員長からの伝言は「仕事を増やすな、自分でどうにかしろ」との事だ。
「んー、聞くだけって言ったけどそれはちょっと対応しなきゃかな」
「弟ちゃん達が制裁されないように?」
制裁?と蛍は空を見るが、優が素早くクッキーを口に突っ込むことで意識が逸れた。美味い。
「そんなことは何がなんでもさせないんだけど、間違った情報は正さなきゃなって」
「間違った情報?」
「うん、俺の方が二人に纏わりついてるんだって」
文字通り、満面の笑みで落とされた言葉。
ソワソワと落ち着かない空気を隠すことも無く、聞き耳をたてていた周りはしばらく前から固まっていた。弟?双子?花ノ宮先輩が溺愛してる?通りで顔立ちがいいと、どうしようさっき弟様たちの事睨んじゃった、と口に出せないだけで内心騒がしくしているのだが。本人の口からだとしても、まさかそんなと空を見たとある諦めの悪い生徒は双子を見る空の目がひどく甘く溶けているのを見て赤面した。
しばらくして、再び食堂らしい賑やかさを取り戻した周りを見て烙は眉を寄せる。対照的に空は少し冷めたが香りは落ちていない紅茶を飲み満足そうに微笑んでいた。
「これで本当に今日の営業終了ってか」
「ご覧の通り、あとは周りが勝手に」
「もう終わったならなんでもいいわ……」
まだ仕事が残っていたのかと首を傾げる蛍にそうだと空は個人のスマホを取り出した。烙は「そっちはちゃんと持ってるのかよ」と恨めしげに視線をよこす。流された。
「優、蛍。いま烙の連絡先送っといたから追加しておいて。万が一どころか億が一にも有り得ないけど、もし俺が連絡とれないような事があって、何かあったら烙にかけていいから」
番号を教えるのは、と渋っていた本人が勝手に連絡先を教えている状況だが烙は別に止めはしない。「お兄ちゃん」をしている空に何も言っても無駄だと早々に見切りをつけたのもある。
それに実際、空がこの二人の連絡をとれない程の何かを想像できはしないが、面のいい人間、特に純粋っぽい蛍の方は風紀絡みの仕事に巻き込まれそうだからと寧ろ肯定的だ。
烙は至って真面目に風紀として仕事をしている。
「何か危ないことでもあるの?」
同じく空が自分たちの連絡を取らなかったことは無かったし、その為想像もできない蛍は問う。風紀は危ない仕事があるのか、という意味で聞いているのだが烙は仕事内容を知らない+見るからに過保護な兄二人、を見てお前言っていないのかと空を見る。
一瞬視線だけ返したがそれもすぐに甘さの増したものとなって流れて行った。
「そんな事ないよ。でもほら、委員会で忙しい時もあるし、ここ広いから慣れるまで迷子になったりしたら呼ぶといいよ。烙、道案内好きだし」
「変わった趣味をお持ちで」
揶揄うように笑った顔が空に似ているなと烙は優を見る、道案内は別に好きでも嫌いでもないが。
「はいはい、まぁ、何かあっても無くても連絡してよ。タイミング合えば昼飯でも行くか」
「卒業まで予約済みだから空きはないよ」
面倒臭いのでもう返事はしない。弟の前だと会話が成立しないと烙は学んだのだから。
二人が送られてきた連絡先を追加したのを確認しそろそろかと烙は席を立つ。
「んじゃ、自分は戻るわ。じゃーね双子ちゃん、空もスマホ持つくらいはしろよー」
空は微笑んで返すだけ。できない、やらない事は言わない人間だと分かっている烙は諦めの気持ちを込めて手を振り早足にその場を去っていった。
「俺たちもそろそろ行こうか、買い物して……夕飯は部屋で作ろうか?」
「お前が?」
「優が」
空は料理ができない。勿論、気の済むまで挑戦した上での結果だ。
食材を切る手つきは危なげがない所か寧ろ様になっているのだが、問題は火である。火を使わないもの、例えばサンドイッチ等であれば美味しく作れる。不味く作る方が難しいではあるが、本人曰く「火との相性が悪い」だそうだ。
一方、優は火を使ってもキチンと美味しい料理が出来上がる。進んで手の凝ったものを作ることは少ないが、ある物で適当に美味しいものを、ができるタイプだ。こちらも本人曰く「母さんが作ってるの見てたし」との事。この差である。
「良いけどね、……んじゃ、夕飯は親子丼でも作るか」
傍らで蛍がパッと目を見開く。優は注文する時蛍が麺類と丼物のページを行ったり来たりしているのを見ていた。
どうして分かったのかとこちらを見る蛍に優はまた揶揄うような、しかし先程とは違い確かに甘さを持った目で言う。
「空は戦力外だから手伝ってな」
「うん!」
兄という存在はやはり凄い、と笑う蛍。微笑ましげにその光景をしっかり目に焼き付けてから空は席を立つ。二人も続いて席を立つとアレが必要だこれも買おうと並んで買い出しへと向かった。
三人の居なくなった食堂は扉が閉まるのを待っていたかのようにワッと盛り上がりをみせた。 勿論、話題の中心はいま去っていった三人だ。
「どうしよう……弟様たちだったなんて」
知らなかった、知っていればと顔を青くする小柄な生徒とそれを慰めるように寄り添う同じく小柄な生徒たち。
「烙様と喋る時ともまた違う砕けた口調!あんなお顔も初めて見たわ!」
キャッキャッと可愛らしく頬を染め言葉を交わしテーブルに座っているのは運動部だろうか、体格のいい生徒たち。
「新情報、花ノ宮様料理が不得意、っぽい。いやー、助かるー。そういう所も寧ろ『完璧じゃなくて可愛い』って世に放てばおなごにモテそうなのは腹立たんでもないけど、ここは最高男子校ですし、観察対象としては美味すぎるってもんよな、わかる。それと顔面偏差値高い溺愛する双子の弟さん、特にあの肌の白い……」
活気を取り戻した食堂では気にする者は居ないとは言え、盛大に独り言を漏らしている一人の生徒。
早口に紡がれる言葉と同じくらい何かをメモに書き込んでいたが、ふと口も手もピタッと動きを止めた。手にした何かのキャラもののボールペンを震えるほど握りしめ何かを堪えているように見える。
席に着かず三人の居た席から影になる柱に背を預けていた生徒は、予備動作も見せずダッと全力で走り出すと食堂を飛び出し、廊下を走るなと咎める通りがかりの教員も振り切って一気に中庭へと出た。苦しそうに上下する肩を落ち着けるように大きく息を吸う。
「ぜっっっっったい総受けだー!!!!!!」
人の疎らな中庭で不振な目を向けられるが微塵も気にすることなく生徒は寧ろ、額に浮かんだ汗を清々しく腕で拭い満足気だ。
大きく空に響いた声は、明日の入学式も間違いなく晴天だろうと疑わないほど青く穏やかに流れていた。
「ここのコンビニ?売店?ってそんなに品揃え良いの?」
「コンビニ、ってみんな言ってるけど規模とか品揃えで言うならちょっとしたスーパー位はあるよ。少ないけど自炊する人も居るしね」
食堂を後にしてコンビニへと向かう道中、帰る道すがらにあるからと特に急ぐことも無く並んで歩く三人は時々すれ違う人からの視線は感じるものの空を先頭に順調に進んでいた。
蛍は今日一日感じるその視線を「エスカレーター式だから新入生が珍しいんだろうな」と勝手に納得している。
「在校生の実家から卸してる商品とかもあって結構面白いよ。発売前の商品を卸して市場調査も兼ねてるみたい」
「へー、私立って凄いね」
「良くやるよな、必要なもんがあれば何でもいいけど」
さほど歩くことも無く丁度、寮と食堂の中間地点にあるコンビニが見えてきた頃、その入口を囲うように人集りができていた。
「?何かあったのかな?」
「んー、何だろうね」
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