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この間ストーブを出したと思ったのに、もう仕舞わなくてはならない。季節が巡るのは早いものだ。青空を見てぼんやり歩いていたハルトは呼ばれて、下を見た。無垢な瞳が見上げている。
「パパ」
「あ、ああ」
「桜綺麗ね」
十年前の過去から現在に意識が戻る。
あれからハルトは都心に戻って、出世を重ね結婚した。辛いこともあったが、いいこともたくさんあり、今年小学生に上がる娘と、金持ちの娘である妻がいる。家族で花見に訪れた目黒川沿い、川面に無数の花びらが落ちていた。
「ごめんね」
「ん?」
「あなた人混み、苦手なのに。
あの子ったらどうしてもパパと見たいって聞かなかったの」
「気にしてないよ」
気遣わしげな妻を安心させようと、ハルトは微笑んだ。本当に苦手なのは、人混みではない。桜と、それから。
「パパ、ママ!」
なにが面白いのか柵を掴んで川を熱心に眺めていた娘がぱっと立ち上がる。春風が穏やかにそよいだ。外国人観光客や大人を器用に避け、走ってくる娘の手に桜の花がある。
「あげる」
落ちている花を拾うのは、褒められたことではないだろう、しかしハルトにとっては愛娘がくれるものというだけで価値があった。
「ありがとう」
本当の笑顔で花をそっと受け取って、抱き上げる。耳元で娘が囁いた。
「今度はコロさないでね」
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