03 坊主が神に祈るとき

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 ピピピッ! ピピピッ!  目覚まし時計のようなアラーム音が、焼き上がりを知らせた。オーブンから天板を引き出すと、芳ばしい小麦の香りがふわっと頭上を抜けた。  天板に並んでいたのは、  〝木魚〟  に、そっくりなクッキーだった。その表面はもはや木材以外の何物でもない。彫刻刀で彫り込まれた、細い線の一つ一つが見事に再現されているミニ木魚だ。  早速、味見をする。  木肌に真っ白い歯が刺さると、  サクッと心地よい音がした。 「うん。よく焼けてる、上出来」  近江虎元(このえこげん)はそう言うと、四合瓶を取り出した。ラベルには〝ザ鬼不殺〟と書いてある。キャップを開けると、ステンレス製の水筒に、ドボドボと注いだ。少しコップにとり、日本酒でクッキーを流し込む。  そして、ツルツルに剃り上げられた頭を、ペシッと叩いて言った。 「塩味がエセ日本酒にピッタシだッ」  ハンガーラックに吊ってある、袈裟や、作務衣と言った、僧侶が着る服ではなく、黒いシャツに黒いスラックスを着込むと、黒いサングラスをかけた。  伸縮性のある布地が、人間離れした筋肉によって、ピチピチに引き伸ばされた。  虎元は、焼き上がったばかりの木魚クッキーの紙袋と水筒をバックパックに詰め、踊るようなスキップで車庫に向かった。プロレスラーでも簡単に組み伏せそうな、丸太のように太い手足の筋肉がブルンブルンと揺れるが、不思議なことに足音は聞こえない。  車庫の端に止めてあったママチャリを片手でヒョイッと持ち上げ、そのまま車庫から出た。昼の強い日差しが、サングラスとツルツルの頭にキラリ反射した。  ママチャリにまたがると、グイッと力を入れ、ペダルを漕ぎ出した。  ベキッ!  ペダルが根本から、ボッキリと折れた。 「おいおい、冗談だろ? これで何台目だ、最近の金属は脆すぎるだろ」  車庫に戻り、折りたたみ自転車を見つけると、摘むように持ち上げた。 「軽っ」  思わず声を上げる。 「仕方ない、こいつにしとくか。確か自転車マニアの檀家さんから貰ったやつだな。にしても、おもちゃ見てぇだな。大丈夫か?」  小口径のやや太めのタイヤに、細いフレーム。それには〝Super Titanium〟と印刷されていた。  まるでサーカスの熊が三輪車に乗っているようだった。大柄の虎元には小さすぎる。それでも虎元は、その小さ過ぎる自転車の上で器用にバランスをとり、ペダルを折らないよう慎重に漕ぎ出した。 「そーっと、そーっと、折れないようにっ、と」  山頂にある寺の車庫から外へ出ると、すぐに山道になっていて、長い下り坂が続く。坂道が終るまでまずは転がっていった。止まったところで、やおらペダルを漕ぎ出した。  すると、一見華奢に見えた折りたたみ自転車が、案外丈夫なことに気づいた。 「おおっ? 何だこの安定感は? これいけるかも」  徐々に力を込める。  それに合わせ、次第にスピードが上がっていく。  そしてついに自転車はバイクのような速さになる。 「おおーっ、いいねいいね。ちっちゃいとスピード感が半端ねぇ」  ペダルを上下させる太い脚は、V6エンジンのクランクシャフトのようで、小口径の車輪が唸りを上げて回転している。バス、トラック、スポーツカー。次々に車を追い抜きつつ、長い坂道を登っていく。ちょうど山頂に差し掛かったとき、勢いのあまり、車体が大きくジャンプ、  ドスン!  と、着地するとこんどは、下り坂を落下するように転がっていく。 「ひゃほーっ。楽チンだぜーッ」  進行方向はるか先、長い下り坂の終点に、大きな病院が見えた。 ◆  病院のエントランスに入り、そのまま病棟行きのエレベーターに乗ろうとしたところで、看護師がギョッとして虎元を呼び止めた。 「こ、近江さん。どうしたんですか? その服」  虎元の服はビリビリに破れていて、サングラスにもヒビが入っていた。 「ちょっと転んでな。なに怪我はないさ」 「怪我はないって、そんなに服が破れているのに大丈夫なわけないでしょ、ちょっと見せてください」  看護師は、虎元の身体を見て首をひねった。 「大丈夫ですね。もしかしてその服、自分で破いたんですか?」 「そんなわけ無いだろ、それはそうとうちのジジイ、見舞いに来るたびに弱っているんだが、痛みとか酷くなってはないだろうな?」  虎元から聞かれた看護師は少し困った様子で、首を左右に振った。 「多分痛いはずなんですけど。もともと痛がらない方なので、こちらも困っているんですよね」  看護師と虎元がはなしこんでいると、看護師のかなり後、病院総合案内所に、救急隊員らしい男達が流れ込んできた。 「こちらに、全身打撲か全身骨折の男が運ばれてきませんでしたか?」  救急隊員が受付の看護師に聞いた。 「来てませんね。どうされたんですか?」 「それが、人を引いたと通報があって、現場に行って通報者と話すと噛み合わんのですよ」 「噛み合わないって?」 「自転車が上から人が降ってきて、車にあたって、サッカーボールみたいに飛んでいった。って意味がわからないでしょう? 確かに車は大破しているので、熊にでも当ったか自損なんですけど、念の為こうやって聞き込みしているんですよ」  救急隊員と受付看護師のやり取りが遠目に見えた、その看護師は、虎元に、ごめんなさい。といって、パタパタと受付に戻っていった。虎元は、ヤベ。と直ぐに病棟エレベーターに飛び乗った。 「ジジイ! 見舞いに来たぜ。新作だ」  虎元はそう言って、病室のドアを勢いよく開けた。  ベッドに寝ていた虎元の祖父は、ベッドに横たわり強張ったような表情で、仰向けで寝ていた。騒がしい虎元にも、全く反応しない。   「――おいおい、聞こえないのか? 顔だけじゃなく耳まで老いぼれたか」    祖父は表情を少し緩めた。厳格そうなその顔の、頬の痩せ具合や、土気色の肌からも、状態が良くないことが見て取れた。 「お前なぁ、少しは言葉遣いを覚えろ。それよりどうだ? もう二ヵ月経つが、住職として寺はうまく回せているか?」 「おお、バッチリよ。安心して極楽へいけ」  天満寺(てんまんじ)は、虎元と住職である祖父、二人で切り盛りしていたが、祖父が入院した二ヵ月前から、虎元が正式に住職となり、一人でやっているのだった。 「ほれ、僧侶ならみんな大好き木魚クッキーだ。そいつを食って元気を出せ。般若湯(ノンアル)と合うように塩味だ。うまいぞ」  サイドテーブルの皿に、水筒を置き、クッキーを盛り付ける。水筒のカップに中の酒を注ぐと、ぷうんと吟醸香が広がった。クッキーを一つ取って、祖父の鼻の下に、口ひげのように押し付けた。 「おいおい、ジジイ、顔色悪いな。クッキーと同じ色じゃないか」    虎元が笑うと、祖父は張りついた木魚を手にとって、天井を見たまま微動だにせず、ポツリと言った。 「いよいよ隠せなくなってきた。お前には悪かったと思っている」 「ん? なんのことだ?」 「今までいえなかった事がある。最後に伝えなきゃならん」 「おお、そうか。そりゃ心残りだな。さっさと言え」  「お前に今まで教えてきた、寺の教え。ありゃ嘘だ」  虎元の口から、食べかけの木魚がポロリと落ちた。 「おいおい、冗談はよせ」 「本当だ。もともとこの地で守っていた僧侶の後を継いだ。そしてこの地で墓を守ることになった」 「しかし俺に経を教えてくれたじゃないか? ジジイもその先代から習ったんだろう?」 「習ってない。すべて通信教育だ」  虎元は椅子から落ちそうになる。二の句が継げないでいると、更に追い打ちをかけられた。 「まだある。同一人物に会うには、一月開けろという寺の習わしも嘘だ」 「い、いや。ジジイ。そりゃないぜ。その習わしがあるから、世捨て人みたいな生活をしてきたんだぜ」 「すべての嘘は、ワシらの秘密を隠すためのものだ」 「秘密? 何だ財宝でも隠しているのか?」  呆れ顔の虎元に、祖父は仰向けのまま、微動だにせずに言った。 「ワシは、見るだけで人を殺せる。先代を殺したのはワシだ。ワシはもともとこの地に刺客としてきた」  虎元はナースコールに手を伸ばした。 「まて……ワシは正気だ」  祖父が虎元の手を止めた。 「わかったわかった、いいからちょっと待ってろ。まずは頭を見てもらえ」 「ワシはお前の未来が心配だ」 「俺はジジイの頭が心配だ」  すると祖父は、やはり天井を見たままの体勢で、木魚クッキーを人差し指と中指で挟むように持った。そして手首を使うようにしてポンと上に放り投げた。  軽く投げたように見えたそれは、ぐんぐん速度を上げ、天井にストッと突き刺さった。 「あっ、ジジイッ、なんてことをっ、勿体ない」 「そこ違うだろ、よく見ろ」   祖父に言われて天井を見ると、クッキーはそのままの形で天井に突き刺さっている。 「ジジイ、これは?」 「この力はワシら一族の者に備わる異形の力だ。この力のために、ワシら一族は呪われている。そして、その力と呪いは、お前にも引き継がれている」 「あのねぇ。俺ら仏徒じゃねぇのか? 密教じゃあるまいし、呪いは専門外だろ?」 「この力、仏教とは無関係、仏教は隠れ蓑だ。今までの嘘は、お前がお前の力のせいで、他人を呪ったり、無意識の内に人を殺すことがないように、寺に縛り付けておきたかっただけだ。  いいか?  刀も鞘の中だと安全だ。  しかし、抜身の刀は持ち主さえ傷つける」  祖父はそう言うと、皿のクッキーを手に取り、手のひらに乗せた。 「見ろ」  木魚クッキーは、手のひらの上で浮いていた。 「おいおい、冗談だろ? どんな手品だ?」 「手品ではない。留魄(るはく)を使い浮かせている。留魄(るはく)とは、万物に憑く魂だ。ワシら一族は〝魂を統べる術〟を知る。その術を〝(きょう)〟と呼ぶ」 「〝(きょう)〟? お経?」 「お前は、既に〝(きょう)〟を知っている。身についている。忘れているだけだ。このままでも自然に思い出せるが、時間がかかる。その間が危険だ」 「危険? どう危険なんだ?」 「いろいろだ」 「いろいろって、なんだそりゃ?」 「一言ではいえん。とにかく危険だ。お前は術を思い出さないといかん」 「思い出すって、さっぱりわからん。具体的にどうすりゃいい?」 「ワシをお前がその手で殺せ、  そうすればすぐに思い出す。  思い出せば暴走する危険は去る。  後はお前が、その力を自分の意思でどう使うかだけだ」 「俺が、ジジイを殺す? 馬鹿言うな、できるわけないだろ?」 「殺すだけなら方法は簡単だ。今から教える」  そう言って祖父は、自分の殺し方を説明した。 「――というわけだ。ワシは殺られたことさえ気づかんのだ。  もう一度言うぞ、〝(きょう)〟は、人を殺すだけの力ではない。魂を視て操る事ができる。それを〝思い出せ〟 そのためにワシを殺すんだ」 「まてまて、ジジイが長生きして、俺に教えればいいだろ?」 「なあ、虎元。ワシは酒は飲めん。呑む気も失せた。目も見えん。見たいものもない。脚も動かん。行きたいところもない。  生ける屍のようなものだ。  もう楽にしてくれないか?   それにな。ワシらの力は呪われていると言っただろ? ワシがここに長くいるとそれだけで、この病院の人たちが呪われてしまう。  ワシの楽のため、  お前の将来のため、  そして人に迷惑をかけないためだ。  ワシを殺せ」  虎元はゴクリとツバを飲み込んで、じっと祖父を見つめた。 「さあ、頼む」  祖父は懇願した。 「嫌だ、断る」  虎元は、きっぱりと言った。  すると祖父の手がにゅっと伸びて、病人とは思えない力で虎元の手を掴んだ。仰向けのまま動かないはずの祖父の視線が、なぜか虎元に突き刺さる。 「頼む、虎元。見て、念じるだけでいい。それだけでワシは安心できる。それだけで万事うまく……行く」  枕元に繋がれているモニターが異常状態を感知しアラートを告げた。パタパタと、人の近づく慌ただしい音の中、虎元はただ呆然としていた。  
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