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03
繁華街の片隅、寂れたバーで、
虎元は身構える。
カウンターの上にのっているのは、
鰹のたたき。
その上に極薄の玉ねぎ。
その上に山盛のスライスにんにく。
震える箸先が、厚切りの鰹に触れると、しっとりとした食感が指先に伝わった。
スライスにんにくの上には、揚げたてのフライドにんにくが程よく散らばっていて、食欲を誘う芳香が鼻をくすぐる。
タレが染み込んだ玉ねぎとともに、鰹でそっと包むように、慎重に慎重に持ち上げ、そして大口を開けて、
バクッ
「うまいッ!」
虎元は、舌鼓をうった。
「――やはり鰹は戻りに限る。脂のノリが違うな。
普通なら薬味としてミョウガや生姜を合わせるところだが、こいつは違う。
ガツンとくる、ダブルにんにくだ。
生にんにくの辛さ、フライドガーリックの食感と香り、新玉ねぎの甘さ、それら絶妙のバランス。
そんでもって、この麦焼酎!
最後にふわっと香る大麦が、いま藁で燻したのかと思わせるかのような、心地よい錯覚を起こし、それでいてにんにくと玉ねぎを邪魔しない、絶妙の立ち位置。
紗々羅、お前天才!」
「気に入ってくれて良かったわ。でもさ、元ちゃん、それたっぷりのニンニクに鰹だよ。坊さんってニンニクも生魚も駄目じゃないのさ?」
カウンター内の女店主――紗々羅がそう聞いた。
「なに、かまやしない。どうせ通信教育だ」
「通信?」
「あっっと、もう一皿! フライドにんにく大盛りで!」
虎元は手元のグラスをぐいっと開け、まだ皿が空かない内に追加を注文した。
「まったく、気持ちいいほどの、生臭坊主だね」
紗々羅は手早く盛り付けるとお代わりを差し出した。そして、まじまじと虎元の姿を観察する。
「――しっかし改めて見ても男前だよねぇ。無駄にガタイもいいし。生臭でも言い寄る女も多いでしょ?」
「生臭、生臭言うなよな。こう見えてナイーブなんだ。特に体臭は気をつけてるんだぜ。塗香だって特注で、ゼラニウムを使ってるんだ」
「生臭って、それ意味違うし」
紗々羅はくすりと笑う。
「――でもさぁ、せっかくいいもの持ってるのに、その絶望的にセンスない服は、やめたがいいと思うよ」
「センスがない?」
「あるとおもってんの?」
虎元の服装は、白シャツ白コート、赤いポケットチーフ。スキンヘッドには白いフェドーラ帽。トドメに首には春なのに赤いマフラー。
「――どこからどう見てもマフィアにしか見えないわよ」
「え? この服駄目なのか?」
「え? もしかして、それ本気服? ウケ狙いじゃなくて?」
「いや、文彦さんがさ――街に出るなら一目置かれる服装で行け、っていってな。全部仕立ててくれたんだ。いや実際、街ではみんな一目置いているぞ」
虎元がそう言うと、紗々羅はゲラゲラ笑った。
「誰、文彦さん? ウケるー。そりゃ一目置いてんじゃなくて、みんな怖がって距離をおいてんだよ。その白、何かの拍子に汚しちゃったら、いくら請求されるかわかんないからねー。最近、そういうの流行ってるらしいから」
「そういうのってなんだ?」
「汚損請求詐欺。汚れた金出せ、壊れた金出せって、そんなやつ。何かと物騒な世の中なのよね。
とにかく、元ちゃんそれ、騙されてるよ。騙す方も、まさか引っかかるとは思ってないんじゃない?」
「おいおい、ホントかよ。文彦さん、謀ったな」
「なに謀ったって、時代劇? もうやめて、腹筋切れるからー」
ツボに入ったのか、笑いに勢いがつく紗々羅をよそに、虎元はチッと舌打ちして、麦焼酎のグラスをぐいっと空けた。するとその様子を見ていた紗々羅は、いい飲みっぷりだねぇ。すかさず空いたグラスに麦焼酎を満たす。
「それはそうと元ちゃん、ありがとね。グリッシーニの差し入れ」
紗々羅がそう言うと、隣の客から声が上がった。
「おーこの細いの、元ちゃんの差し入れ?」
次いで後ろのテーブル席からも、
「まじか、かなり堅いけど細いからちょうどいいね。癖になる味だ」
「ポリポリして、しょっぱくて酒のつまみにピッタリ」
などと口々に 感嘆の声が上がった。
紗々羅もグリッシーニをポリっと齧って、すかさず焼酎を流し込む。
「うん、やっぱりこの酸味がいいね。それにしてもそんな細くて堅いやつ作れるわね?」
「これはパスタマシンで整形してる。梅干しを使っていて、酸が発酵を穏やかにするから膨らまずに、ポリポリ食感になる。あとウコンが入っていて歯切れを良くしてるな」
「へぇ、梅干しとウコン……あーもしかしてこの色? お線香じゃ?」
「当たり!」
「えー、微妙。まさかお寺のお供え物じゃないわよね――あれ? 元ちゃんどうしたの?」
虎元は、片手でこめかみの当たりを抑えて何やら苦しそうだ。
「いや、たまに痛みがあるんだ……それより鰹ってこんな色だったか?」
「色って? そりゃ鰹こんな感じだよ。何さクレーマー?」
「いや、味はうまいさ。だが色が薄いと言うか。鰹に限らず、最近、たまに色が見えないんだよな。今日は特に酷い。白黒に見える」
「白黒? それ病気じゃないの?」
「いや、原因はわかっている。多分な。ジジイの呪いだ」
「呪い? 何馬鹿なこといってんのさ。そりゃ病院行ったほうがいいわよ。ん? 元ちゃん。少し瞳が青っぽいよ?」
虎元の瞳の中、虹彩部分が少し緑がかって見えた。虎元は、
「もともと、色が少し薄いんだよ」
と言った。
「――色味が変わっているだけならまだいいが、なんか気配がわかると言うか、壁の外が透けると言うか、なんというか……」
虎元はそう言いかけて、店の入口を見た。
「いま扉の外に誰かいないか? それもアブねぇ奴らが」
すると、入口ドアが、
バタン
と、乱暴に開き、ガラの悪い連中がゾロゾロと入ってきた。ガヤガヤしていた店内がシーンと静まり返った。
先頭にいたのは、虎元と同じようなコテコテ、マフィア・スタイルの男だ。こちらの方は虎元と違い、ブラックスタイルで、男の頬には深い刀傷があって凄みを増している。
「なんだ? 紗々羅さんよう、真稜組幹部の安芸虎さまの一番の舎弟、このキコジさまが、直々に話をもってきてるってのに、他にボディーガードを雇ったのか?」
刀傷の男、キコジがそう言った。
虎元がすかさず否定する。
「おいおいまて、俺は僧侶だ」
「なに? 僧侶だと」
キコジはジロリと虎元を見て、ゲラゲラと馬鹿笑いした。
「――そんなガタイの坊主がいるか。おい、ヨイヤミ」
キコジは、顎をシャクって子分のひとり、ヨイヤミに合図を送った。間違いなく人を殺しているような恐ろしい目つきの男だ、彼は素早い身のこなしで虎元のすぐ隣に現れると、カウンターに置いてあった麦焼酎の酒瓶の首を掴んだ。
そして、虎元の額を、
ラケットで球を打ち返すように、
躊躇なく振り抜いた。
虎元の頭はテニスボールのように弾かれた。太い首が引き伸ばされ、ワンテンポ遅れて、巨体が後ろに飛ばされる。
バタン!
椅子が倒れる音。
虎元は大の字にのびてピクリとも動かない。
キコジは満足そうに笑い、紗々羅に向かって言った。
「とまあ、今どきの酒場ではこういう事故はよくあることだ。
だが、残念なことにお国はジリ貧で警察はあてにはならねぇ。奴らは高い税金を払ってくれる正規市民しか守らない。
隠しても無駄だぜ。お前さん、市民じゃねぇだろ? 非正規市民が警察をあてにしたきゃ、高い鼻薬がいるって訳だ。知ってるか? その金がどこに流れているかを?
警察は半分懐に入れて、残り半分を奨励金にあててるのさ。それで悪人退治を他人に丸投げだ。じゃあ奨励金を誰に出していると思う? 俺達みたいな、自警団にだ。つまり警察経由で頼むよりは、俺等に直接カネを渡した方が安上がりと言っている訳だ」
キコジは、データカードをカウンターに置いて、念を押すように言った。
「契約書、諸々が入ったカードだ。認証して毎月きっちり払い込んでくれよ。振替が基本だ。兄貴の方針でね。トラブルは未然に防ぐ。ビジネスの基本だろ?」
どう見てもヤクザな自称自警団が、出口ドアからゾロゾロと出ていき、最後の一人がバタンとドアを閉めた。
すると、恐怖で震え上がっていた周りの客たちが、一斉に動きはじめた。
「元さん、大丈夫かい?」
客の一人が床に大の字に倒れている虎元に聞いた。
「あー大丈夫、この人なら大丈夫」
と紗々羅。
「――ほら、元ちゃん、気がついてんでしょ?」
すると、虎元はむっくりと起き上がり、床に転がっていたグラッパの瓶を手に取り、カウンターに座り直した。
「あれま、あんちゃんなんともないんかい?」
客が聞くと、紗々羅が代わりに答えた。
「この人、妙に丈夫でさ。前もこんな事あったんだよ」
虎元は、麦焼酎をグラスに注いで、一息に飲んだ。
「紗々羅もたいへんだなぁ。あいつらよく来るのか?」
虎元が紗々羅に聞くと、二度目だと答えた。
「まあでもアイツらの言っていること本当よ。それにしても元ちゃんの額、全然傷ついてないわね。瓶も割れてないし。少林寺って凄いね」
あれだけ激しく叩かれた虎元の額には傷一つついていない。確かに瓶が割れていないのも不思議な話だ。
「少林寺? そんなんじゃない。相手の力が弱かったんだろ?」
「えー、なら、なんで反撃しないのさ、うちの店なら気にしなくていいよ」
「あのなぁ。俺は坊主だぜ。〝右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ〟って教えがあるだろうが」
真顔で言った虎元に紗々羅は一瞬驚いて、すぐにゲラゲラ笑いだした。
「元ちゃんそれキリスト教だよ――あら、もう帰るの?」
紗々羅の話の途中で、虎元は席をたった。
「――ちょっと、代金払ってきなさいよね」
「すまん、ちょいと用を思い出した。来月まとめて払う」
すると紗々羅はカウンターから身を乗り出して、虎元に抱きつき耳元で囁いた。
「今回はグリッシーニと迷惑料でチャラでいいわ」
「いや、そりゃいかんだろ」
「なら、カラダで払ってもらってもいいわよ」
「おいおい冗談だろ。とにかく離れろ」
少し赤くなった虎元は、抱きついてくる紗々羅を困り顔で振りほどき、フェドーラ帽を被り直した。襟を立てて逃げるように店を出る。
店のドアを閉めると、外廊下の壁によりかかりながら懐から端末を取り出した。
そして、緊急コールをタップした。
『こちらはポリスシステムです。正式市民認証が正常に完了しました。ご要件をお話ください』
電話口から音声メッセージが流れる。
「あー、すまないが店の前で悪いやつに囲まれていてな、助けてくれ」
ほんの数秒後に答えが返る。
『正規市民からの通報を確認しました。今から警官を向かわせます。端末の位置情報を切らないでお待ち下さい』
電話を切るとすぐに、薄暗い外廊下の突き当たりから、にゅっと人が現れた。先程、酒瓶で殴ったヨイヤミだ。
「仲間を呼んだのか。いったいぜんたい、どこの組のものだ?」
ヨイヤミがそういったのと同時に、虎元は後ろから羽交い締めにされた。
「ちょ、ちょっとまってくれ。だから俺は違うと言っている。本当に僧侶――フガッ」
猿轡をかまされて、両手を後ろに回され、両手の親指を結束バンドで縛られた。
そのまま男二人に、丸太を運ぶように肩で担がれ、ビルの外に連れて行かれる。
「おい、早くしろ」
ヨイヤミは辺りを確認しながら言った。
「――グズグズしてると、こいつの仲間が来るぞ。それとそいつの手首も念のため縛っておけ。待ち伏せに気づいた奴だ。油断するな」
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