いなくならないで

1/3

19人が本棚に入れています
本棚に追加
/43ページ

いなくならないで

 (ぐぬぬ)  一方のカゲである。  彼は、やはり尿意と闘っていた。  クリニックに来る度に。  どうもおかしい。  この医者、ゼッタイ秘密があるぞと、カゲは思った。  「ああ、田中くん。紅茶を頼むよ。三人分ね」  北白河がナースに声をかける。  「ごめんなさい。忙しいのに」  「いいんだよ。ヒカリちゃんも一緒に食べよう。護衛さんもどうぞ」  「ひぅ……ど、どうも」  カゲは、ぎこちなくヒカリの隣に腰を下ろしたが気が気でない。  ただでさえ尿意と闘っているというのに、よりによって紅茶だ。  利尿作用……!  「あら、手作りのお菓子ですか? いいなぁ、先生もスミに置けませんねー」  田中と呼ばれたナースがトレイに紙コップを載せてきた。  利便性を考慮しての紙コップだが、そこはセレブ向けのクリニック。厚手でシックな模様が描かれた高価なもので、もちろん紅茶も高級品だ。  「良かったら皆さんでどうぞ」  「やったー、いただきます! んー、美味しい!」  「ありがとうございます。お恥ずかしいわ……このお紅茶、とてもいい香りですね」  ヒカリたちが談笑する横で、カゲは一気に紅茶を飲み干した。  「お、俺は、外で、待って、ますんで」  カゲは、診察室を飛び出すとトイレへ駆け込んだ。  診療が始まる前で、人がいなくて丁度いい。  事なきを得たものの、手を洗っている最中にまたブルリと震えが来た。トイレへ逆戻りだ。  (紅茶のせい? 恐るべし、北白河クリニック──!)  紅茶くらい手をつけなくても問題なかろうに、出されたものを律儀に平らげるからこうなる。  (誠先生、普段はこんなに気さくなのね)  カゲと対照的に、ヒカリの胸の中はポカポカと暖かかった。  また会えた。  仕事中とは違う、オフの先生だ。  自分を迎え入れてくれた。  手作りのお菓子を食べてくれた。  それだけのことが、たまらなく嬉しいのだった。
/43ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加