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橋倉 巌は、使用人専用の居室で咽び泣いていた。
お昼のメロドラマにハマっているのである。
使用人の部屋といえども、彼は胡桃沢家の中では最古参の万能執事だ。当主・胡桃沢春平からの信頼も厚く、立派な部屋を与えられている。
しかし、この部屋で椅子と呼べるものはダイニングチェアが一脚だけ。
背もたれを使わず、「良い姿勢」のお手本のような座り方でドラマを鑑賞していた橋倉の衣服には一つのシワもなかった。
もちろん、丁寧に撫で付けた髪にも乱れはない。
「さてと」
やや鼻声で、橋倉は立ち上がった。
メロドラマを引きずったまま当主に仕えるなどとんでもない。
万能執事に戻る前には、彼はいつも熱く濃い緑茶を淹れることに決めていた。
「なんか、オトナね」
「フボォッ! お嬢様、いつの間に!」
橋倉は自分で淹れた茶を吹き出した。
ラグの上で、胡桃沢家の令嬢・ヒカリが体育座りをしていたからだ。
十七歳の高校二年生。
大きな瞳を興味深げに輝かせている。
「オトナの純愛って感じ」
「不倫の話だろ」
「泥棒までついて来たか。ほれ、シッ!」
カカカッと下品に笑いながらラグに寝そべるのは、ヒカリの護衛・カゲである。
彼の本職(?)は泥棒なのだが、この屋敷に盗みに入ったところを見つかり、ヒカリが気まぐれで雇ってしまったのだ。
だらしない風貌であったが、髪を切り揃えて護衛用の黒服を与え、体裁だけは整えた。
シャープな輪郭に鋭い目が特徴だが、今は眠たげに緩んでいる。
「フリンてなに?」
「おまえ、そんなことも知んねえのか」
「お嬢様におかしなことを吹き込むでない、この泥棒が」
「自分がそんなドラマを観てたんだろうが、オッサンよぉ」
万能執事とて、稀に自らの行いを棚に上げることもある。
橋倉は、カゲの言葉など聞こえぬ振りでヒカリに温かな眼差しを向けた。
「お嬢様。そろそろ通院のお時間でございます」
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