恋のパウンドケーキ

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恋のパウンドケーキ

 「軽い脱水症状ですね。お疲れも溜まっていたのでしょう」    倒れたのがクリニックの近くだったことが幸いした。  奥の小部屋で、春平はベッドに横たわっていた。  夕方診療の途中であったが、北白河が迅速に対応してくれたのだ。  傍で、ナースが点滴を調整している。  「パパ!」  カゲに伴われ、冬子が部屋に飛び込んできた。  カゲはあの後、どさくさに紛れてトイレへ急行。事なきを得たところで、鈴木さんから連絡を受けた冬子がクリニックへ戻ってきたのだ。  「パパ、大丈夫? あまり無理をしないで」  「ホッホ。すまんすまん」  冬子が春平の手をとると、彼は目尻を下げた。  孫のヒカリと同様、末っ子の冬子にも甘い。  「先生、本当にありがとうございました」  冬子は、診察室の方へ戻ろうとしていた北白河に頭を下げた。  ヒカリも慌てて後へ続く。声が出ず、ピョコンと頭を下げただけだった。  「点滴が終わる頃には落ち着かれると思いますので」  北白河は微笑みながら出ていく。  ヒカリは、春平のこんな姿を初めて見た。  おじいちゃんが、おじいちゃんじゃないみたい。  「申し訳ございません」  鈴木さんが深々と頭を下げる。  「私がついていながら……。冬子様にも、お嬢様にも大変なご心配を」  「謝らないで、鈴木さん。むしろパパ一人だったらどうなってたか」  「大袈裟じゃよ、大したことはない」  春平と冬子が取りなす横で、ヒカリは硬直していた。鈴木さんが申し訳なさそうに目を伏せる。  (なーんか、おかしいな)  後方で、カゲは首を傾げた。  ヒカリは、基本的にカゲ以外の使用人に優しい。また性格的にも、こんな時はいち早く口を開くタイプだ。  それが突然、借りてきた猫のように──。  だがヒカリは、性格が変わったわけでも鈴木さんに怒っているわけでもなかった。  祖父が倒れたショックと心配。弱々しさとは無縁と思っていた人への戸惑い。  それらに掻き回されて、何も考えられずにいるのだった。  「ヒカリ。おいで」  空いている方の手で、春平が手招きする。  ヒカリは恐る恐るベッドに近づき、祖父の顔が見えるように膝をついた。  「大丈夫じゃ。大丈夫じゃよ」  「うん……」  ゴツゴツした手がヒカリの頭を撫でると、涙が一雫、シーツに落ちた。  
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