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おや、あなた、新しく入った人なの?
まあ、随分お若いのね。
あたしゃ、マリリン・モンローといいましてね、こちらでは一番の古株になります。
……やっぱり笑いましたね。これでも正真正銘、本名なんですよ。あの金髪のお嬢さんは本当はノーマ・ジーンとかいう名前だったはずです。髪もわざわざ黒から金に染めてたとか。
あたしゃ見ての通り、すっかり灰色の髪ですよ。もちろん染めちゃいません。元は焦げ茶の髪だったのが年取ってこうなっただけです。
五十にもなればね、仕方ありませんよ。
え? もっと上に見える? 最近の人は、特にこの辺りの黄色い人たちときたら孫を持つ年頃になっても子供みたいに若いですからね。
あたしゃシカゴの大火があった年に生まれましてね、大統領がハーディングに代わった年に死んでなけりゃざっと一五〇歳は超えております。死んでからの方がもう倍も長いですね。
生きてる時に最後にお勤めしたノースショアのお屋敷の辺りもとっくに様変わりしてますよ。
たまにお休みをいただいてその辺りに行くとまるっきり外国のように思えますね。生きてた頃に見知った人なんてもう一人もおりませんし。
もともとあたしゃ独身子無しのまま年取って、乳母としてお勤めしていたお屋敷の一人娘だったお嬢様も若くして亡くなって、これからどうしようかと思い悩んでいた矢先に卒中で死んだもんですから、子孫なんて人もいないんですよね。
え? あなたもそうだって? いや、最近の若い人なら珍しくはありませんよ。
あたしの頃は生涯独身子無しの女なんて老嬢とか呼ばれて随分馬鹿にされたもんですから。亡くなった奥様に代わって育ててきたメラニーお嬢様、それがお仕えしたお嬢様の名前でしたけど、その方の成長だけを楽しみに生きてきたんですよ。
さして良いこともしてない代わりにそんなあくどい仕打ちもしてきたつもりはありませんけど、そのせいなのか、死んだら天国にも地獄にも行けず、百年経った今もこの世にいるんです。
天国でも地獄でもより相応しい人に来て欲しいんでしょうけど、あたしみたいな者はやっぱり紹介状がないとどちらにも働き口が無いんでしょうかね。
ああ、ごめんなさいね。来たばかりの人に辛気臭い話をして。
ただね、あたしゃ確かに世間で言うところの幽霊ですけど、恨みがましく人様を襲ったりあまつさえ自分と同じ死の世界に引き摺り込んだりなんて真似はしませんよ。
見ての通り、死んだ時というか生きている頃のままの姿です。血みどろのおぞましい成りをしているとかいうわけでもありません。
あなたもそこは一緒だから分かりますよね。
それでも、あたしらは何でもない場所にただ居るだけで、いわゆる“視える”人には視えちゃってね、そうなると嫌でも驚かせちゃうんですよ。
こんなどうってことないメイドのお婆さんなのに、何にもしなくてももう生きてないってだけで怪物扱いですよ。
生きてる人ってのはつくづく薄情なもんですねえ。自分もいつかはそうなるのにたかが死んだだけの人間をやたらめったら怖がって。
そんなわけであたしゃ次々寝蔵を変えるよりしようがなかったんですよ。
死んでからは飲まず食わず眠らずに動けますから、そこは助かりましたね。
昼間なら大抵の生きた人には視えませんから、列車でも船でも飛行機でも入り込めますしね。
もう死んでますから、たまに視えている客や車掌さんに出会してもにっこり笑って頷けば無賃乗車だと摘まみだされることもありません。
そうして死んでから五十年近く経った辺りですかね。カリフォルニアで求人募集を見つけたんですよ。新しく遊園地に出来る幽霊屋敷のね。
生きている人様の方から来て欲しいと言うんですから、一も二もなく応募しましたよ。
二年ほどそちらにお勤めしたところでフロリダにも別宅が出来ましてね。
十二、三年の間は二軒のお屋敷を行き来していました。
そうして今度は極東に三軒目のお屋敷を建てる話を聞きまして、そちらではこのお屋敷に合うメイドを集めるのはなかなか難しそうだともうかがったのではるばる海を越えてこちらに来たんですよ。
それから四十年、こちらにいます。
むろん、人手が足りなくなった時にはフロリダやカリフォルニアにも行きますし――幽霊も色々ですからね、急にパッと姿を消しちゃう人がちょくちょくいるんですよ――たまにパリや香港にまた新しく出来たお屋敷も手伝いに行きますけどね。何せそちらの方は色々流儀も違うもんですから。
フランス人なんて死んだ後でもあたしみたいなアメリカ女のことは下に見た振る舞いに出ますし、同じアジアでも香港は日本と比べてまあ気のきつい人が多いですね。
結局、東京のこのお屋敷が一番水に合うんですよ。
あそこに飾られたパラソルを持ったお嬢さんの肖像画を観て。
カリフォルニアやフロリダのお屋敷にもありましたけど、こちらのお屋敷に掛けられている絵が一番亡くなったメラニーお嬢様にそっくりなんです。
まあ、あの絵のように鰐が口を開けた川を綱渡りなんてしてませんでしたけどね。
フィアンセのハリー坊ちゃまとドライブに出掛けて事故で亡くなったんですよ。
死んでからは一度もお会いしていませんから、今頃はお二人とも天国にいらっしゃるはずです。
こうしてお勤めしていれば、いつかはあたしも天国に行けるんですかね? もう死んでからの方が長いから生きてた頃より天国も地獄もずっと遠くに感じます。
あら、もうお客様をお迎えする時間だわ。
それでは、皆さん、持ち場について!
あなたはまだ不馴れみたいだからこのトレイを通路側の方の腕に抱えてティーポットを持つあたしの後についてきてね。
“扉一つ無い部屋で身の毛もよだつ不気味な響きが館の中に広がる。キャンドルの炎が風も無いのに揺れ動く。ほら、そこにもここにも死霊たちが……。諸君の恐れおののく姿を見て、彼らは喜びの笑みを浮かべているのだ。紳士ならびに淑女の諸君、ホーンテッドハウスへようこそ……”(了)
*シカゴ大火は1871年、ハーディング大統領就任は1921年になります。
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