出会い

4/9
前へ
/9ページ
次へ
 ああ、嫌になっちまう。  暁は、浮かんできた思考を掻き消すように、ひらひらと掌を動かした。 「虫でもいたのか?」  衝立の向こう側から聞こえてくる艶めかしい声に紛れて、耳障りの良い声が聞こえてきた。  顔を上げると、暁の瞳に、客の顔が映った。  総髪に髷を乗せて、着物の上からでも、体格が良いのがわかる。  着物も上等で、無精髭も生えていない。  破落戸のようにも見えないし、かといって、商人のようにも見えない。  刀でもあれば、武家なんだろうと予測できるが、客のそばに刀らしきものはない。  初めて見る顔だった。 「ああ、何か見えたけど、気の所為だったようだね。もう一杯どうでありんすか?」 「もらおうか」  穏やかな口調が、妙に心地よく感じる。  暴力こそ振るわないが、態度も言葉遣いも、粗野な客が多い。 (まるで初夏の風のようだね)  暁の一番好きな季節は、初夏だった。  暑くもなく、寒くもなく、風は穏やかで、どこからか漂ってくる甘い香りも好きだった。  そんな初夏を思い出させる客と、もう少し何かを喋ってみたい。  そんな気持ちが、暁の中に湧いてきた。  部屋持ちの姐さんに付いていたら、唄や三味線などの手習いもできただろうが、禿時代から、暁は誰にも面倒を見てもらっていない。  見世に必要な遊女の一人でしかなかった。  特に話題も見つからず、話しかけることもできないまま、無言でいた。 (買われるのなら、こういう旦那がいいねえ)  こんなことを考えるのも、初めてだった。  あたしじゃ、指名はされないだろうね。  もう一杯酒を注いで、その場を立った暁を引き止めたのは、客の方だった。   「もう一度、戻って来てくれないか」  耳を疑った。  客は、暁の目をジッと見ている。 「今夜は、俺と寝てくれないか」  聞き間違いではなかった。  今夜、暁は、この客に買われた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加