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02
虎元が天満寺を継いで三ヶ月ほど経っていた。
天満寺は、小高い山の山頂にあって、敷地内には本堂と自宅の他に、畑と霊園が併設されている。畑は自給自足できる十分な広さがあり、霊園はその何倍も大きい。
その夜。
虎元は、自宅から畑を抜け、霊園に向かう道を歩いていた。
空を見上げ、思わず足を止める。
「今日は、星が綺麗だ」
砕けた砂のような光る粒が、
煙のように天空に立ち昇っていた。
歩き始めてまた、はたと立ち止まる。
「はて? 星ってこんなに多かったっけ?」
西を見下ろすと、東京湾に浮かぶメガフロート群がライトアップされていた。ひるがえって東を見れば、植林された桜で覆われた区画があって、その奥に霊園があった。
霊園を見て、首を傾げる。
「おや? 墓ってこんなに明るかったっけ」
街灯に引き寄せられる蟲のように、
いつの間にかそこにいた。
その墓は、桜の木々から少し外れた場所に、
ひっそりとして在った。
「ジジイ、新作の線香グリッシーニだ」
懐から円筒形の容器を出すと、蓋を取りそのまま墓前に供えた。容器の中には、線香の形をした極細のグリッシーニが刺さるように入っていた。手を合わせ墓前に語りかける。
「止を刺せなくて苦しめたなぁ。すまなかった。でもなあ、俺は坊主だ、武士じゃない。介錯みたいなことはできん」
苦しさと落胆が入り混じった祖父の表情と、
その時の言葉が脳裏をよぎる。
〝虎元、もう無理は言わん。だが、お前の力はワシが思っていた以上に強くなっている。ワシのせいだ。恐らくワシの力がお前に流れ込んでいる。これから先、その力はお前を苦しめるだろう。
よく聞け虎元。ワシなき後、お前が選ぶべき道は二つに一つだ。
ひとつは、里に帰ることだ。お前の力が暴走しても、呪いもすべて〝三河の里〟では何も問題ない。
もう一つは、今後は誰とも会うな。引き籠れ。そのための自給自足ができる畑と霊園だ。
だがな虎元。三河に頼るのはできるだけ避けろ。
今日、はっきりと判った。
お前は殺しに向いていない。
三河ではつらい思いをするだろう。
なに引き籠もるのは五年でいい。力の制御ができれば以前のように一月に一度の頻度で人と会える。三河にはいかず引き籠れ。修行して克服しろ。それがベストだ。お前にはそれが一番いい。
いいな、街には決して出るな。引き籠れ。
取り返しのつかないことになるぞ〟
虎元の心に、祖父の〝五年、という言葉が重くのしかかった。
「いってもなぁ、五年、いや一年でもきっついぜ。俺は寂しがり屋のO型だ。ジジイもしってんだろ?」
すると、供えられたグリッシーニを狙ってか、遥か彼方の空から黒い物体が一直線に近づいてきた。
カラスだ。
翼を折りたたみ、弾丸のようにターゲットへ向かい飛行するカラス。それを阻むような虎元の背中。
カラスの鋭い嘴が、隆々とした筋肉に突き刺さる。
かと思われたその時、
虎元は、振り向きざまに、
右手でカラスの嘴ごとワシっと掴んだ。
「闇討ちかよ。アブねぇなぁ」
右手の中のカラスは、ビクビクと痙攣し、そして動かなくなった。
「あれま、こいつも仏さんになっちまったか」
スコップで近くの木の下を掘り起こすと、カラスを埋めて即席の墓を作り手を合わせた。そこには同じような墓がいくつもあった。
「狂い咲きといえば、桜だけかと思ったが、今年はどうしたもんか? カラスも春にはおかしくなるんだなぁ。さてと、墓の掃除でもするか」
虎元は、広大な墓の掃除をはじめた。
箒で掃きながら昔のことを思い出してみる。
「三河かぁ。中学までだったから、それなりに記憶はあるはずだが、不思議とあんまり覚えていないなぁ」
ふと重要なことに気づく。
「まてよ? ジジイは、〝俺に殺しは向いていない、三河では苦労する〟と言っていた。それに呪いも三河では関係ないとも言っていた。それってつまり、あ? もしや三河って、皆見るだけで人を殺せる、人殺しの集落ってことか? おいおい冗談だろ」
ぷるぷると、首を左右に振る。
「ダメダ駄目だ。三河には頼れん。怖すぎる。でもなぁ、五年も一人ってのはなぁ。
引きこもりか、引っ越しか。どうしたもんだねぇ。
いやしかしな。力が暴走って、いったい何が起きるんだ? そもそも全てジジイが大袈裟に言ってるだけという線もある」
その時、
プルプルプル
電話が着信を知らせた。
「あーもしもし?」
『やほー。元ちゃん、どうしたのさ? サークルに顔出さないでー』
電話口から、ノリの良い女の子の声が聞こえた。
「ああ、すまんすまん。連絡してなかったな」
『すまんすまんじゃないわよ。部長が来なくてどうするのさ。元ちゃんは、〝製菓研〟の要なんだからさ自覚してよ』
「いや、そのことだがな。お前、部長変わってくれないか?」
『え? どうしたの? まさか、お菓子作りが嫌になったの?』
「いやいや、冗談だろ。俺からお菓子作りを取ったら何が残るってんだ?」
『ならなんでさー』
「いやなぁ。寺の都合でしばらくサークル出れそうもないんだ」
『あー仕事なら仕方ないけど。元々月一しか活動してないんでさ。これ以上間隔が開くとねぇ――それでどのくらい?』
「最悪五年かな?」
電話口から聞こえる、キンキンした金切り音に耳を塞いで、
『とにかく、また後で連絡する』
とだけ言って電話を切った。
「参ったな。申し訳ないが、しかしジジイの言うことを無視はできん。レシピ提供で許してもらうしかないか」
すると、また、
プルプルプル
と呼び出し音。
「あーもしもし?」
『ああ、俺だけど、送っていたデータ見た?』
電話口から野太い男の声がした。
「ああ、見たぞ。よくできていた。大枠は、あのトレーニングメニューでいいと思うぞ」
『了解、じゃ来週の定期ミーティングの時、細かい意見聞かせて。改善点とか問題点を考えといてくれよ』
「いや、それがだな。しばらくトレーニングアドバイザーやめたいんだ」
『ちょいちょい、そりゃ無いぜ。うちのビルダー連中にとって元ちゃんは心の支えなんだからさ。本当は月一でも少ないくらいでさ。マジ困るんだけど』
「いや、本当にすまん」
『どうしたんだよ。まさかビルダー引退?』。
「トレーニングは続けてるさ。俺からウエイトトレーニングとったらデブまっしぐらだ。そうじゃなくて、寺の事情だ。しばらく休みたいんだ」
『そんなに寺の仕事忙しいんだ。どのくらい休む?』
「四年くらいかな?」
電話口から聞こえる怒号に耳を塞いで、
『とにかく、また後で連絡する』
とだけ言って電話を切った。
「仕方ねぇなぁ。こっちは、なんとかネットからのアドバイスで勘弁してもらおう」
するとまた、
プルプルプル
切った途端電話が入った。
「またかよ」
とうんざりした顔で電話を取る。
「あーもしもし?」
『元ちゃん、昨日なんで来なかったのさ』
「なんだ、紗々羅か」
『なんだ、じゃないよ。昨日は元ちゃん来る日だったから美味しいもの用意して待ってたのよ』
「すまんすまん。それがなぁ――」
『例のやつ、入っているよ』
「え? あれか!」
『今から来る? 明日になると多分味が落ちるんだよね。今日がベスト』
「いく! 今すぐ行く!」
電話を切った後、バタバタと掃除道具を片付け、最後に祖父の墓の前でピシッと立礼した。
「ジジイ、すまん! 掃除は明日やる!」
虎元はそう言うと、お供えのグリッシーニを掴み、踊るように駆け出した。
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