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「藤次さん朝よー。ねぇ、起きて〜!」
「んー…」
ーー草木の色が華やいできた穏やかな春の朝。
いつものように藤次を優しく起こす絢音だが、春の心地よい気温や布団の気持ち良さ、加えて朝に滅法弱い藤次は、最近毎日、嫌だ嫌だと駄々をこねる始末なので、絢音はほとほと困り果てていた。
「藤次さん。いくら職場近いからって、そろそろ起きてご飯食べないと。それに今月、もう5回も遅刻してるでしょ?いい加減にしないと、部長さんに呼び出されるわよ?」
「んー…、ほんなら今日、休む〜。」
「バカ言わないの。簡単にお休み出来るお仕事じゃないでしょ?しかも、今日は朝イチで大事な裁判あるんでしょ?だから引っ叩いてでも起こしてくださいって、私佐保ちゃんに頼まれたのよー。だからねー、起きてーーー」
「んーーー」
それでも起きる素振りを見せないので、絢音は止むなしと、藤次の頬をギュッと抓る。
「痛い。DVや…」
「こんな優しいDVあるわけないでしょ?ホラッ!起きなさい!!次は佐保ちゃんの言う通り、平手で引っ叩くわよ?!良いの?」
「んーーー」
遂に観念したのか、ゆっくりと起き上がってきた藤次に安堵の溜め息をこぼし、早く着替えてねと釘を刺し寝室を後にしようとした絢音を、藤次は背後からギュッと抱き締める。
「もー、甘えん坊さん。本当に、手のかかる大きな赤ちゃんだこと。着替え、手伝えば良いの?」
「うん。怠い…」
「ハイハイ。じゃあ、上からね。」
「うん。」
そうしてこうして、何とか着替えを済まし、洗面台に連れて行く頃には意識もはっきりしてきたのか、欠伸をしながら身支度をする藤次を横目に朝食とコーヒーと新聞の用意をして居間で待っていると、絢音と呼ぶ声がしたので行ってみると…
「袖のボタン取れた。どないしょ。」
「…ハイハイ。新しいの出すから、脱いでその辺に置いててちょうだい。」
「ん。」
頷きシャツを脱ぐ藤次を見つめながら、よくこれで今まで独りで生活していたなと呆れて閉口していたら、視線に気付き、藤次は口を尖らせる。
「なんや。折角嫁さんもらったんや。甘えて何が悪い。」
「別に悪いとは言ってないでしょ。ただ、いい大人なんだから、辛いのわかるけどしゃんとして。」
「へーい。」
「もう。あ、ホラッ!言った側からネクタイ!」
そうして、新しいシャツを着てネクタイを結んでいた藤次のやり方が気に入らなかったのか手を出すと、それを阻まれチュッとキスをされる。
「…折角の新婚さんやのに、そないカリカリしなや。可愛い顔、台無しやで?ワシの可愛いお嫁はん?」
「…なによ。カリカリさせてるのは自分じゃない。こんなキスでご機嫌取りするくらいなら、遅刻で残業より、定時で仕事行って、早く帰って来てよ。新婚でしょ?」
憎い人と、上目遣いで睨む絢音に、藤次はハッと笑って、優しく頭を撫でる。
「せやな。愛しい新妻に寂しい独寝させたらあかんよな。せやったら、今日はさっさと帰って来るて約束するよし、精のつくもんぎょうさん作って、待っててや。俺の可愛い絢音。」
言って小指を立てて約束と申し出て来たので、絢音は不貞腐れながらも、その指に自分の小指を絡めて囁く。
「…ちゃんと約束、守ってね?そしたら、藤次さんのリクエストで買った黒のTバック…履いて待ってるから。」
「なんやねん。いつになく積極的やな。ほんならその調子で、裸エプロンも…頼もかな?」
「バカ。調子乗らないで。」
「へぇへ。」
そうして苦笑いを浮かべながら、藤次は真っ赤になってる絢音を抱きしめて、赤い耳元でありったけの想いを囁く。
ワシ幸せやで。選んでくれて、おおきに。
と…
互いの左手薬指に光る誓いの指輪が、春の陽光に照らされキラキラと輝き、その手に見送られて、藤次は欠伸と溢れる多幸感を噛み締めながら自転車に跨り、朝靄残る春の京都の街へと、向かって行ったのでした。
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