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「富樫さん、何か用?」
夕陽差し込む放課後の生徒会室にて。
辛抱強くひとの出入りを見張り、成瀬一人になったと確信したタイミングで乗り込んだわたしに対し、成瀬は別段愛想良くも悪くもなく尋ねてきた。
窓は開け放たれていて、折からの風に黄ばんだカーテンがはためき、成瀬の茶色っぽいさらさら髪も軽くなびいていた。
それは、つくづく成瀬はイケメンなのだと思い知らせてくれるような光景だった。
成瀬とはクラスメイトで当然顔見知り。
ただし関係性は薄い。
成績優秀・スポーツ万能・生徒会長と理想を体現しているかのような彼の周りには、男女共にいわゆるカースト上位の生徒がひしめいている。
一方のわたしは、「なんだか成績は良いらしい」以上の特記事項はない。
ストレートの黒髪だけは多少手入れは真面目にしているし、祖母がイギリス人だったせいか肌は白いし顔も特徴を受け継いでいるが、おそらく世間的な意味合いで美少女というわけではないと思う。
実際にモテた試しがないのでこれは謙遜ではない。スタイルだってごくごく標準的だ。
成瀬の頭の容量から考えれば、名前と顔は一致するだろうし、成績二番手として意識はしているだろうが、興味関心を持たれていると感じたことはいまだかつてない。
(名前を呼ばれたことだって、数えるくらいだよね)
授業の合間の休み時間に「富樫さん、消しゴムこっちに転がってきた」とか、「富樫さん、今日の体育、男子は体育館だから女子はグラウンドだよ」とか。
記憶に寄ればその程度。
返事だって「そうなんだ、ありがとう」で終了。
(……ん? あれ? 成瀬結構いいやつじゃん?)
回想しながら気付いてしまったが、気付かなかったことにした。
もともと個人的な恨みなどない。
ただ単に、「このひとのペースを乱せば次のテストで勝てたりして!」という打算しかないのだ。正々堂々と戦うのが学生の本懐、という志などない。
いや、ごく微量はあるが、「一回くらいはわたしも一位とってみたい!」の前には無力である。
かくして。
わたしは、あらかじめ用意してきた鋲つきの首輪をごとん、と成瀬の座っていた生徒会長机の上に投げ出した。
「これは……?」
さすがに、どこをとっても恥じることないイケメンであるところの成瀬の頬にも緊張がはしっている。
「首輪よ首輪。あげるからつけなさいよ」
(ドSなご主人様って、こんな感じ?)
顎を逸らし、腰に手をあてて精一杯蔑んだ目と高飛車な態度を意識して言ってみた。
「一応聞くけど、なんで?」
聞くよね。聞くよ。
それまでほとんど話したことないクラスメイトにいきなりこんなことされたら、そりゃ聞くと思う。
「口答えしないで。わたしがやれっていってるんだからやりなさい。ほら」
言われた成瀬は、これまた一応といった感じで首輪を摘まみ上げて、しげしげと眺めた。
「よくわからないけど……、これをつければいいの?」
「そう!!」
そうなの!! と、わたしは思わず身を乗り出してしまった。
成瀬はちらっと視線を流してきてから「こういうのって、自分でつけるものなの?」と言った。
「ど……どういう意味……?」
「だからさ。自分で自分に首輪つける犬なんかいないよね。ご主人様がつけてくれるもんじゃないの?」
「ご主人様……」
その言葉の響きに、思わずぞくっとしてしまった。
(この調教……いける!)
「わかったわ、じゃあわたしがつけてあげる」
こほんと咳払いをして、机を回り込み、座ったままの成瀬の横に立つ。首輪を手ずから受け取って、首にまわしてみた。
(大型犬用? だから、長さたりるよね……?)
近くで見ると、思った以上にがっしりとした首をしていたし、首輪をまわしながら指先が触れた肩も固くしっかりとしていたが、幸い首輪の長さは足りていた。そのまま、調整してみる。
「こんな感じかな……、苦しくない?」
「ん。大丈夫だけど……、富樫さん、慣れてないの?」
首輪をはめられながら、成瀬が至近距離から見上げてきた。
(うわー、睫毛長いし、眉の形も整ってるなー)
近くでみても造形に一分の隙も無いことに感動しつつ、慎重に首輪をしめて言った。
「犬は飼っていないので、首輪をつけるのは初めて。もちろん人につけるのも」
「ふーん」
「よし、できた」
達成感から、額にうっすら浮かんだ汗を拳でぬぐって、首輪成瀬を見下ろす。
成瀬は薄く笑っていたが、目が合うと「で?」と言って来た。
「これでおしまい? 次は?」
(さては……乗り気ですね!?)
さらに「いける!」との確信を深めたわたしは、入室して戸口に置いていた紙袋のところまで引き返し、中身を取り出してきた。
「これを着なさい!!」
演劇部から拝借してきた、男性サイズのメイド服!!
白いフリルブラウスに、清楚な焦げ茶色のロングスカート。そしてやはりフリル過剰なエプロン。ついでにお揃いのヘッドセットもある。
机に置くと、成瀬は一枚一枚しわをのばすかのように広げて、じっくりと見下ろしていた。
やがて顔を上げると、わたしの目をまっすぐに見て言った。
「ドアに鍵をかけて。万が一にも誰かが入ってきたら困るから」
(着る気だ……!!)
これはもう、絶対にいける!! との確信から、わたしは小躍りせんばかりの勢いで引き返して、内側から鍵をかけた。
一方の成瀬は立ちあがると、窓をしめてさっとカーテンをひいていた。
室内は少し薄暗くなった。
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