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レンジ愛
坂本蓮司。
隣の部屋の住人だ。
彼の部屋から飛び出した女性は、彼曰く、彼女ではなかったらしい。
痴話喧嘩みたいなセリフを言い捨てて出て言ったから、てっきりそうなのかと思ったが、頼み事をしに来て、断られた際の捨て台詞らしい。
ここで、私の『生命維持の頼みの綱』である電子レンジについて語る。
私は致命的に料理が出来ない。
それに加え、仕事が忙しく自炊する気力もない。
たまに気が向くこともあるが、一食の為に食材や調味料を買うというのは、地味にお金が掛かる。
なので、もっぱらコンビニか冷凍食品に頼りがち。と言うか、頼りっぱなしだ。
そんな私が『電子レンジ』を無くすという事は、とんでもない事なのだ。
何なら名前を付けていたくらいだ。
まぁ『レンジ君』と呼んではいたが。
「私はレンジ君がいないと死んじゃうんです!干からびちゃうんです!」
「レンジ君がいないと…困る」
私はレンジさんに、ひたすら『レンジ君』への愛を喚き散らした。
状況を理解したレンジさんは、ため息をついて言った。
「…飯は俺が作ってやる。だから…レンジを『レンジ君』って言うの止めて。」
彼の名前を知ったのはこの時だ。
引越し当日から、レンジさんとの関わりが始まった。
◇◇◇◇◇
「今日も遅いんだな。面倒くさいから、ここで食べていけよ」
意外に世話好きだったらしく、レンジさんは私の『ご飯担当』となった。
新しいレンジが購入されることは無く、既に三ヶ月。
すっかり餌付けされた私は、毎食レンジさんの部屋にお邪魔する。
レンジさんは、小学校の栄養士さんらしい。
栄養士さんというと女性のイメージだったが、そうでもないらしい。
食育についても子供達に教える事のあるレンジさん的に、私の食生活はとんでもなかったらしい。
そして自分のせいでもないのに、レンジが破壊した責任を取って食事を作ってくれるようになった。
「コンビニ飯ばっかって言うのは良くない。まぁ、たまには俺も食べるけどね」
今日は昼食に何を食べたか聞かれ、コンビニのオムライスを食べたと言うと、レンジさんにそう返される。
そんな今日の夕食は、サバの味噌煮だ。
そしてかき玉汁、ほうれん草の胡麻和えが付いている。
定食屋さんみたいだ。
「…なぁ。明日の休み、何か予定ある?」
「…んぐ?」
魚を頬張っている時に聞かれ、私は変な声で返答してしまう。
「…いや、『んぐ』じゃ分からないって。」
レンジさんが笑って言う。
私はシッカリ噛んで飲み込んでから、レンジさんを見る。
「特に何も〜。洗濯して、ワイパーさんするくらい」
「道具に名前付けるの好きだな、相変わらず」
安直なネーミングだと笑われる。
「分かりやすくて良いと思うけどね。
犬にポチとか付けるのと一緒で。名前を聞くだけで、犬だって分かるじゃない。」
私の考えを述べると、レンジさんは「なるほどね」と納得している。
程なくして、私は用意された食事を完食する。
「ご馳走様でした。…んで、明日は何するの?」
食べ終わると、食器を洗うのは優満の役割だ。
自分がご馳走になっているのだ。
最初に、せめて片付けくらいはすると申し出てからはちゃんとしている。
食器を下げて、ジャブジャブ洗いながらレンジさんに聞く。
「…月曜日、コンペだっけ?結果出るって言ってたよな?それの必勝祈願にTaberna行こう。明日、カツカレーらしいし。」
たまに行く、オフィス街の裏手にある食堂。
明日のランチは“カレーの日“で、タイミングが良いのか、カツカレーらしい。
「タベルナのカレー!!食べたい!!」
レンジさんの提案に、優満は満面の笑みで、飛び上がるように喜ぶ。
Tabernaは、その日提供するメニューをオーナーが毎回変える店だ。
料理のジャンルすら変えて提供する店なので、多国籍料理というべきか。
そのタベルナは、月に一度“カレーの日“を開催する。
オーナーが、インド人の友達と共にカレーのスパイスを配合したモノを使ったカレーは絶品だ。
そして良い意味で、オーナーは『現地の通りに提供しなければ』という考えの無い人だ。
なので今回のカレーの日は、本格的なカレーのルーにも関わらず、“カツカレー“らしい。
この3ヶ月の間、すっかりレンジさんに餌付けされた。
更には、面倒見が良く真面目な性格に絆された優満は、正直、レンジさんが大好きだ。
その彼からの外食の誘い。
食器を洗い終えた優満は、レンジさんの側まで行き、目の前で正座をした。
「謹んでお受け致します。」
「取引企業か…!」
二人で大笑いした。
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