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カゲは何とか橋倉の手から逃れると、口元を拭った。
めちゃめちゃしょっぱい。
「あーあー、そうかよ! 俺だって願い下げだ、あんなガキ!」
遺産の話があって以来、ヒカリには気を遣ってきたつもりだった。彼なりに。
口うるさいことは言わず、北白河のことを諦めるまで見守ってきたのだ。
しかし、それはすべて無駄だった──。
「やめたやめた! ジジイがくたばるまで時間もかかりそうだしな!」
カゲが投げやりな様子で髪を掻きむしると、春平がピクリと眉を動かした。
「何のことじゃ?」
「医者によると、オメーは超健康なんだとさ」
ここで、春平や北白河医師が気にしていた“記号”の話である。
この記号とは健康診断の各検査結果につけるアルファベットのことで、
A 良好
B 概ね良好
C 経過観察
D 危険
E 今すぐ病院へ!
という具合にレベル分けされている。
春平はほとんどAとBで、肝臓の項目で一つCが付いていた。
彼の年齢を考えればBやCが付くのは珍しいことではなく、同年代と比較してもじゅうぶん健康ということになるのだが。
業界のトップを走り続けてきた彼は、“A”が少ないことを気に病んでしまったのである。
しかも、北白河が忙しすぎてA〜Eの凡例を載せ忘れたことも話をややこしくした。
……ちょっと人騒がせなところもある春平じいちゃんである。
「勝手に話を聞き出すとは何事だ! しかもなぜ黙っておった?」
橋倉がカゲの首根っこを掴む。
「フン。ダメージ食らったままの方が、くたばるのも早えと思ったんだよ」
「こやつ!」
春平がゲンコツを落とした。
「何しやがる、健康バカ! 元気ジジイ!」
「……カゲ」
戸口にヒカリが現れた。
鬼の形相である。
途中から話を聞いていたのだ。
──スパパパパパァーーーンッ!!
ヒカリの往復ビンタが炸裂する。
「アンタなんかこっちが願い下げなのよ! 気持ち悪いわね!」
カゲは知った気がした。
ドラマのセリフに出てきた『紙一枚』の重さというものを──。
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