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「ったく。礼なんか必要だったのかよ」
クリニックを辞すと、カゲは恨みがましく言った。
紅茶の作用も手伝って、尿意がえらいことになってしまったからだ。
時刻は十七時前。間もなく夕方の診療が始まるところである。
「予約外でお世話になったんだから当然でしょ」
「これからどんどん弱っていくんだ。いちいち礼なんかしてたらキリがねえだろが」
ヒカリがピタリと足を止めた。
クリニックの駐車場である。
「なに言ってるの、カゲ」
「あ?」
「おじいちゃんは財界の鉄人だよ」
「今はな。けど歳は取るだろ。順番でいったら先に逝くのはジジイだ」
「どうしてそんなこと言うの? おじいちゃんは、死なないよ」
ヒカリの口調がガラリと変わった。
カゲが振り向くと、彼女は表情を失くしてどこか遠くを見ていた。
「おい、どうしたんだよ?」
「パパとママが事故で死んで、おばあちゃんもすぐ病気で死んじゃって……でも、おじいちゃん言ったもん。これ以上、誰もいなくならないって」
「おまえ……」
「言ったもん! おじいちゃんも、橋倉も。絶対にいなくならないって、言ったもんっ!」
ヒカリが悲鳴のような声を上げると、カゲは苦い顔でポケットに手を突っ込んだ。
「……そうかよ。悪かったな。けど」
言葉を継ごうとしたとき、物音がした。
北白河であった。
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