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「帰るぞ」  表面上、何の感情も乗せていないような、冷静な声と淡々とした口調。表情の表れない、典雅なる美貌。静かなる琥珀の瞳。しかし、だからこそ、兄の事をよく知るリュセルは、背筋に冷汗が流れまくるのを抑える事が出来なかった。 「……レオン」  ビクついている様子のリュセルに、レオンハルトは言う。 「事情は分かった」 「そそそそそうか。それは、よ、良かった。は、ははははは」 「しかし、それが二日も続けて自室を抜け出し、他国で遊びほうけていた理由にはならん。具合が悪いからと勉学も中止していたというのに」  乾いた笑い声は、続いたレオンハルトの厳しくも低い声に邪魔されて途切れる。 「あ、遊んでなんていないぞ! きちんと元に戻る方法を探して……」  ここ最近の事を思い出して、リュセルはレオンハルトから視線を逸らす。遊んでいたわけではないが、レオナルージェの美しさに現をぬかしていたのは事実だ。  気まずそうに、まったく自分と目を合わせない弟の様子を無言のまま見つめていたレオンハルトは、リュセルの右腕を掴んだまま歩きだす。  そのまま、若干早歩きでジュリナの部屋(半崩壊)を出、後宮の廊下の壁に手をかざし、地下階段への入口を開く。 「詳しい話は戻ってから聞こうか。じっくりとその体に……な」  階段を降りる前に耳元でそんな風にささやかれたリュセルは、それだけで腰が抜けそうになった。 (やっぱり、レオナルージェのままの方が良かったかもしれない)  鬼畜度、抑え気味だったし、優しかったし、うっとりする位麗しかったし。 「ん、どうした? 怯えているのか?」  その言葉と共に向けられた兄の超絶美麗顔を見返しながら、リュセルは思い直した。 (うっとりする位麗しいのは、男でも変わらないな) 「ふふ、大丈夫だよ。いつものようにいい子にしていれば、何も怖くはない」 「何をする気だ?」  兄の顔に見惚れかけた意識が、その不穏な台詞により現実に戻される。 「今回の事に関する、ペナルティーは必要だろう?」  弟を教育し直す気満々な鬼畜なお兄様に腕を引かれ、封印の間へ続く地下階段を降りながら、リュセルは滝のような汗を流し続けたのだった。 「大丈夫。何も怖くないし、痛くもない。私がお前に危害を加えるはずないだろう?」  そんな、全然大丈夫そうでない口調で紡がれる言葉から、リュセルはこれから行われる仕置きの内容がなんとなく想像出来てしまった。 (全部、ジュリナ殿の所為なのに。ううううう……しかし、元をたどれば一番悪いのは、リンスロットとかいう、三千年前の鏡主が一番悪いな)  死してなお、子孫である自分達に迷惑をかけるとは何事か!  邪鬼に騙されたのだか何なのだかは知らないが、本当にはた迷惑な先祖だと、リュセルは心の涙を流しながら思った。元凶である逆鏡がレオンハルトの手により破壊された今、今更言っても仕方ない事だが……。  これから行われる、快楽という名の甘いペナルティー。  リュセルは前を行くレオンハルトの背を見つめながら、頭の芯がしびれるような期待感を否定する事が出来なかった。 (俺って、マゾかもしれない)  兄の仕置きを悦ぶ自分の心を恥じて、リュセルは顔を伏せて項垂れるしかない。  しかし、それこそ今更な事柄であろう。 *****  神歴6995年。  ディエラ国、王都。  麗しのディエラ城にて……。 「戻った! 戻れたぞ、イプロス、イプ…………我が愛しの弟よ!」  栗色の髪に琥珀の瞳。頭をすっぽりと覆うような大きな王冠を戴いた、一見十歳位にしか見えない少年が、大きな姿見の前で喜びと安堵に瞳を輝かせて、自分と同じように性別変換の世界より無事帰還した己の半身を振り返った。と同時に……  バキッ  見事な右ストレートが栗色の髪の少年の頬に決まる。 「ぐはぁっ」  グシャッ  床に沈んだ自分の双子の兄であり唯一無二の半身でもある少年を、フレームのない薄い眼鏡の下にある暗褐色の瞳で見つめていた、年の頃なら十六~十七歳位の年齢の、蒼髪の青年。  彼は女神の容姿という天上の宝ともいえる美貌を受け継いでいるにも関わらず、その可憐な顔(かんばせ)を凶悪に歪め、握った拳をゴキゴキと鳴らしていた。 「リンスロット兄上。いい加減、懲りるという事をお覚えになった方がいいと僕は思うのですが、兄上はどう思いますか?」  その秀麗なる青年の後ろに、怒りの炎が燃え盛る。 「邪鬼なんかに騙されて、あんな変な鏡を完成させてしまうなんて。馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、まさかここまで馬鹿だったとは。他の同胞にどう説明するつもりですか?」
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